はじめに|身につけるものは誰のためか
服を選ぶとき、周囲からどう見られるかを気にすることがある。けれども絵本作家のペク・ヒナは、装いについて話すなかで「自分自身をいかに大事にしているかということにつながってきますから。」と語った。流行や値段よりも、本人が自分をどう扱うかという視点を示した発言である。
ここで伝えようとしているのは、おしゃれな人ほど価値があるという考えではない。ペクは好きな服を身につけたときの安心感や、外へ出る勇気について話していた。服を人に認められるための競争ではなく、自分のために選べる道具として捉えるところが大切だ。
人の身なりには、仕事の条件や経済的な事情、好みなどさまざまな理由がある。その違いを評価するためでなく、小さな選択を通じて自分の希望を確かめるという意味で、この言葉を読んでみたい。
この名言の背景|絵本『ハッピーバースデイ』の装い
2026年10月26日公開の朝日新聞「好書好日」は、韓国の絵本作家ペク・ヒナが来日した際のインタビューを掲載した。作品『ハッピーバースデイ』には、気持ちが沈んで家にこもるシマウマのゼブリナと、不思議なクローゼットが登場する。衣服を介して主人公が少しずつ行動を変える物語が取材の中心だった。
ペクは人の暮らしに欠かせない衣食住を絵本の題材にしたいと考えてきたという。服には身を守る働きがあり、気持ちを整えたり、外へ向かう後押しになったりする場合もあると話した。値段や流行の優劣だけでは説明できない、身につけるものへの思いを語っている。
取材者がなぜ服とクローゼットを選んだのか尋ねると、ペクは内面も大切だと認めたうえで、外見を整えることにも意味があると答えた。その流れに今回の一節がある。何を着るかよりも、自分を大事にしているかという気持ちを考えた発言として確認できる。
この名言が示す深い意味|自己尊重を他人の評価と分ける
身につける服を自分で選ぶことには、今日はどう過ごしたいかを考える面がある。落ち着きたい日、活動的に過ごしたい日など、希望はいつも同じとは限らない。装いを通じて自分の気持ちを確認することができるという見方だ。
一方、好きな服を着れば必ず気分がよくなると断定することはできない。服に関心が薄い人もいれば、身体的な条件や環境によって選択肢が限られる人もいる。自分を大切にする方法が全員同じである必要はないという点を忘れてはならない。
ペクが作品で描いたのは、誰かに褒められるための変身ではなかった。主人公が自分の暮らしへ少しずつ関わり直すことに重きがある。人の視線に合わせて外見を整えることと、自分の意思で選ぶことを区別すると、一節の意味が明確になる。
この名言の現代的な解釈|見た目への圧力から距離を置く
SNSでは新しい服や身だしなみの提案が絶えず流れてくる。参考になる情報もあるが、他人と比べ続ければ、自分が本当に何を望むか分からなくなる場合がある。買う前に、誰のために必要なのかを考えることが一つの方法となる。
職場でも服装には一定のルールがあるが、それだけで人の能力や人柄を判断できない。場にふさわしい装いを考えることと、人を表面的な特徴で決めつけないことは両立する。見た目の評価を、人物全体の評価へ広げないという姿勢を持ちたい。
また、自己尊重を消費行動と結び付けすぎるのも危うい。新しい服を買わなくても、手持ちの服を手入れしたり、着心地のよいものを選んだりできる。自分を大切にすることは、高価な商品を持つこととは別だと理解できる。
この名言を日常生活で実践する方法|自分の選択を一つ増やす
次に服を選ぶときは、誰かにどう見られるかだけでなく、自分がどう過ごしたいかを考えてみよう。気温や移動のしやすさも大切な条件になる。見た目と実際の暮らしやすさを両方確かめることで、選ぶ理由が見えやすくなる。
服に限らず、毎日の生活で自分の希望を反映できることを一つ見つけたい。食事の時間や休憩の取り方、好きな本を手に取る時間でもよい。小さな選択を重ねながら、今の自分に必要なものを考えることが実践の第一歩だ。
一人の人が多面的な自分を持つという視点は、朝野幸一が自己理解について語った記事とも響き合う。人の姿を一つのラベルへ閉じ込めず、自分の好みや変化に気づくことが大切だ。
まとめ|自分のために選ぶという自由
「自分自身をいかに大事にしているかということにつながってきますから。」は、2026年10月26日公開「好書好日」のペク・ヒナ本人インタビューで、服を物語の題材にした理由を述べた一節だ。値段やおしゃれの評価ではなく、装いと自己尊重の関係を説明した発言である。
ペクは服を身につけることで主人公が自分の暮らしへ向き合う様子を、手作りの人形とセットによって描いた。そこには、外からの評価より自分の気持ちを丁寧に扱うという視点がある。身近な道具から自己理解を考えられるということだ。
誰かの目を意識することがあっても、それだけで選択を決める必要はない。自分の暮らしに合うものを、自分の理由で選ぶという小さな自由を、この言葉は思い出させてくれる。