はじめに|建築家の役割は、立派な建物をつくることだけなのか
「被災者の居住環境を改善することは、建築家にとって当たり前の役割」。建築家の坂茂が、災害支援を続ける理由について語った言葉です。建物の見栄えや賞の評価よりも、そこで暮らす人の尊厳や安全に目を向ける姿勢が、この一節には表れています。
坂は世界各地で美術館や公共施設を設計する一方、紙の筒を建築材料に使った避難所の間仕切りや仮設住宅にも取り組んできました。一流の建築と被災者支援を別の職業に分けず、同じ専門知識を使う活動として考えている点が特徴です。
この記事では、2024年に雑誌『サライ』が掲載した本人インタビューを出典に、2013年の本人取材、2014年のプリツカー建築賞の記録、本人の設計事務所の資料と照らし合わせます。言葉の出典と、そこから現代の仕事に生かせる解釈を分けて読み解きます。
出典は『サライ』2024年9月号の坂茂本人インタビュー
出典確認済みの根拠:小学館『サライ』2024年9月号から転載された本人インタビューの「災害支援活動を続けて30年になります」という質問への回答に、坂茂の発言として「被災者の居住環境を改善することは、建築家にとって当たり前の役割であり、責任を果たすことでもあります」と掲載されています。小学館の掲載本文で確認できます。
記事がウェブ上で公開された日は2024年12月29日ですが、掲載元として示されているのは『サライ』2024年9月号です。雑誌の号数とウェブ版の公開日を混同せず、発言日が特定できたかどうかも区別します。
見出しの短句は、本人の長い回答の途中から取り出し、読みやすさのため助詞を一部省いた要約的な表現です。本人の逐語発言は本文で示した長い一節であり、見出しの文面すべてを逐語引用とは主張しません。同じ取材では、医師が患者を救おうとすることとの比較も語られています。
紙管の間仕切りは何を守るためにつくられたのか
避難所で大勢が一つの空間を共有すると、着替え、睡眠、家族の会話など、普段は人目を避けられる時間も公開された状態になりがちです。2024年の本人取材で坂は、紙管のフレームに布を掛けて区切ることで、避難生活のプライバシーを確保する発想を説明しています。
紙管は軽く、運びやすく、組み立てるための特別な設備を抑えられます。ただし、材料が安いという理由だけで使ったのではありません。避難所にいる人が実際に使えること、設置の負担が小さいこと、暮らしの質が改善することが重要でした。
この仕組みがすべての避難所や災害に同じ形で使えると断定することはできません。運営体制、床面積、避難者の状況、安全確保など条件が変わるためです。素材の意外性よりも、現地の条件に合わせて生活の困り事を減らす設計として理解したいところです。
「紙で建築」という発想は、奇抜さのためではない
日商『月刊石垣』2023年8月号の坂本人インタビューでは、展覧会の設計をきっかけに、使い終わった紙のロール芯を建築材料として研究するようになった経緯が語られています。限られた予算と、展示が終われば廃材になるという課題を同時に考えたことが出発点でした。
紙管には強度や加工のしやすさなどの利点がある一方、防水や防火を含めた適切な構造設計が必要です。坂は設計事務所の仕事と並行して材料と構造の工夫を続けてきました。身近な素材を使うことは、専門的な安全評価や技術を省くという意味ではありません。
発想の新しさだけに注目すると「紙で家を建てるのは面白い」で終わってしまいます。しかし設計上の問いは、誰が組み立てるか、どれほどの期間使うか、どんな条件で生活するかという現実の課題です。革新性を、使う人への価値として検証することが大切です。
1994年のルワンダから、1995年の神戸、2011年の東日本へ
坂の設計事務所の公式経歴やプリツカー賞の2014年公式紹介によると、1994年のルワンダ難民問題への関心をきっかけとして、避難生活の改善を目的とする設計を進めました。1995年の阪神・淡路大震災では神戸で紙管を用いた仮設住宅や教会に取り組みました。大きな建物が建つ前の段階に、住まいを必要とする人がいるという問題を見ています。
2011年の東日本大震災では、体育館などの避難所に間仕切りシステムを設置する活動や、宮城県女川町での仮設住宅設計にも関わりました。災害の規模や場所が変わっても、現地で生活する人の環境を改善するという目的が活動をつないでいます。
ただし、各地の活動にはそれぞれ異なる運営主体、地域の人々、学生や協力者が関わっています。これらを坂一人で成し遂げた仕事として語るのは不正確です。設計者の発想を評価することと、現地で実装した多くの人の役割を認めることは両立します。
建築を社会の役に立てるとは、きれいごとだけではない
ART iTの2013年本人インタビューで坂は、特権的な人々の建物だけをつくる役割への違和感と、被災地で活動するNGOを立ち上げた理由を説明しています。建築家の社会的責任は自分自身の活動に反映されていると語った点が、2024年の言葉を理解する手掛かりになります。
同じ2013年の取材では、行政から提案がすぐ受け入れられない問題にも触れています。良いと信じる設計を考えても、決裁、資金、施工、人員の壁に直面します。使命感だけで解決しないため、実際にモデルを作って、改善できることを示すという行動が必要でした。
とはいえ、緊急時だからといって法令、安全基準、被災した人の意思を無視してよいという意味にはなりません。専門家が善意で動く際にも、説明責任と協力者との合意を欠かせないことを忘れずに読みたいところです。
2024年の能登の支援活動にも続く問題意識
『サライ』の2024年取材では、能登半島地震の被災地で紙管の間仕切りや木造仮設住宅に取り組む様子が語られています。復興後の象徴的な建築物だけではなく、復興を待つ間の人の生活も設計の対象になるという点が見えてきます。
坂は仮設住宅の使用期限が終わった後も、建物を使い続けられる可能性についても説明しています。短期利用のためだけにつくるのではなく、後の地域の暮らしと資源の使い方まで考える視点です。今すぐ必要な場所をつくることと、無駄を減らすことを同時に考える試みでした。
2024年の取材内容から、2026年現在のすべての計画が完成しているとは断定できません。発言当時の進捗と、その後の施工・利用の現状は別に検証すべきものです。本記事では2024年時点の本人説明として扱います。
まとめ|仕事の対象を、使う人の生活から考える
出典判定:坂茂が「被災者の居住環境を改善することは、建築家にとって当たり前の役割であり、責任を果たすことでもあります」と述べたことは、小学館『サライ』2024年9月号の本人インタビューを転載した2024年12月29日の公開本文で確認できます。出典確認済みタグ114を設定します。
主要資料は『サライ』の本人取材、日商の2023年本人取材、ART iTの2013年本人取材、プリツカー賞公式紹介です。本人の発言と後年の実績、報道による評価を区別して参照しています。
この言葉は、特定の職業だけに無制限の自己犠牲を求めるものではありません。自分の技能を誰のどんな困り事に生かせるのか、目の前の人の生活から問い直すという職業観を考えるきっかけです。別の分野の役割観を知るには吉岡秀人「自分の仕事のすべてが命につながっている」が参考になります。また安藤忠雄「100歳まで青春でいいんです」では、同じ建築家が語る別の主題を読み比べられます。出典の考え方は出典ステータスガイドにまとめています。