はじめに
「私たちは決して現在にとどまらない」。パスカル『パンセ』には、時間についての印象的な断片があります。
人は未来を先取りし、過去を引き留めようとする。その結果、「唯一自分たちに属する時間」である現在を考えずに過ごしてしまう。17世紀に書かれた文章ですが、単なる「今を生きよう」という標語よりずっと厳しい人間観が背後にあります。
未来を急がせ、過去を引き留める
パスカルは、人間は未来が来るのを遅すぎると感じて先取りし、過去が去るのを速すぎると感じて呼び戻す、と書きます。
その結果、自分たちに属していない時間の中をさまよい、唯一存在している現在を反省することなく逃してしまう。ここで批判されているのは、単なる予定の立てすぎではありません。
なぜ人は現在から逃げるのか
パスカル自身が理由を書いています。現在はしばしば私たちを傷つけるからです。苦しければ見ないようにし、楽しい現在であっても、それが消えていくことを惜しみます。
だから未来によって現在を支えようとする。しかし、その未来へ自分が到達できる保証さえありません。人間は現在を生きながら、現在だけでは満足できないという矛盾が描かれています。
「気晴らし」の思想とつながる
このサイトで別に取り上げたパスカルの「気晴らし」論では、人間は自分自身と静かに向き合うことを避け、仕事や遊びや競争へ注意をそらすと論じられます。
時間についてのこの断片も、同じ構造を持っています。現在が耐え難いから、意識を別の時間へ逃がす。場所や活動だけでなく、時間そのものも気晴らしになりうると読むことができます。
「今を楽しめ」という言葉ではない
この断片を「過去を後悔せず未来を心配せず、今を楽しもう」とだけまとめると、パスカルの問題意識が軽くなります。
彼が見ているのは、人間が構造的に現在から逃げる存在だということです。未来を計画すること自体を否定しているわけではありません。なぜ自分の思考がいつも「ここではない時間」に向かうのかを問いかけています。
まとめ
「私たちは決して現在にとどまらない」は、『パンセ』に確認できる真正なパスカルの言葉です。
過去を引き留め、未来を先取りし、現在を逃す。その観察は「気晴らし」と同じく、人間が自分の現在と向き合うことの難しさを描いています。パスカルを読むと、「今を生きる」というありふれた言葉が、少し違って見えてきます。
作品とテーマから読む
『パンセ』作品ページでは、この断片を「気晴らし」「考える葦」「心と理性」などとつないで読めます。「時間とは何か」では、セネカ、ボードレールと比較し、現在を失う問題が同じ結論へ収まらないことを考えます。
数学・科学・宗教思想を含む人物の入口はパスカル人物ページです。
原典と出典状態
パスカル『パンセ』「Vanité」第33断片(ラフュマ47/セリエ80/ブランシュヴィック172)の校訂本文に、該当するフランス語と、過去・未来へ意識を向けて現在を逃すという前後の文章があります。本文の「時間そのものも気晴らし」という説明は原文の逐語引用ではなく、ほかの断片と関連づけた解釈です。