はじめに
「友情の核心は互いの等しさにある」「友情は平等である」。アリストテレスの名言として紹介されることがあります。
『ニコマコス倫理学』には確かに「友情は平等」という表現が登場します。しかし、ここには重要な注意点があります。
第9巻第8章でアリストテレスは、この言葉を自分が新たに提示する定義としてではなく、友情について広く語られている格言の一つとして列挙しています。
『ニコマコス倫理学』IX.8に登場する
第9巻第8章の主題は、他人より自分自身を最も愛するべきなのか、という問題です。
その議論の中でアリストテレスは、友情に関する既存の言い回しとして、「一つの魂」「友のものは共有」「友情は平等」といった格言を並べます。
つまり「友情は平等」という考えをアリストテレスの著作で確認することはできますが、彼自身が作った一句だとまでは言えません。第9巻第8章の英訳では “Equality makes friendship” という趣旨が、既に知られた複数の格言の一つとして登場します。ここでの論点は友人どうしの数的な同一性を宣言することより、友情の性質を手掛かりに自己愛のあり方を論じることです。
しかも友情は常に完全な対等ではない
「友情は平等」という一文だけを見ると、年齢、能力、地位、財産などが同じ人同士でなければ友情は成立しないようにも読めます。
しかしアリストテレスは『ニコマコス倫理学』第8巻で、親子や年長者と年少者など、立場が異なる人の友情も論じています。
そこでは単純な同量の交換ではなく、違いに応じた比例的な均衡が問題になります。第8巻の友情の構造の説明と、第9巻で既知の格言を挙げる箇所は、同じ「平等」という語が出てきても議論上の役割が異なります。
したがって旧記事のように「一方が優れていると感じれば真の友情は成立しない」と断言するのは、アリストテレスの議論を狭めすぎます。
平等とは何を意味するのか
徳に基づく友人同士では、互いに善を願い、相応の好意を返すという相互性があります。
一方、立場の異なる友情では、同じものを同じ量だけ返すことが必ずしも平等ではありません。
アリストテレスの友情論を読むと、「同じであること」と「関係が釣り合っていること」を区別する必要が見えてきます。
現代に引き寄せて考える
良い関係を「何でも50対50でなければならない」と考えると、かえって窮屈になることがあります。
人には能力や状況の違いがあります。重要なのは、どちらか一方だけが恒常的に相手を道具として扱うことではなく、その関係にふさわしい相互性があるかどうかでしょう。
これは現代的な読み方ですが、単純な「全員同じ」という平等論より、原典の複雑さを残せます。
まとめ
「友情は平等」という表現は、『ニコマコス倫理学』IX.8に実際に登場します。
ただし、アリストテレス自身の独創的な名言として提示されているのではなく、友情について語られてきた格言の一つとして引用されています。
さらに彼の友情論には、立場の異なる者同士の友情も含まれます。したがって、友情の平等を単純な「完全な同一・対等」として読むべきではありません。
出典状態:原典内の既存格言・日本語への短文化(アリストテレスの創作とは未確定)。 Aristotle, Nicomachean Ethics, IX.8。第9巻第8章の英訳本文(Toronto Metropolitan University)。対照として第8巻の友情論(MIT Classics Archive)も参照しています。日本語での短句はこれらの英訳の趣旨を伝えるもので、特定の日本語訳書からの転載ではありません。
アリストテレスを人物から読む
アリストテレス人物ページでは、『形而上学』『倫理学』『政治学』など本人の著作と、古代の伝承・後世の要約を区別しながら、知識・徳・友情・政治を横断して読めます。
『ニコマコス倫理学』を作品から読む
『ニコマコス倫理学』作品ページでは、幸福・徳・習慣・友情を一つの倫理学としてつなぎ、この一節が作品全体のどこに位置するかを読めます。