「良いも悪いもない」は『ハムレット』の会話の中の台詞
「世の中には幸も不幸もない。ただ、考え方でどうにもなる」として知られる言葉は、『ハムレット』第2幕第2場のハムレットの台詞に対応します。
there is nothing either good or bad but thinking makes it so.
より直訳に近く言えば、「良いものも悪いものもなく、考えることがそれをそうする」。日本語で「幸・不幸」と訳されることもありますが、原文は good or bad です。
背景は「デンマークは牢獄だ」というハムレットの感覚
この言葉の直前で、ハムレットは旧友ローゼンクランツとギルデンスターンに「デンマークは牢獄だ」と言います。二人がそうは思わないと返すと、ハムレットは「なら君たちにとっては牢獄ではない」と答え、その理由としてこの一文を続けます。
つまり、幸福になるための一般的なポジティブ思考術を講義している場面ではありません。同じデンマークにいても、ハムレットには牢獄に感じられ、友人たちにはそう感じられない。その知覚の違いをめぐる会話です。
「現実は全部気の持ちよう」とまでは言っていない
旧記事では「現実そのものはニュートラルで、考え方次第で幸せにも不幸にもできる」と説明していました。しかし作品のハムレットは、父の死、母の再婚、宮廷への不信など具体的な問題を抱えています。
したがって、この一文を「どんな悪い状況も前向きに考えれば解決する」という教訓へ変えるのは危険です。むしろ同じ場所でも人によって経験される意味が異なる、という場面として読む方が文脈に忠実です。
会話のもう一つの緊張:Folger Shakespeare Libraryが示す第2幕第2場のあらすじでは、ローゼンクランツとギルデンスターンは王夫妻の依頼でハムレットの様子を探りに来ています。ハムレットもやがてその意図を見抜きます。つまり「ものの捉え方が違う」というだけでなく、旧友との信頼関係に疑念が生じている場面でもあります。読者が「考え方を変えれば問題が消える」という助言として受け取らないために、この劇的な状況を押さえる必要があります。
現代へ持ち帰るなら
私たちの評価が出来事の感じ方に影響する、という問いは現在にも持ち帰れます。ただし、認知行動療法やマインドフルネスをシェイクスピアが先取りした、とまで言う根拠はありません。
まず作品の中で、なぜハムレットだけがデンマークを牢獄と感じているのかを見る。その上で、自分が物事へ与えている意味を考える。そう読む方が、この短い台詞を自己啓発の標語だけにせずに済みます。
まとめ
「物事に良いも悪いもない。考え方がそうする」は、『ハムレット』第2幕第2場でハムレットが旧友たちと「デンマークは牢獄か」を話す中で発する台詞です。
単純なポジティブ思考の勧めではなく、同じ現実でも人によって経験される意味が違うという会話の中に置かれています。
原典と確認箇所:William Shakespeare, Hamlet, Act 2, Scene 2. 話者はハムレット。直前にはデンマークを牢獄と呼ぶ応酬、直後には彼が悪夢について語る場面が続きます。Folger Shakespeare Library『Hamlet』第2幕第2場(原文・場面解説)、Tufts University Perseus所収本文。当サイトの日本語は原文の意味を説明する訳であり、特定の出版翻訳の引用ではありません。
シェイクスピアを人物から読む
ウィリアム・シェイクスピア人物ページでは、作品に実在する一節を「作者の名言」にせず、登場人物・偽手紙・巻物など話者と劇的文脈を区別しながら横断して読めます。