「一度は全部試してみる」という姿勢
俳優の伊東蒼は、監督や演出家から異なる演技の方法を提案されたとき、「一度は全部試してみる、ということを自分の中で決めています」と語った。最初に自分が考えた表現だけを守るのではなく、別の可能性を身体で確かめるという約束である。
この言葉は、他者に言われたことを無条件に信じるという意味ではない。伊東は自分より長く経験を積んできた人には、自分と違う世界が見えているかもしれないと考えている。違う考えを聞いたら、まず実際に演じてみてから判断するという学び方だ。
役者が台本を読んで作る人物像には、自分なりの納得や解釈がある。しかし稽古は一人だけの場所ではなく、共演者や演出家が一緒に作品を形にしていく。解釈を持つことと、その解釈を変更できる柔軟さは両立するという考え方が読み取れる。
もちろん演出家の指示がいつでも適切とは限らない。安全や人権に関わる問題まで言われたとおりに試す必要はない。作品づくりにおける表現の提案を受け止める姿勢と、断るべき境界を守る判断は区別することが大切だ。
原典|Bunkamura公式2025年5月9日付取材
出典はBunkamura公式の「好きだからこそ続けたい 飽くなき芝居の道/伊東 蒼さんインタビュー」である。2025年5月9日公開、取材・文は市川安紀。「大切な『言葉』を糧に」の節に本人の発言を確認できる。掲載元、日時、発言者、原文の位置を特定できる。
取材では、伊東が子どものころからオーディションに挑戦し、映画『湯を沸かすほどの熱い愛』と『島々清しゃ』への出演を転機にしたと振り返っている。俳優やスタッフと共演するなかで、芝居は台詞を交わすときだけではないと学んだという。人の仕事から学ぶ姿勢は、初期の映画体験ともつながっている。
本人は映画『花戦さ』の現場で助監督から受けた励ましや、舞台『血の婚礼』の演出家が語った役への向き合い方も紹介している。ただし、これらは伊東の創作した名言ではない。本人の考えと、先輩やスタッフから教わった言葉の話者を混同しないことが必要だ。
この取材は本人の経験を紹介する編集済み記事であり、あらゆる稽古現場の運営方法を検証した調査ではない。伊東の仕事観を確認できることと、すべての演出方法の安全性や妥当性を保証することは異なると留保しておきたい。
一度試すからこそ、自分の違いが見える
演技の工夫を頭だけで比較していると、実際の声や動きがどう変わるか分からないことがある。伊東が「一度は全部試す」と決めているのは、言葉で聞いた助言を身体で確かめるためでもあるだろう。考えることをやめるのではなく、試してからさらに考えるという順序だ。
提案された方法を試しても、最終的に採用しない場合はある。どちらの演技が作品の意図に合うかを、共演者や演出家と話し合うこともできる。試行したこと自体を成功と呼ぶのではなく、選択の材料を増やす行動として理解できる。
また、異なる役を演じれば、自分の日常にはない感情や立場を想像する必要がある。伊東はもともと本を読むことや空想することが好きだったと説明している。知らない人物の世界を想像する好奇心と、実際に試す柔軟さが支え合っているのかもしれない。
ただし他者の提案を数多く試せば必ず上達する、という因果がここで実証されたわけではない。何を学んだかを振り返ることも重要だ。結果だけでなく、何が変わったかを感じ取ることで、経験を次へ生かす意味が生まれる。
「自分が役を代弁している」という責任
伊東は以前、泣きながら叫ぶ演技がうまくいかなかったとき、役の人生を最後まで演じるよう助監督に励まされたと振り返った。その助言を受け、役を代弁する責任を感じるようになったという。役を自分の成功のための道具ではなく、一人の人物として大切にする姿勢が見える。
この考え方には、自分の技術を磨くことだけでなく、物語に生きる人物へどう向き合うかという問いが含まれる。登場する時間が短くても、その人物には背景や思いがある。作品の中の他者を、単純な記号として扱わないことが俳優の仕事につながる。
一方で、役と自分を同じものだと考え続けなければならないという意味ではない。役を演じる仕事と、俳優自身の生活や感情には境界がある。人物を理解しようとすることと、現実の自分を守ることは両立できると考えたい。
伊東の言葉を受け取るときは、真剣に役を考えてきた経験と、他者の助言を試す姿勢が一つになっていることに注目したい。責任を持っているからこそ、自分の考えだけでは足りない可能性にも目を向けるのである。
柔らかくいることは、何でも受け入れることではない
伊東は「頑固にならず、柔らかくいることを心がけていきたい」とも語った。最初の解釈を持つことが悪いのではない。他者の視点が加わったときに、自分の理解を広げられる余地を残したいという願いだろう。
小野花梨「役の大小に関わらず、真摯に演技や表現に向き合っていれば誰かは必ず見ていてくれる」は、目立つ役でなくても誠実に向き合う仕事観を語る。役を大切にすることと、現場で他者から学ぶことの両方を考えられる。
伊原六花「自分が納得できるまで作品と役に浸りきること」は、役の理解に向かう姿勢を扱う。自分で納得するまで考えることと、違うやり方を一度試すことは対立しない点でつながる。
伊東の一節は、指示を待つだけの受け身の態度とは異なる。自分に見えていない世界を知るために、まず行動して確かめるという選択だ。自分の意見を持ちながら、別の可能性を試す勇気を失わない言葉として残る。