はじめに|AIが便利になったとき何が残るか
理化学研究所の研究者・平島敬也は「研究者自身の知識や経験の多様性が相対的に重要になってくる」と語った。AIを研究に使う場面が増え、一定の作業を手軽に進められるようになった先を見据えた言葉だ。道具が同じように使えるほど、何を知り、どんな経験を持ち寄るかが意味を持つという逆説が含まれている。
ここでいう「相対的に」は重要である。昔より知識が絶対的に重要になったと断定するのではなく、道具で代替できる作業が増えることで、知識や経験の役割が比較して大きく見えるという話だ。すべての仕事がAIで消えるという予言ではなく、価値の配分が変わるという見通しとして理解したい。
AIを使えば誰でも結果を得やすくなる一方で、同じ道具に同じ問いを投げても、適切な入力や検証なしには信用できる答えにならないことがある。研究では問題を選ぶこと、比較対象を考えること、予想と異なる結果を解釈することも必要だ。計算の速さだけでは研究の全体像を説明できない。
この発言はAIを否定しているわけでも、人間の直感だけを礼賛しているわけでもない。平島自身がAIとスーパーコンピュータを融合する研究を進めている。AIを活用する立場から、AIを使う人の専門性を問い直す点に説得力がある。
原典|理研の2026年10月2日付インタビュー
出典は理化学研究所が2026年10月2日に掲載した「AIとスパコンで迫る天の川銀河の進化」である。平島敬也基礎科学特別研究員の研究を紹介した公式記事で、末尾近くのAIと研究者の関係を語る段落に該当文がある。発表機関、公開日、話者、掲載位置を直接確認できる。
記事が紹介するのは、AIとスーパーコンピュータの計算を組み合わせた銀河シミュレーションの研究である。星やガスなど多数の要素が相互作用する系を計算するために、研究者は効率的なモデルを開発した。実際に計算手法を開発した研究者が、AIの役割を考えているという前提は重要だ。
同じ発言で平島は、AIが科学を始める際のハードルを下げ、研究活動で便利な道具になったとも述べる。したがって対象の一節だけを取り出し、AIは役に立たないという記事にするのは誤読となる。便利さを認めたうえで、残る難しさを見定める順序を守りたい。
なお、この言葉は研究者個人の見通しであって、全学問分野で同じ比率の変化が起きると実証した研究結果ではない。掲載記事は研究成果の紹介と本人の考えを併せたもので、両者を区別する必要がある。観測された研究成果と、これからの職能に関する予測を混同しないことが出典を読む態度だ。
意味|道具が広がるほど問いの質が問われる
高度な計算が安く速くできるようになると、以前は計算に時間を費やしていた部分を減らせるかもしれない。しかし、何を調べ、結果をどう評価するかは別の判断である。効率化で生まれた時間を、新しい問いや検証へ向けることが研究の価値につながる。
「知識や経験の多様性」とは、単に多くの専門用語を覚えることではないだろう。別の分野の現象を知り、失敗や試行錯誤を経験し、複数の方法を比べたことが、新しい発想の入口になる。知識が多いかどうかだけでなく、異なる知識をどう結びつけるかが考えられる。
ただし、多様な経験があれば検証なしで正しい答えを得られるわけではない。科学研究では再現性、観測との比較、計算上の仮定の吟味が必要となる。AIの導入後も、その条件は消えない。独自性と厳密さの両立が人間の研究者にとって引き続き課題になる。
研究者を一人の天才として描くことにも慎重でありたい。大型計算機の運用、観測、ソフトウェア開発などには複数の専門家が関わる。多様性が重要だという一節は、個人の経歴だけでなくチームの構成にも開けている。異なる能力を持つ人が互いに検証し合える環境という論点を残している。
実践|AIを使う側に残したい問い
日常の情報収集でも、検索や文章生成が速くなるほど、最初に目的をはっきりさせる必要がある。何を知りたいのか、その答えを何に使うのか、どの資料なら確かめられるのかを決めておかなければ、便利な道具だけでは判断できない。問いを立てる工程を省略しないことが重要だ。
また、AIが出した結果がもっともらしく見えるほど、根拠をたどる習慣も必要になる。研究とは規模が違っても、主張が事実に基づくか、前提条件が合っているかを確かめる姿勢は共有できる。結果を受け取る速さではなく、確かめる方法を持つことを意識したい。
ただし、すべての人に幅広い学習を無限に要求するのは現実的ではない。専門を深める時間と、新しい分野に触れる時間には限りがある。自分の判断に不足する知識は他者に尋ねることも一つの方法だ。一人で万能になるのではなく、異なる専門性に接続するという選択もある。
同じAIをめぐる言葉でも、谷中瞳の「判断に至った理由を説明できること」は、結果の説明責任に焦点を合わせている。平島の言葉は、研究者が何を持ち寄り、どんな問いを考えるかに注目する。説明可能性と知識・経験の多様性を別々の論点として読めるよう、内部リンクを設けた。