小泉八雲『貉(むじな)』のあらすじと結末|のっぺらぼうは二度現れる?紀国坂の怪談

はじめに――『むじな』でいちばん怖いのはどこか

「のっぺらぼう」といえば、目も鼻も口もない顔を見せる怪談を思い浮かべる人が多いでしょう。小泉八雲の『貉(むじな)』にも、顔のない女が登場します。しかし、物語は女性を見て逃げ出したところでは終わりません。怖い思いをした商人が安心を求めて駆け寄った蕎麦売りのところで、もう一度同じ恐怖が繰り返されます。

舞台は東京・赤坂へ向かう紀国坂です。暗い坂道で泣いていた女を助けようとした商人は、その顔を見て逃げ出します。ようやく見つけた灯の下でも、安心は得られません。親切心から始まる出会いが、二段階の恐怖へ変わっていく構成が作品の特徴です。

この記事では1904年刊『Kwaidan』に収録された八雲の英語作品「MUJINA」を原典として読み、戸川明三の日本語訳と比べます。古い怪談のすべての異版を同一視せず、確認した八雲の文章に何が書かれているかを出発点とします。

原典――1904年『Kwaidan』の「MUJINA」と日本語訳

Project Gutenbergで公開されている『Kwaidan: Stories and Studies of Strange Things』には、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)による英語の短編「MUJINA」が収録されています。作品集の冒頭には1904年の記載があり、英語本文を直接読むことができます。題名や結末を二次的なあらすじサイトに頼らず、作品本文そのもので確かめられるのが強みです。

日本語では青空文庫の戸川明三訳『貉』を参照できます。青空文庫の作品情報では、底本が1937年発行の『小泉八雲全集第八卷家庭版』と示されています。1904年の原著と、後年の日本語翻訳を分けて記録することで、訳文を八雲本人の日本語発言として誤って扱わずに済みます。

また、八雲は作品集の前書きで、古い日本の資料や語りをもとに物語を作り直したことを説明しています。1904年はこの英語作品集の刊行年であり、「のっぺらぼう」という怪談そのものがその年に初めて生まれたという意味ではありません。確認できた作品の年代と、民間伝承のもっと古い成立を混同しないことが重要です。

前半のあらすじ――紀国坂で泣いていた女

物語のはじめに、八雲は東京の紀国坂を紹介します。堀と皇居の壁に挟まれた暗い坂で、夜には人々が遠回りしたという土地の雰囲気が語られます。そこを通った京橋の年老いた商人が、堀のそばにしゃがんで泣いている若い女を見つけます。暗い道と孤独な人影が重なることで、読者も商人と同じように相手を気にかけるところから話に入ります。

商人は、女が悲しみに耐えられず身を投げるのではないかと心配します。そして、何か力になれるなら助けたいと声をかけます。女は袖で顔を隠したまま泣き続け、なかなか応じません。この時点で商人の行動は助けを申し出るものであり、危険を求めて近づいたわけではありません。

やがて女が振り向き、袖を下ろして顔に手を当てると、そこには目も鼻も口もありませんでした。商人は叫び声をあげて逃げ出します。泣いている理由が明かされる代わりに、顔のない姿が現れることで、助けようとした場面が一瞬で恐怖へ転じます。

後半のあらすじ――蕎麦売りの顔までなくなる

逃げる商人は紀国坂を駆け上がり、ようやく小さな灯りを見つけます。それは道端に屋台を置いた蕎麦売りの提灯でした。恐ろしいものを見た直後の商人にとって、灯りと人の姿は救いのように感じられます。読者にも「ようやく安心できる場所が見つかった」と思わせる配置が、後の結末を強くしています。

商人は蕎麦売りに、先ほど見た女のことを説明しようとします。しかし動揺が激しく、顔に何があったのかをうまく言えません。蕎麦売りは、見せられたものはこういうものだったのかと尋ね、自分の顔を手でなでます。その瞬間、蕎麦売りの顔も卵のように何もないものへ変わります。

そして、提灯の火が消えます。八雲の原文はここで終わり、商人がその後どうなったのかは明記されていません。一度目の恐怖から逃れたと思った人が、安心できるはずの場所で同じ恐怖に出会うという反復が、読後に強い余韻を残します。

「むじな」と「のっぺらぼう」は同じもの?

英語原文の題名は「MUJINA」です。原文末尾の注では、むじなをアナグマの一種と説明し、姿を変えて人を驚かせると考えられた動物の話に触れています。その一方、女の顔が何もない現象については「nopperabo」という日本語も注に登場します。題名の「むじな」と、顔のない怪異の呼び名「のっぺらぼう」を、八雲自身が注記の中で関連づけています。

ただし、作品の中の女と蕎麦売りが、動物としてのアナグマに変身した姿であると科学的に証明したわけではありません。ここでの「むじな」は、昔話の超自然的な存在として理解するのが適切です。怪談に登場する存在の名前を、生物分類の事実とそのまま結びつけないことが大切です。

また、昔話や妖怪譚では似た怪異が異なる地域や名前で語られる場合があります。八雲の作品を読んだからといって、そのすべての成立時期や呼称の変遷が分かったことにはなりません。この作品について確認した事実と、日本の怪談全体について未確認の事柄を分けておきます。

まとめ――二度の恐怖と灯が消える結末の意味

小泉八雲『貉』は、紀国坂で顔のない女を見た商人が、逃げた先の蕎麦売りにも同じ顔を見せられる怪談です。商人がその後どこへ行ったか、怪異の正体がどんな姿だったかは、作品の結末で明かされません。答えを説明しすぎず、最後に灯りを消して終えるところに、この短編の怖さがあります。

原典は1904年の英語作品『Kwaidan』所収「MUJINA」です。日本語の内容は戸川明三訳『貉』と照合しました。ここで確認済みとするのは八雲の作品本文と訳者・収録資料の関係であり、すべての「のっぺらぼう」伝承の原初の形を特定したわけではありません。文学作品の出典と民話の成立史を別々に扱うことが正確な読み方につながります。

同じ『Kwaidan』に収められた別の短編を読むなら、当サイトの『耳なし芳一』のあらすじと結末も参考になります。芳一の話では失われた耳とその後の人生まで描かれますが、『貉』では商人のその後をあえて描きません。結末を語る怪談と、語らずに終える怪談を比べると、八雲の物語づくりの違いが見えてきます。

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