松井秀太郎「言葉にできない感情や想いがあっても、音楽が関わることで向き合える」|2024年ヤマハ本人取材

「言葉にできない感情や想いがあっても、音楽が関わることで向き合える」の出典

トランペット奏者の松井秀太郎は、言葉にならない気持ちと音楽の関係について語っています。ヤマハミュージックメンバーズが2024年9月2日に公開した本人インタビューで、「言葉にできない感情や想いがあっても、音楽が関わることで向き合える」と述べました。これは歌詞の一節でも、別の音楽家から借りた格言でもなく、演奏家自身の回答です。

質問は「松井さんにとって『音』や『音楽』とは?」というものでした。松井は、楽しいときだけでなく悲しいときにも音楽が身近にあったことを振り返っています。音楽がいつでも気分を明るくするという話ではなく、いろいろな感情に向き合うきっかけになるという語りです。

公開当時の松井は、クラシックからジャズへと表現の幅を広げていた若い奏者でした。インタビューの他の質問では、日頃の練習や即興演奏についても話しています。心に寄り添う音楽と、練習を必要とする演奏活動を分けずに語っている点を押さえると、この言葉を単なる癒やしの標語にしないで読めます。

感情を言葉にすることと、音で向き合うこと

悲しい理由や嬉しい理由をすぐ説明できないことはあります。思い出が複雑だったり、まだ何が起きたのか整理できなかったりする場合です。そんなとき、聴き慣れた曲や演奏から自分の気持ちに近いものを感じることもあるでしょう。説明しきれない気持ちに、別の表現から近づく余地があるという考え方です。

一方で、松井は音楽が万能だと断言したわけではありません。本人の答えは、自分の生活が幼い頃から音楽と一緒にあり、さまざまな場面で助けられてきたという経験にもとづきます。その人にとって音楽が支えになったという事実と、すべての人に同じ効果があるという主張は別にしておきたいところです。

音楽に感情を重ねるとは、曲の正しい意味を一つ決めることでもありません。同じ旋律を聴いても、ある人は懐かしさを感じ、別の人は緊張を覚えることがあります。音楽を聴いた人がそれぞれの経験を持っているからこそ、言葉だけでは説明しづらい感覚にも出会えるのではないでしょうか。これはインタビューを踏まえた編集上の読みです。

ホルストの組曲を、練習の基準として演奏する

同じ取材で松井が繰り返し聴き、演奏してきた作品として挙げたのが、ホルストの『吹奏楽のための組曲』でした。第一組曲と第二組曲の双方を念頭に、シンプルに聞こえても表現する要素の多い作品として話しています。好きな曲というだけでなく、自分の演奏の状態を確かめる作品にもなっていました。

思いどおりに演奏できないときや、コンディションを戻したいときにも、その作品へ立ち返ると説明しています。いつも同じ曲を吹けば必ずよい演奏になるという意味ではありません。何度も向き合ってきた音楽を、自分の変化を知る手がかりにするという経験が語られています。

この話は、「音楽が感情に向き合う助けになる」という言葉を、受け身で聴くことだけに限定しない視点も与えます。奏者にとっては、楽器を構え、息や指の動きを確かめ、音を出すこと自体が音楽との関わりです。表現することと、自分の状態を確かめることが重なる瞬間もあるのでしょう。

クラシックからジャズへ|即興演奏で感じた自由

松井はクラシックを学んだ後、ジャズに出会ったときの驚きも語っています。特に印象に残ったのは、決まった形に縛られずに演奏が始まり、相手の音によって自分のフレーズも変わっていく即興の面白さでした。自分一人で完結する演奏ではなく、相手の音を聞いて次の表現を選ぶところに魅力を感じたのです。

ただし、クラシックには自由がなくジャズだけが自由だ、と述べたわけではありません。インタビューでは、楽譜に沿う演奏にも大きな自由があると話しています。楽譜に記された音と、それをどのように生きた音楽にするかは同じではない。形式が違っても、演奏者の表現を単純に序列化しない姿勢が見えます。

この観点は、指揮者の考え方とも読み比べられます。当サイトの小澤征爾「楽譜どおりだけでは演奏にならない」では、楽譜の内容とそこから生まれる音楽的な解釈の違いを扱っています。松井のジャズへの驚きと小澤の演奏観は別の場で語られたものですが、両者を比較すると音楽の自由について複数の入口が得られます。

音楽の楽しさには、努力や支えも含まれていた

音楽は楽しいものだという言い方には、練習の苦労が消えてしまうことがあります。しかし松井は、思いどおりに演奏するためには相当な練習が必要だとも認めています。好きなことを続ける喜びと、望む表現に届かない難しさは両立するという感覚です。

子どもの頃、休み時間にも音楽室へ通い、友人とアンサンブルをしていた思い出をインタビューで語りました。後から先生に再会した際、その先生が昼休みに彼らを見守るため待っていたことを知ったとも話しています。一人の才能だけでなく、表現に向き合える場所を用意した大人の存在も、本人が振り返った経験の一部でした。

音楽が生きていくうえで欠かせない存在だと感じる人もいれば、そうでない人もいます。また、好きなことだからといって無制限に努力できるわけではありません。誰かにとって大切なものを尊重しながら、その人が続けられる環境も見ることが、この取材を身近な生活へ引き寄せる一つの方法です。

原典と、音楽家の言葉を読み広げる入口

原典確認の根拠: ヤマハミュージックメンバーズ「今月の音遊人:松井秀太郎さん」(2024年9月2日公開)のQ2「松井さんにとって『音』や『音楽』とは?」に、本人の回答として「言葉にできない感情や想いがあっても、音楽が関わることで向き合えるというか」と記されています。記事タイトルに用いた一節は末尾の語尾を見出し用に省いた表現であり、本人の語りの全文を置き換えた逐語引用ではありません。

同じ原典のQ1にはホルストの組曲、Q3にはクラシックとジャズの即興の違い、Q4には子ども時代の音楽室の思い出が掲載されています。別々の質問への回答を、ひと続きのスピーチとして接ぎ合わせていません。公開時点の出演やアルバム発売予定も、その後の最新活動と混同しないよう2024年の記録として扱います。

ほかの演奏家が感情や経験をどう捉えたかを読みたい方は、小澤征爾「音楽は非常に『個』の強いもの」も参考になります。音楽家本人の発言をさらに探す場合は音楽家・歌手の名言へ。音楽の魅力を語った本人の発言と、曲の歌詞や物語の人物の言葉は区別して読むことで、言葉の出典を追いやすくなります。

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