「この世は生きるに値するんだ」は、どこで語られたか
「この世は生きるに値するんだ」。この言葉は、アニメーション映画監督の宮崎駿が、2013年9月6日に行った長編映画からの引退会見で語った一節です。出典は作品の登場人物の台詞ではなく、宮崎本人の記者会見での回答です。映画の名場面と混同せず、なぜ制作を続けてきたのかという質問への答えとして読む必要があります。
会見の記録では、記者から、最も思い入れのある作品や作品を通じて伝えたかったことを尋ねられ、宮崎は『ハウルの動く城』への複雑な思いを語った後、児童文学に影響を受けてアニメーションの世界へ入ったと振り返っています。そこで子どもたちに生きる価値を伝えることが、自分たちの仕事の根幹だと説明しました。
この言葉には、子どもはいつも明るく育つべきだという命令も、人生には苦しいことがないという約束も含まれていません。作品を作る大人が、世界に向けて何を差し出そうとしているかを表した言葉です。その違いを押さえると、短い標語では見えにくかった仕事への姿勢が浮かんできます。
2013年の引退会見という、発言の背景
2013年の会見は、映画『風立ちぬ』公開後、宮崎が長編アニメーション制作からの引退を表明した場でした。身体的な負担や制作にかかる時間について問われる一方、どんな表現を追い求めてきたのかという質問も続きました。人生の終わりを語る場ではなく、一つの制作活動を区切ろうとする場だったのです。
「この世は生きるに値するんだ」は、最も好きな作品は何かという質問への単純な回答でもありません。宮崎は、自身の作品がすべて思い通りになったとは述べず、『ハウルの動く城』では表現上の苦闘があったと話しています。作品への反省や迷いを抱えながらも、子どもへ伝えたい核は変わらなかった、という流れです。
そして、この引退表明を宮崎の創作活動の最終地点だと現在の読者が思い込むのも正確ではありません。スタジオジブリの公式沿革は、2017年に長編制作を再開する判断があったことを記録しています。当時の会見での真剣な決断と、その後の再開は別々の時点の事実です。後年の展開を知っていても、2013年の言葉を軽い冗談として読み替える必要はありません。
「値する」という言葉は、楽観の押し売りではない
「生きるに値する」とは、苦しみのない世界だけが存在するという意味ではありません。日々の生活には理不尽な出来事も、失敗も、悲しみもあります。それらがあるからといって世界を描くことをあきらめない。厳しい現実を消去せずに、なお生の価値を伝えようとするという方向にこの言葉を読むことができます。
会見の別の問いへの回答では、宮崎は、子ども時代に読んだ英国の作家ロバート・ウェストールの作品に触れ、世の中の厳しさと、人がそこを生きていくことの難しさについて述べています。そこで強調したのは、自分が独力で立派な思想を発明したわけではなく、本や映画から受け取ったものを、次に手渡しているという見方でした。
この点は、名言に作者一人の思想をすべて閉じ込めてしまう読み方への注意にもなります。作品を作る人も、先人の作品や他者の声を受け取りながら考えています。名文の出典を確かめることは、誰が最初に思いついたかを競うことではなく、どう受け継がれたかを知ることでもあります。
子どもへ伝えるからこそ、複雑な物語が必要になる
子どもに希望を伝えるなら、登場人物がいつも優しく、悪いことが起こらない物語にすればよいのでしょうか。そうとは限りません。危険や葛藤が描かれるからこそ、誰かを助けたい気持ちや、自分の選択に責任を持つ姿も見えてきます。生きる価値を示すことと、現実の難しさを隠すことは別です。
宮崎の作品には、飛行や移動、自然と人間の関係、争い、別れ、成長など、さまざまな要素が描かれます。しかし、この会見の一言だけを根拠に、個々の映画の細かな場面すべてが同じ主題の説明だと断定すべきではありません。監督の制作観と、各作品の登場人物が何を語ったのかを区別すると、作品ごとの違いを尊重できます。
また、子どもに向けた作品を大人が楽しむことにも矛盾はありません。明るい結末にだけ救いがあるわけでもありません。世界の複雑さに触れながら、もう一度誰かと関わろうとする。そのような読みを可能にすることが、「生きるに値する」と感じる余地を観客へ残すことにつながるのではないでしょうか。これは会見を踏まえた読解であり、宮崎本人の逐語的な説明ではありません。
仕事や日常で考えるなら「何を手渡すか」
仕事の成果を評価するとき、完成したものの数や売上だけを見ることがあります。しかし、教育、医療、サービス、ものづくりの仕事には、受け手が何を得るのかという問いもあります。宮崎の発言を日常へ引き寄せるなら、自分がしていることは、相手に何を感じたり考えたりする機会を届けるのかを点検する手がかりになります。
たとえば、子どもに何かを教えるとき、正解を急いで説明するより、一緒に見て、疑問を話し合う方がよい場面もあります。ただし、これは教育方法についての検証済みの一般法則ではありません。映画制作の言葉を、そのまま万能の育児法や組織運営の公式にしないことが大切です。
もう一つ考えたいのは、受け取ったものを次へ渡すという感覚です。自分が本や映画で励まされた経験があるなら、誰かのために小さな作品や言葉を残すこともできます。大きな希望を証明してから動くのではなく、相手の生を尊重する形で何かを作る。そうした日常的な選択として、この会見の一節を読み直せます。
原典と、人物・映画ジャンルへの案内
原典確認の根拠: 2013年9月6日の宮崎駿引退会見を当日取材して記録したITmedia NEWSの会見全文(第3頁)と、シネマトゥデイの会見一問一答を照合しました。いずれも本人が児童文学の影響を語った後、子どもたちへ「この世は生きるに値するんだ」と伝えることを制作の根幹としていたと記録しています。
会見当日の報道としてはデイリースポーツの現地記事も同じ発言を紹介しています。後年の制作再開についてはスタジオジブリ公式「スタジオジブリの歴史」で確認できます。発言の当日記録と後からの活動経緯は別資料です。逐語表記には報道媒体間でわずかな句読点差があるため、独自の全文引用を作っていません。
監督の歩みからほかの発言へ進むなら宮崎駿の人物ガイドへ。登場人物の台詞や映画の主題と比べて考えるときは映画の名台詞・映画人の言葉を入口にできます。監督本人が会見で語った言葉と、映画の中で人物が語った言葉を分けて読むことが、この一節を丁寧に受け取る第一歩です。