はじめに|思い出せない道をもう一度歩く
「この道はいつか来た道」。北原白秋が書いた詩『この道』の冒頭である。目の前の風景を見たとき、初めての場所のはずなのに、以前にも通った気がするという感覚を短い一節へ凝縮している。山田耕筰が曲を付けた童謡・歌曲としても長く親しまれてきた。
「この道」と指し示しながら、その場所の名前は言わない。「いつか」という言葉によって、記憶の時期もはっきりしない。場所も日時も限定しないことで、読み手自身が懐かしい道を思い浮かべられるという特徴がある。
ただし、この表現は北原白秋が人生訓として発言した記録ではない。詩の一節として書かれ、のちに歌曲の歌詞としても歌われてきた言葉である。誰のどの作品にあるのかを確かめたうえで、その響きを考えたい。
原典|1926年の詩と1927年の歌曲
ピティナ・ピアノ曲事典「この道」は、白秋の詩が1926年8月の『赤い鳥』に発表され、山田耕筰が1927年2月24日に曲を付けたと記録する。詩としての発表と歌曲の成立を同じ年の出来事にしないことが重要である。
国立情報学研究所の書誌「この道」では、北原白秋作詩、山田耕作作曲の『日響樂譜』第106号が1928年に刊行されたと確認できる。全音楽譜出版社の公開楽譜見本にも、冒頭の「この道はいつか来た道」に対応する歌詞が記されている。作者と作品名、歌詞の冒頭を、楽譜の書誌と掲載資料で照合できる。
一方、1926年の『赤い鳥』初出号そのものの紙面は、ここでは直接照合できていない。初出誌の現物を確認したと誤って主張せず、発表年は音楽資料の研究・書誌から、言葉は公開楽譜から確認したと区別するのが正確だ。
「この道」|名前のない場所が呼び起こすもの
詩は「あの道」ではなく「この道」と呼ぶ。語り手にとって、その場所が今まさに目の前にあることが伝わってくる。遠い昔を回想する言葉と、現在見ている景色が一つに重なる点に意味がある。
固有名のない道は、読者によって姿が変わる。山道を想像する人も、子どもの頃に歩いた街角を思い出す人もいるだろう。場所を一つに決めないことは、記憶が人ごとに異なるという事実と相性がよい。
ただし、詩の舞台をどこでもよいと無条件に断定する必要もない。歌詞に出てくる植物や時計台は、作者が見聞きした風景と結びつく可能性がある。作品内の言葉から考えられることと、具体的なモデルを資料で特定することは別の問題となる。
「いつか来た」|思い出しきれない時間
「いつか来た道」という言い方は、確かに知っているという断言と、正確には思い出せないという不確かさを同時に含む。過去の記憶が現在の風景によって少しずつ呼び戻されるような動きを感じさせる。
人は古い写真や音、匂いに触れたとき、その場で以前の出来事を思い出すことがある。しかし、その記憶がいつの出来事かまでははっきりしない場合もある。細かな事実を思い出せなくても、懐かしさという感情だけが先に訪れることはある。
だからといって、語り手が完全に同じ道を以前歩いたと史実として証明されたわけではない。詩には記憶が作り出す印象も含まれる。実際の旅行記録と、作品が読者へ届ける追憶の感覚を混同しないことが大切だ。
「ああ、そうだよ」|自分の中で響く答え
冒頭の問いかけの後には「ああ、そうだよ」という応答が続く。語り手は目の前の風景を確かめながら、自分の中に残っていた記憶へ近づいていく。分からないと思っていたことが、声に出すうちに少しずつ形になるという印象を与える。
この返事は、誰か別の人物が会話に参加したという証拠ではない。詩の中で誰が話しているのかを明確にしないことで、読み手自身の心の中の声としても響くという読み方ができる。
歌曲になると、旋律や休符によって、問いと答えの間の時間が感じられる。詩として目で読むときと、音楽として耳で聞くときでは、同じ言葉でも届き方が変わる。ただし本記事では楽曲を演奏せず、言葉の構造を中心に読む。
北海道の情景と母の記憶をどう扱うか
詩にはアカシアの花や白い時計台などが現れる。童謡『この道』を扱う大学の研究論文は、1925年の北海道旅行と札幌の情景に触れている。北海道という解釈には資料上の背景があるが、詩が表す記憶を一枚の地図へ押し込める必要はない。
山田耕筰は『この道』の歌曲について、自分の母を慕う思いにも触れていると伝えられる。ただし、作曲者の個人的な感情をそのまま白秋の詩の唯一の意図と決めることはできない。詩を書いた人と曲を付けた人の経験を分けて考えることが大切だ。
別の作品として、北原白秋「からたちの花が咲いたよ」も山田耕筰の歌曲と結びつく。同じ作者の歌詞でも、描かれた景色や語りかけ方は違う。一曲だけで白秋の童謡全体を説明せず、表現の違いを読み比べたい。
まとめ|道を思い出すことは自分を思い出すこと
「この道はいつか来た道」は北原白秋の『この道』の冒頭に置かれた表現だ。目の前の風景と過去の記憶が重なり、はっきりしなかった思い出へ近づく感覚が、短い言葉に残されている。
詩が1926年の『赤い鳥』に掲載され、1927年に山田耕筰が作曲した経緯を知ると、文字で読む詩と歌われる作品の二つの姿が見えてくる。詩の言葉を原点として尊重しながら、音楽によって広がった受け取られ方も区別して考えるのがよい。
原典照合:全音楽譜出版社「この道」楽譜見本、『日響樂譜』第106号の書誌、ピティナ作品解説。タグ114根拠:公開楽譜の歌詞に「この道はいつか来た道」の冒頭を確認し、1928年の同曲楽譜に北原白秋作詩・山田耕筰作曲の書誌を照合。1926年初出誌の紙面は未直接確認。詩歌のハブから別の作品も探せる。