はじめに|絵を描く人と、言葉を書く人
「宮崎駿は絵を描き、ぼくは字を書く」。スタジオジブリのプロデューサー、鈴木敏夫の書をまとめた本の紹介に掲げられた一節である。映画を作る仕事を、絵と文字という違う表現の協働として捉えているところが面白い。
作品を観る人には、監督の名前がまず見える。しかし映画が届くまでには、企画の整理や宣伝、作品をどんな言葉で紹介するかという仕事もある。絵を描く人だけではなく、作品を言葉にする人も映画の体験を支えている。
この一節を、二人の仕事を完全に分けた契約のように理解する必要はない。それぞれの得意な表現の違いを、短い対比で伝えた言葉として読んでみたい。
出典と表記|2017年書籍紹介と2018年展覧会
スタジオジブリ公式サイトの2017年12月25日の鈴木敏夫の新刊紹介には、「宮崎駿は絵を描き、ぼくは字を書く」という一節がある。鈴木の書を集めた『人生は単なる空騒ぎ―言葉の魔法―』の紹介文として掲載された。公式に公開された書籍情報で言葉と作品名を確認できる。
一方、スタジオジブリ公式の2018年「鈴木敏夫 言葉の魔法展」案内では「宮さんは絵を描き、僕は字を書く。」という近い別表記が用いられている。「宮崎駿」と「宮さん」、「ぼく」と「僕」の違いは同じ形へ勝手に直さない。
どちらも公式の紹介文だが、鈴木本人が最初にいつ、どの表記で発言したかを示す当時の原稿や録音は今回確認できていない。公式の紹介文と、本人の発言の最初の形を区別し、出典状態はタグ117の要検証とする。
字を書く|作品の魅力を言葉へ移す
絵には、色や動き、人物の表情から伝わるものがある。けれど、その作品を人に紹介するときには、何を見てほしいのかを短い言葉にする必要が生じる。言葉は作品のすべてを説明するのではなく、受け手の関心を開く入口にもなる。
ジブリ公式の展覧会紹介は、鈴木が監督の意図と作品に向き合い、その本質を読み取って言葉にしてきたと説明する。宣伝は単に目立つ言葉を考える作業ではなく、作品をどう理解して伝えるかという仕事でもある。
ただし、短いコピーだけで映画の内容を決めつけることはできない。言葉による案内と、観客が自分で作品を体験することは別である。
人に届く言葉を選ぶには、何を強調し、何を言い過ぎないかも考える必要がある。一行の言葉の裏に、作品についての長い理解が求められる場合がある。
絵を描く|異なる表現の協働
同じ作品に関わっていても、絵を描く人と言葉を書く人では必要な技術が違う。それでも、別々の専門性が向かう先は一つの作品になる。得意分野が異なることは、協力を妨げる理由ではない。
時には表現したいものが違って見えるかもしれない。そこで何を作品の中心として伝えるのかを話し合うことが、より深い理解につながる。役割が違う人ほど、同じ目的を言葉にして確かめることが大切だ。
映画の舞台をどう作るかという問題を扱った高畑勲「映画を作るときはまず世界を描く」の記事と比べると、アニメーション制作の別の側面が見える。世界をつくる表現と、その世界を観客へ伝える表現を分けて考えられる。
まとめ|違う仕事を一行でつなぐ
「宮崎駿は絵を描き、ぼくは字を書く」は2017年のジブリ公式書籍紹介に、「宮さんは絵を描き、僕は字を書く」は2018年の公式展覧会案内に掲載されている。両公式資料の表記差を確認できるが、本人の初出・逐語発言は未確認のためタグ117を維持する。
この一節は、映画作りのすべてを二人で担うという主張ではない。得意な表現を持ち寄り、作品と観客をつなぐ仕事の一端を伝えている。
誰かとものを作るとき、相手と同じ技能を持つ必要はない。自分が担える仕事を見つけ、異なる力と組み合わせることが、一つの作品を遠くまで届ける助けになる。