自由になったのに、何をしたらいいか分からなかった大学時代

大学に入れば、もっと自由で、もっと楽しい毎日が始まると思っていました。

高校までは、授業があり、部活動があり、周囲と似た時間割で生活します。ところが大学では、一気に自由が増えます。何を学ぶか。誰と過ごすか。空いた時間に何をするか。ある程度、自分で決められるようになります。

その自由を、当時の私はうまく使えませんでした。

自由になれば、自然にやりたいことが見つかると思っていた

高校生までの私は、野球をはじめ、やることが比較的はっきりしていました。決められた予定の中で頑張ることには慣れていたのだと思います。

大学では、その枠が急になくなりました。

自由なのだから何でもできるはずなのに、何をすればいいのか分からない。周囲には、サークルを楽しむ人、アルバイトに打ち込む人、将来に向けて勉強する人がいる。そういう人たちを見るほど、自分だけが何もしていないように感じました。

自由とは、選択肢が多い状態です。そして選択肢が多いことは、ときに「自分で選ばなければならない」という難しさでもあります。

何もしなかった時間を、長い間「失敗」だと思っていた

大学時代を振り返ると、「もっと本を読めばよかった」「もっと人に会えばよかった」「もっといろいろな場所へ行けばよかった」と思うことはあります。

だから以前の私は、「大学生のうちにやっておくべきこと」をたくさん並べていました。

でも今は、少し考え方が変わっています。

当時の自分に必要だったのは、さらに「やるべきこと」を増やすことではなかったのかもしれません。むしろ、何をしたいか分からない自分を必要以上に責めないことだったように思います。

周囲と比較すると、自分の時間が見えなくなる

大学時代に苦しかったことの一つは、周囲との比較でした。

楽しそうに見える人、行動している人、将来の目標を持っている人。それに比べて自分はどうなのか。比較すればするほど焦るのに、焦るほど何から始めればいいのか分からなくなります。

今振り返れば、他人の人生のハイライトと、自分の迷っている途中を比べていたようなものです。

人生の速度は、人によって違います。早くやりたいことを見つける人もいれば、いくつもの仕事や経験を経てから、自分の軸が見えてくる人もいます。

やりたいことは、考えているだけでは見つからなかった

一方で、当時の自分に今でも伝えたいことがあります。

大きな夢を決めなくてもいいから、小さく動いてみることです。

一冊読む。知らない場所へ行く。興味のある仕事を調べる。誰かと話す。何かを作る。合わなければやめてもいい。

その後の自分を振り返っても、興味のあることは頭の中だけで突然見つかったわけではありません。仕事を変えたり、本を読んだり、文章を書いたり、技術を学んだりする中で、少しずつ「これは面白い」「これは違う」が分かってきました。

遠回りした経験は、後から別の意味を持つことがある

大学時代だけを切り取れば、もっと有効に使えた時間はあったと思います。

ただ、「自由なのに動けなかった」という経験は、その後の自分の考え方にもつながっています。

環境を変えれば自動的に人生が変わるわけではないこと。選択肢が多いほど、自分で選ぶ力が必要になること。動けない人に「とにかく行動しろ」と言うだけでは届かないこと。

当時は価値がないと思っていた経験から、後になって学べることもあります。

過去の自分に、13個の宿題は出さない

もし大学時代の自分に会えるとしても、「これとこれとこれをやっておけ」と長いリストを渡すことは、もうしないと思います。

代わりに、「今すぐ人生の答えを決めなくていい。でも、気になったものには少し触れてみよう」と伝えます。

何もしない時間があってもいい。迷ってもいい。ただ、自分の外側にある世界との接点を、完全には閉じないこと。

人生は、大学4年間で決まりません。

自由をうまく使えなかった時間も、遠回りした時間も、後から編集し直すことができます。少なくとも私は、そうやってここまで来ました。

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