三舩優子「自分がその曲をやりたいかどうかという気持ちを大事にしてほしい」の意味と出典|演奏を選ぶ主体性

自分が弾きたい曲を選ぶ、という言葉

ピアニストの三舩優子は、若い演奏家への思いとして「自分がその曲をやりたいかどうかという気持ちを大事にしてほしい」と語った。コンクールでの評価も大切だが、それだけで演奏する曲を決めないでほしいという文脈である。誰かに認められるための選曲と、自分が作品へ向き合いたいという思いを区別する言葉だ。

ピアノの学習では、課題曲や試験、コンクールという目標を持つことがある。それらは練習を続ける助けになる一方、曲を演奏する目的そのものと一致するとは限らない。結果を得るために弾くのか、音楽を深く知りたくて弾くのかを、自分の中で問い直す視点が重要になる。

「好きな曲だけを弾けばよい」という単純な助言ではない。新しい曲に出会うために、最初は苦手な音楽を学ぶこともある。自分の気持ちを持つことは、難しい課題から逃げることではなく、学びの意味を自分の言葉で確かめることでもある。

三舩がこう語る背景には、長年にわたり演奏と教育の両方を経験してきた歩みがある。ただし、その経験を全ての音楽教育に共通する正解として押し付けるべきではない。本人が学生へ伝えたい価値を、特定の教育経験に根ざす提案として受け取ることが大切だ。

原典|2026年10月9日付ジャパン・アーツ取材

原典はジャパン・アーツ公式の「三舩優子インタビュー【前編】」で、公開日は2026年10月9日。アメリカで受けた教育について答える箇所に、今回の一節が本人の言葉として掲載されている。話者、日付、掲載先、質問と発言の対応を直接確認できる。

三舩は幼少期から音楽に親しみ、7歳頃からニューヨークで学んだと説明する。先生への尊敬がありながら、生徒も自分の意見を持つ教育を経験したという。教師の判断に従うだけでなく、自分の感じたことを言葉にする習慣が重視されていたことがうかがえる。

記事では、演奏会の感想を尋ねられたとき、単に良かったと言うのではなく、どこが良かったのかを説明する必要があるとも述べている。曲を選ぶ主体性と、聴いた音楽を自分で評価する主体性が、同じ教育観としてつながっていると読める。

この取材は音楽事務所が掲載した編集済みの本人インタビューであり、アメリカの教育制度全体を実証した調査ではない。三舩が体験した授業や先生との関係を、あらゆる教室で共通する制度の特徴と断定しないようにしたい。

敬意と自己主張は両立する

三舩はアメリカでは先生へのリスペクトを根底に感じながら、生徒との対等な関係があるとも語る。尊敬する人の考えを受け入れることと、自分の考えを述べることは必ずしも矛盾しない。相手から学ぶためにも、自分が何を理解し、何に疑問を持ったかを示すことができる。

たとえば、同じ演奏を聴いても、音色を印象深く感じる人もいれば、旋律の運びや構成を重視する人もいる。違う感想があること自体が失敗ではない。具体的に何を聴いたのかを説明することで、感想は次の対話の材料になる。

もちろん自己主張が強ければ音楽家として優れている、という話ではない。他者の演奏をよく聴き、理由を考える姿勢が必要だ。意見を持つことと、考えを修正する余地を残すことを同時に大切にする読み方がふさわしい。

三舩は大学でも学生を教えていると述べ、殻を破ることを願っていた。その言葉を派手な演奏を勧める指示とだけ捉えないようにしたい。自分の判断で選び、学び、説明できる演奏家になることが、発言から考えられる方向である。

師匠の言葉から見えてくる練習の意味

同じインタビューでは、三舩が安川加壽子に師事した経験も紹介される。楽譜への書き込みや、無駄のない指導によって演奏が変わることに感動したという。一人で考えることと、他者から技術や表現を深く学ぶことは対立しない。

コンクール本選前、安川が「最後は開き直りよ!」と声をかけた思い出も三舩は紹介している。ただしこの言い回しは安川自身の言葉として回想されている。三舩自身の発言と、恩師から受け取った助言の帰属を区別する必要がある。

練習では音の出し方を細かく考える時期があっても、本番では全体の音楽へ意識を向けることがある。師匠の助言もそうした切り替えの経験として読める。準備を丁寧に重ねた先に、自分の判断で音を出す瞬間がある。

とはいえ、すべての演奏の悩みが心構えで解決するということではない。身体の使い方や作品の理解、練習時間など具体的な条件もある。精神論だけに還元せず、本人が伝える学びの全体像を踏まえることが大切だ。

ほかの音楽家の言葉と響き合うもの

三舩の一節は、自分が演奏したいと思える曲へ向き合う理由を問い直させる。人に評価される活動の中でも、なぜその作品を選ぶのかを忘れないための言葉だ。目標の達成と、音楽を好きでいる理由を切り離して考える入口になる。

牛田智大のブラームス後期曲集への解釈は、作品に付いた定評をそのまま受け取らず、自分がどう感じるかを語る。他者の評価を学びつつ、自分の耳から新しい問いを立てるという点で三舩の言葉とつながる。

金子三勇士の「人間から人間へ届く音楽」をめぐる問いは、誰にどんな音を届けるかを考える。弾きたい曲を選ぶことと、その曲で人へ何を届けるかを考えることを並べられる。

コンクールを否定するのでも、先生から独立すればよいと急かすのでもない。三舩が求めたのは、自分の意見や興味を練習の中に残すことだ。学ぶことを誰かから与えられた課題だけにせず、自分自身の音楽へ育てていく姿勢が伝わってくる。

ほかの記事を探す

記事の訂正・出典情報は、お問い合わせから該当記事のURLと根拠資料をお知らせください。