孤軍奮闘の限界と、施策が頓挫する「真の理由」
どんなに優れたマーケティング戦略も、実行されなければただの幻に過ぎません。多くのひとりマーケターが陥る最大の罠は、施策の「質」ではなく、それを組織に浸透させる「プロセス」の欠落にあります。
「またマーケが勝手なことを始めた」「現場の忙しさを分かっていない」
こうした冷ややかな視線や、部門間の壁に阻まれ、心を折られた経験はないでしょうか。特に中小・ベンチャー企業のひとりマーケターは、リソース不足の中で成果を求められるあまり、最短距離で正解を出そうと焦ります。しかし、その「正解」こそが、周囲にとっては「押し付け」と映るのです。
施策が通らないのは、あなたの企画力が足りないからでも、会社が保守的だからでもありません。多くの場合、それは「社内マーケティング」の欠如、すなわちステークホルダーを「承認者」としてしか扱わず、「参画者」にする手順を飛ばしていることが根本原因です。ここでは、社内のキーマンを味方につけ、プロジェクトを円滑に進めるための心理的・構造的なアプローチを紐解きます。
なぜ「完璧な企画書」ほど、社内の反発を招くのか
人間には、自らが関与していない決定事項に対しては批判的になり、自らが関わったものには愛着と責任を持つという心理的特性があります。完成された企画書は、他者にとって「異物」でしかないのです。
多くの優秀なマーケターが犯す典型的な失敗パターンがあります。それは、デスクトップリサーチとデータ分析を完璧に行い、隙のない100点の企画書を作り上げてから、いきなり会議でプレゼンテーションをしてしまうことです。「論理的に正しいのだから通るはずだ」という驕りは、現場の「感情」という強固な壁に跳ね返されます。
これを防ぐために必要なのは、「完成品のお披露目」ではなく「未完成品の共有」への意識転換です。人は「説得」されることを嫌いますが、「相談」されることには自己重要感を満たされます。キーマンが「NO」と言う余地のない完璧な論理武装は、彼らのプライドを傷つけ、無意識の敵対関係を生みます。逆に、意図的に余白を残した状態でアプローチすることこそが、彼らをプロジェクトの当事者へと引き込むための招待状となるのです。
「相談」という名の参画戦略:ザイアンス効果と一貫性の原理
「根回し」という言葉には日本的な社内政治の古臭い響きがありますが、これを「主要人物への事前コンサルティング」と再定義してください。心理学的な裏付けを持ってアプローチすることで、これは高度なマーケティング活動へと昇華されます。
具体的には、新しい施策を公式に提案する前に、社内で影響力を持つキーマン(営業部長や古参のエンジニアなど)に対し、個別に「相談」を持ちかけます。「まだ案の段階なのですが、現場の視点から〇〇さんの意見を伺いたいのです」と切り出すのです。ここで重要なのは、「許可」を求めるのではなく「知恵」を借りるというスタンスです。
ここには2つの心理効果が働きます。
1. ザイアンス効果(単純接触効果): 接触回数を増やすことで、企画そのものへの親近感と理解度が高まります。
2. 一貫性の原理: 一度アドバイスをした人間は、その企画が成功するように無意識に行動を一貫させようとします。「自分の意見が入った企画」が失敗することは、自分のアドバイスが間違っていたことを認めることになるからです。
彼らの意見を取り入れ、企画書の中に「〇〇部長のアドバイスにより修正」といった文脈を盛り込むことで、彼らは「抵抗勢力」から、共に企画を育てた「共犯者」へと変貌します。
現代の武器を活用し、根回しを「科学」する
かつての根回しは、喫煙所や飲み会といったウェットな場で行われてきましたが、現代のマーケターはテクノロジーを活用し、よりドライかつスマートに合意形成を行うべきです。
例えば、生成AIやCRMデータを活用して「客観的な事実」を相談の土台にします。「AIに市場分析させたらこう出たのですが、現場の肌感覚とズレていませんか?」と問うことで、対立構造を「あなた vs キーマン」ではなく、「データ/AIの仮説 vs 私たちの検証」という構図に持ち込むことができます。これにより、意見の対立が人格攻撃になるのを防ぎ、建設的な議論が可能になります。
また、クラウドツール上でドキュメントを共有し、コメント機能を使って非同期で意見をもらうのも有効です。ただし、ここでも重要なのは「見せるタイミング」です。全てが決まった後ではなく、変更可能な段階でリンクを送ること。「まだドラフトですが」という一言が、相手の心理的ハードルを下げ、参画意識を醸成します。
社内マーケティングこそ、ひとりマーケターの最大戦術である
B2Bマーケティングにおいて、リード獲得後の商談化や受注は、営業部門や他部署の協力なしには成立しません。つまり、顧客に向けたマーケティング(外部変数)と同じくらい、社内に向けたマーケティング(内部変数)がLTV(顧客生涯価値)やROIに直結します。
ここで陥りやすい失敗パターンとして、「手段の目的化」ならぬ「社内調整の目的化」があります。誰からも嫌われない無難な施策に着地させてしまうことです。目的はあくまで「成果を出すこと」であり、そのために社内のリソースを最大化することです。迎合するのではなく、プロフェッショナルとして彼らの力を借りるために頭を下げるのです。
ひとりマーケターは「何でも屋」ではありません。社内の各スペシャリストをつなぎ、顧客価値という一つのゴールに向かわせる「オーケストラの指揮者」です。指揮者が演奏者に背を向けていては、美しいハーモニーは生まれません。社内メンバーを最初の「顧客」と捉え、彼らのニーズ(懸念やプライド)を満たしながら、こちらの望む行動(施策への協力)を引き出す。これこそが、マーケティング・アーキテクトとしての腕の見せ所です。
まとめ:主語を「私」から「私たち」へ書き換える
社内の「抵抗勢力」を「共犯者」に変えるプロセスは、結局のところ、仕事の主語を「私がやりたい施策」から「私たちが解決すべき課題」へと書き換える作業に他なりません。
施策が成功したとき、「私の手柄」ではなく「〇〇さんのアドバイスのおかげ」と、共犯者たちに花を持たせることができるか。その謙虚さと戦略的な配慮こそが、次の施策を打つ際の信頼貯金となります。
明日、新しい企画を思いついたら、すぐにパワーポイントを開くのはやめましょう。代わりに、そのアイデアを少し不格好なまま抱えて、最も手強いあの人の席へ「少し相談があるのですが」と向かってください。その一歩が、孤独な戦いを終わらせ、組織全体を動かす大きなうねりの始まりとなるはずです。