はじめに|映画が国の境界を越えるとき
「敵対する国々が映画を通じて一緒になれるという希望」。映画監督・是枝裕和が、2018年のカンヌ国際映画祭で最高賞パルム・ドールを受賞した際に語った趣旨である。映画の価値を、自分の作品への評価だけでなく、人と人がつながる可能性へ広げたところに意味がある。
国と国の関係が厳しくなると、互いの人々を一つのイメージで捉えがちだ。しかし映画は、画面に映る一人ひとりの事情へ目を向ける機会をつくる。大きな対立の下にいる個人の生活を想像させることができる。
もちろん映画を一本観れば政治的な争いが解決するわけではない。映画が世界を変えると断言するのではなく、理解の入口を開く可能性を語った言葉として読みたい。
原典|2018年カンヌ映画祭の公式受賞記録
原典はカンヌ国際映画祭が2018年5月19日に公開した第71回映画祭受賞結果の公式記録である。『万引き家族』のパルム・ドール受賞と是枝のスピーチが掲載され、英語で「Hope that countries that are enemies can come together through film.」という一節を確認できる。受賞の場、発言者、対象作品、掲載位置を主催者の記録で特定できる。
公式ページにあるのは英語での記録であり、本記事の日本語表現は意味を伝えるための説明訳である。本人が舞台で話した日本語の逐語表記と同じものだと装わない。主催者の公式英訳と、この記事で用いる日本語訳を分ける。
その場で是枝は映画祭から勇気や希望を受け取り、それを映画制作の仲間やこれからの若い監督たちと分かち合いたいとも述べている。個人の栄誉を、国境と世代を越えた映画の営みへつなぐ流れの中に一節が置かれている。
「一緒になれる」|相手を知るための余白
国どうしが敵対していても、そこに暮らす人すべてが同じ気持ちを持つわけではない。映画は、日常生活を描くことで政治の大きな言葉だけでは見えない差異を浮かび上がらせる。対立する集団の中にも、固有の事情を持つ人がいると気づくことができる。
もちろん映画にも製作者の視点があり、何を描き、何を描かないかという選択がある。映画を観たことだけで相手を理解し尽くしたと思うのは早い。作品に触れた後で、ほかの声も聞いてみる余地が残る。
この一節を、政治への具体的な政策提言と同一視しないことも大切だ。是枝が表明したのは、その場にふさわしい文化の持つ可能性への期待である。映画を通じた出会いの価値と、現実の争いの複雑さを同時に認める読み方ができる。
賞の場で語ったこと|受賞の先へ視線を向ける
パルム・ドールは映画祭における最高賞である。通常なら作品の意義や制作の苦労を語る場面で、是枝は国の境界を越える希望を口にした。受賞を個人の到達点として閉じない姿勢が表れている。
公式記録には、自分が受け取った勇気をチームや若い作り手と分かち合うという趣旨も示されている。人に届いた価値を次の世代へ渡すことは、映画作りの継続に関わる。称賛を未来の制作へ返していく視点がある。
作品の人物やストーリーを細かく説明しなくても、このスピーチが問いかけることは読み取れる。賞を受け取った瞬間に、誰と何を分かち合おうとしたのかが、この一節の主題だからだ。
現代への読み替え|作品から対話を始める
知らない文化や土地の映画を観たとき、すぐにその社会を評価するのではなく、登場人物がなぜそう行動するのかを考えてみる。相手の事情を一つの物語を通じて想像することが、対話の入口になる。
自分と意見の違う人が作品をどう見たかを聞くのも有用だ。賛成する必要はないが、どの場面を大切だと思ったかを知れば、自分と違う視点が見つかる。同じ作品から複数の読み方が生まれること自体が文化の豊かさである。
映画制作の道具と時代の変化に焦点を当てた宮崎駿の2014年受賞スピーチも、映画の未来を別の角度から考える材料になる。是枝の一節と比べれば、映画という営みの技術面と社会的な意味を分けて捉えられる。
まとめ|映画がひらく小さな橋
是枝裕和が語った国境を越える希望は、2018年5月19日のカンヌ国際映画祭公式受賞記録に英語で確認できる。主催者の公式記録で場面と一節を特定できるため、出典確認済みとして扱える。
この言葉は、芸術を万能な解決策とするものではない。映画をきっかけに、国や立場の違う人を一人の生活者として見られるかもしれないという期待である。
大きな争いを一人で止めることは難しくても、知らない人の物語に触れることはできる。誰かの暮らしを想像するところから、理解の小さな橋が生まれる。その可能性を残す一節だ。
同じ映画祭での言葉を別の角度から読むなら、役所広司が2023年のカンヌで語った清掃の仕事もある。映画が人をつなぐという希望と、作品を形にする現場での準備を比べられる。