自分こそ特別な存在だと信じ、周囲に長々と偉大さを語る一本のロケット。しかし祝賀の夜には打ち上げられず、最後には誰も見ず、誰も聞いていない場所で爆発します。オスカー・ワイルドの『すばらしいロケット』は、成功者の自信をたたえる物語ではなく、自己評価と現実のずれをユーモラスに描いた短編です。
『幸福な王子』と同じ1888年の童話集に収められた作品ですが、献身的な人物が中心にいるほかの作品とは、語り口が大きく違います。花火が話し、ロケットが涙を流し、カエルやアヒルとの会話が噛み合わない。原作の順序を追うと、最後の一言まで徹底した皮肉が見えてきます。
『すばらしいロケット』は誰が書いた作品?
作者はオスカー・ワイルド。英語題は *The Remarkable Rocket* で、1888年5月に初刊された童話集 *The Happy Prince and Other Tales* の最後に収められた作品です。同じ本のほかの4作品は『幸福な王子』『ナイチンゲールとばら』『わがままな巨人』『忠実な友』です。
今回の筋の確認には、Project Gutenbergが公開する英語本文を使用しました。1920年刊の別版を元にした電子テキストにも、1888年に初刊されたことと5編の目次が確認できます。1888年初版本の現物を逐語校訂したわけではありません。題名の日本語訳は刊本により異なり得ます。
あらすじ①:王子と王女の結婚祝いに、花火が用意される
国王の息子と遠方から来たロシアの王女が結婚することになり、王宮で盛大なお祝いが開かれます。王女はまだ花火を見たことがなく、真夜中の特別な催しとして花火が準備されます。
宮廷では王の下手な笛にも皆が賛辞を述べ、ある小姓の給料を二倍にする褒美が繰り返し与えられます。しかしその小姓の給料は初めからゼロ。形式ばかりで実質がない称賛は、ロケットが登場する前から物語に散りばめられています。
花火たちが待機する間、火輪、ローマンキャンドル、爆竹、気球などが会話を始めます。ほかの花火は結婚式を祝い、景色を楽しんでいますが、その中に、周囲を見下しながら自分の話ばかりする長身のロケットがいます。
あらすじ②:ロケットは、なぜ自分を特別だと思った?
ロケットは話す前にわざと咳払いをして注目を集めます。そして、自分の母は有名な回転花火で、父も輝かしいロケットだった、と家柄を語ります。王子の婚礼がある日に自分が打ち上げられることを、王子にとって幸運な偶然だとさえ考えます。
ほかの花火が『花火は王子の結婚を祝うためのもの』と説明しても、ロケットは聞き入れません。物語では、周囲が主人公を持ち上げるのではなく、主人公自身がすべてを自分の重要性へ結びつけていくことが笑いの源になっています。
なぜロケットは涙を流した?
ロケットは、王子と王女の間にいつか子どもが生まれ、その子が川で溺れるかもしれない、と想像を膨らませます。実際には起きていない不幸の可能性に深く感動したと言い、涙を流し続けます。
ほかの花火は、まだ何も起きていないことを指摘し、花火なら乾いた状態を保つ方が大切だと忠告します。しかしロケットは、その忠告を実用的すぎると見下し、泣く自由を主張します。
この場面で大切なのは、ロケットが思いやりを語る一方、相手の話をほとんど聞かないことです。共感を語る言葉と、現に周囲へ払っている注意が一致していません。
あらすじ③:真夜中の祝賀花火で何が起きた?
真夜中、華やかな花火が次々に空を彩り、王宮の人々は歓声を上げます。ところが『すばらしいロケット』だけは、涙で中の火薬が濡れていたため、点火して打ち上げることができません。
一緒に待機していた、ロケットが見下していたほかの花火は盛大に打ち上げられます。式の主役である王子と王女も祝賀を楽しみますが、ロケットはその輪に加われません。
ところがロケット自身は、失敗を認めません。自分はもっと重要な機会のために特別に残されたのだ、と考えます。ここで原作は、結果が出なかったことと、その結果をどう説明するかをはっきり分けて描きます。
翌日、ロケットは捨てられてしまう
翌朝、片付けをする人たちは打ち上がらなかったロケットを見つけ、使いものにならないものとして庭の外の溝へ投げ捨てます。人がロケットを『ひどいロケット』と呼んでも、ロケットは『立派なロケット』と言われたのだと思い替えてしまいます。
溝ではカエルが一方的にしゃべり続け、トンボは話の途中で飛び去り、アヒルは誰かの役に立つことの意味を口にします。ロケットは、どの相手からも何も学ぼうとせず、相手が自分の素晴らしさを理解できないのが悪いと決めつけます。
特に、カエルが自分の話ばかりしたことに怒りながら、自分自身もずっと自分の話をしている矛盾が象徴的です。これは単に見栄っ張りを笑うだけでなく、自分の振る舞いを自分では見られない状態を描く場面です。
原作の結末:ロケットは最後に打ち上げられる?
溝のそばへ、やかんと薪を持った二人の少年がやってきます。少年はロケットをただの古い棒だと思い、やかんの湯を沸かす焚き火へ入れます。ロケットはそれを、昼間に自分を特別に打ち上げようとしているのだと受け取ります。
火薬がなかなか乾かず時間はかかりますが、やがて火が付き、ロケットは空へ飛び上がり、爆発します。しかし二人の少年は眠っており、誰も打ち上げを見ず、爆発音も聞きません。王室の祝賀とは、もちろん何の関係もありません。
最後に残った棒は、近くを歩いていたガチョウの背中に落ちます。ガチョウは棒が空から降ってきたことに驚いて逃げますが、ロケットは最後まで『自分は大変な反響を起こした』と思い込んだまま終わります。
自信のあることと、現実を見ないことは違う
『すばらしいロケット』の主人公は、確かに一度空へ飛び、爆発することには成功します。しかし、それは自分が夢見た王宮での晴れ舞台ではなく、見物人のいない焚き火からの打ち上げでした。
この落差を『努力したらいつか夢がかなう』という物語に置き換えるのは無理があります。ロケットは努力の過程を見直したのではなく、自分に不都合な事実を次々に都合のよい意味へ読み替えているからです。
一方で、自信があることそのものが悪だと主張する必要もありません。ここで問い直されるのは、自分への評価を誰の言葉やどの事実によって修正できるのか、という点です。これは作品から導ける現代的な解釈であり、心理学的な診断名を登場人物につけるものではありません。
同じ童話集の4作品とどう違う?
『幸福な王子』では、見た目の価値を失う王子とツバメの行動が最後に評価されます。『ナイチンゲールとばら』では、鳥の犠牲を学生が理解しません。『わがままな巨人』は、巨人が自分の振る舞いを見直して変化します。『忠実な友』では、粉屋が友情の言葉で他者を利用します。
これらを並べると、他者の事情に気づく人物と、最後まで自分の言葉に閉じこもる人物という対照が見えてきます。『すばらしいロケット』は、後者を特に風刺的に描いた作品です。ただし、5作すべてが一つの教訓を証明するために書かれた、と断定するものではありません。
まとめ:誰が『すばらしい』と言っていたのか
ロケットは、自分は最も注目されるべき存在だと信じ、涙で打ち上がれなくなっても失敗を認めません。最後には飛び上がるものの誰にも見られず、それでも大成功だったと思い込んで物語を終えます。
この作品の題名が皮肉に聞こえるのは、ロケットの自己評価と、ほかの登場人物が見ている事実が最後まで一致しないからです。原作を読んで考えたいのは『自信を持つな』ではなく、『自分にとって心地よい説明しか聞かなくなっていないか』という問いでしょう。ほかの童話を読むには童話・寓話の総合案内へ。
主な出典と確認範囲
- Project Gutenberg『The Happy Prince and Other Tales』収録「THE REMARKABLE ROCKET」:王子の婚礼、ロケットが濡れる理由、泥の溝での会話、少年の焚き火、誰にも見られない結末までを英語本文で照合
- Project Gutenberg書誌(同作品の電子公開情報):初刊年、5作品の収録構成、公開本文の版を確認
調査の限界: 今回の要約は公開された英語版を参照した独自の文章です。1888年の初刊本そのものを手元で校訂したわけではなく、全ての英語版・日本語訳との逐語比較も行っていません。ロケットの心理や現代への応用は本文の描写に基づく解釈であり、作者の唯一の意図を確定するものではありません。