- ウィリアム・シェイクスピアとは
- シェイクスピアの生涯について、分からないことも多い
- 「シェイクスピアが言った」と「作品に書いてある」は違う
- 『ハムレット』――名言を語る人物そのものを見る
- 『十二夜』――有名な「偉大さ」は偽手紙の言葉
- 『ヴェニスの商人』――箱の言葉と、人物の判断
- 『夏の夜の夢』――恋の名言は、恋の混乱の中にある
- 『終わりよければすべてよし』――題名そのものも単純ではない
- 『マクベス』――魔女の言葉は作品の世界を設定する
- 『ヘンリー六世 第二部』――知識を称える言葉の後に処刑が来る
- 『尺には尺を』――希望の直後に「死ぬ覚悟」が続く
- 『お気に召すまま』――時間は時計だけでは測れない
- 「作者の思想」を簡単に作らない
- 未監査の記事は人物ページへ混ぜない
- どこから読むか
- 参考資料
ウィリアム・シェイクスピアとは
ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare, 1564–1616)は、イングランドの劇作家・詩人・俳優です。ストラトフォード=アポン=エイヴォンに生まれ、ロンドンの劇場世界で俳優・劇作家・劇団の共同経営者として活動しました。
「シェイクスピアの名言」は世界中で引用されています。しかし戯曲を原典まで読むと、ここには他の思想家とは違う注意点があります。作品に実際に書かれている言葉でも、それを語っているのはシェイクスピア本人ではなく、登場人物、魔女、偽手紙、箱の中の巻物かもしれないということです。
このサイトでは、真正な引用かどうかだけでなく、「誰が、誰に、どんな場面で語ったのか」を戻すことで、名言を作品へ返して読みます。
シェイクスピアの生涯について、分からないことも多い
シェイクスピアは1564年4月26日に洗礼を受けた記録が残り、1616年に没しました。1590年代にはロンドンで俳優・劇作家として活動していたことが確認され、のちにLord Chamberlain’s Men、さらにKing’s Menとなる主要劇団に関わりました。
ただし、400年以上前の人物であり、伝記上の空白も少なくありません。Folger Shakespeare Libraryも、残る一次資料から俳優・劇作家・詩人・事業家としての姿は確認できる一方、人生のすべてが分かっているわけではないとしています。
作品の台詞から作者本人の私生活や思想を逆算しすぎないことは、伝記を読むうえでも重要です。
「シェイクスピアが言った」と「作品に書いてある」は違う
哲学書や随筆では、著者本人が自分の立場を論じることがあります。しかし戯曲では、作者は複数の人物に異なる立場を語らせます。ある人物の美しい台詞が、その人物の誤解や自惚れを示すために置かれている場合さえあります。
したがって「作品にある=シェイクスピア本人の人生訓」とは限りません。真正性と、話者の帰属は別の問題です。
『ハムレット』――名言を語る人物そのものを見る
「物事に良いも悪いもない。考え方がそうする」は、『ハムレット』第2幕第2場のハムレットの台詞です。
単純なポジティブ思考の教えではなく、ハムレットが「デンマークは牢獄だ」と感じる一方、旧友たちはそう感じないという会話の中にあります。同じ場所でも経験される意味が違う、という場面です。
「誰の言葉にも耳を貸し、自分の声は少なく」はポローニアスが息子レアティーズへ与える助言です。しかしポローニアス本人は饒舌で、他人を探り、息子を監視させる人物でもあります。
立派な言葉だけでなく、その言葉を語る人物と行動のずれまで含めると、戯曲ならではの意味が生まれます。
『十二夜』――有名な「偉大さ」は偽手紙の言葉
「ある者は偉大に生まれ、ある者は偉大さを成し遂げ、ある者は偉大さを押しつけられる」は、『十二夜』に実際に登場します。
しかし作者が成功者を三分類した人生論ではありません。自惚れたマルヴォーリオを騙すため、マリアたちが仕掛けた偽の恋文に書かれた言葉です。
格好いい一文だけを切り取ると自己実現の格言になり、作品へ戻すと自尊心と自己欺瞞を利用する喜劇の罠になります。同じ文章でも、文脈によって機能がまったく変わる例です。
『ヴェニスの商人』――箱の言葉と、人物の判断
「輝くものすべて金ならず」は、第2幕第7場でモロッコ大公が選んだ金の箱の中の巻物に書かれている言葉です。
一方、「世間は虚飾に欺かれる」は、第3幕第2場でバサーニオが箱を選ぶ前に語る台詞です。
二つを別々の名言として消費するより、金の輝きに引かれて失敗する人物と、装飾を疑って鉛を選ぶ人物を並べると、外観と実質という作品内の仕掛けが見えてきます。
『夏の夜の夢』――恋の名言は、恋の混乱の中にある
「恋は目で見ず、心で見る」はヘレナの台詞です。一見「外見より内面を愛せ」という美しい恋愛訓に見えます。
しかし直後には、恋の心には判断力がないという話が続きます。ヘレナ自身も報われない恋に囚われており、作品では惚れ薬によって恋愛対象が次々と変わります。
「真実の恋は滑らかに運んだためしがない」も、一般的な恋愛論ではなく、父親とアテネの法によって結婚を阻まれたライサンダーとハーミアの具体的な危機の中で語られます。
恋愛名言を作品へ戻すと、「愛は美しい」という一方向の教訓ではなく、恋が人の知覚や判断をどう変え、社会の条件とどう衝突するかが見えてきます。
『終わりよければすべてよし』――題名そのものも単純ではない
「終わりよければすべてよし」は作品タイトルであるだけでなく、第4幕第4場でヘレンが実際に語る台詞です。
しかし彼女は、夫バートラムが突きつけた条件を満たすため複雑な策略を進めている最中です。作品の結末も、現代の読者が簡単に「すべてよし」と呼べるものではありません。
「正直ほど豊かな遺産はない」も同作のマリアナの台詞ですが、ここでの honesty には当時の女性の貞節・名誉という意味が強く含まれます。
現代の一般的な「正直さ」に置き換える前に、語義と場面を確認する必要があります。
『マクベス』――魔女の言葉は作品の世界を設定する
「きれいはきたない、きたないはきれい」は、『マクベス』第1幕第1場を締めくくる三人の魔女の言葉です。
これは「シェイクスピアは善悪は相対的だと主張した」という哲学命題ではありません。劇の冒頭で、見た目と実態、吉兆と凶兆、言葉の二重性が簡単には分けられない世界を提示します。
直後にマクベス自身が foul と fair を組み合わせた言葉を使うことで、魔女の逆説が主人公の物語へ入り込んでいきます。名言ではなく、劇全体の空気を作る装置として働いています。
『ヘンリー六世 第二部』――知識を称える言葉の後に処刑が来る
「無知は神の呪い、知識は天へ飛ぶ翼」は、反乱軍に捕らえられたセイ卿の台詞です。
彼は学校・印刷・識字を敵視するジャック・ケイドらを前に、学問を弁護します。しかし雄弁な知識礼賛は彼を救わず、処刑されます。
そのためこの一節は単純な「勉強しよう」という標語以上に、知識や理性が暴力に押し切られる政治的な場面として読むことができます。
『尺には尺を』――希望の直後に「死ぬ覚悟」が続く
「不幸な者には希望以外の薬がない」は、死刑を待つクローディオの台詞です。
日本語では前半だけが格言として流通しますが、原文は「生きる希望を持っているが、死ぬ覚悟もできている」と続きます。
作者が「希望さえ持てばよい」と直接教える場面ではありません。希望と覚悟が同時に存在する極限状態の人物の言葉です。
『お気に召すまま』――時間は時計だけでは測れない
「時は人によって違う速さで進む」は、男装したロザリンドがオーランドーと話す場面の台詞です。
結婚を待つ娘には一週間が七年のように長く、絞首台へ向かう泥棒には時が速く感じられる。抽象的な時間哲学ではなく、人の状況と感情によって変わる時間感覚を、恋の会話とユーモアの中で描いています。
「作者の思想」を簡単に作らない
シェイクスピア作品には、互いに矛盾する考えを語る人物が大量に登場します。悪役も、愚者も、権力者も、恋人も、道化も、非常に美しい言葉を話します。
だから、一つの台詞を取り出して「シェイクスピアはこう考えていた」と断定すると、戯曲そのものの複数性を失います。
シェイクスピアの名言を読むときに必要なのは、真正な原文か → 誰の台詞か → 何が起きている場面か → 作品全体でその言葉は支持されるのか、反転されるのかという順序です。
未監査の記事は人物ページへ混ぜない
サイトにはシェイクスピア名義の記事がほかにもありますが、人物ページでは現在、原典・話者・場面まで監査できている記事を中心に扱っています。
検索結果に出てくるすべての記事を機械的に束ねるのではなく、品質確認できた知識から人物像を組み立て、未監査の記事は監査後に追加します。
どこから読むか
「名言と作品の違い」を体感するなら、『十二夜』の偽手紙、『ヴェニスの商人』の箱、『ハムレット』のポローニアスから入ると分かりやすいでしょう。
恋愛の言葉なら『夏の夜の夢』、善悪や言葉の二重性なら『マクベス』、知識と政治なら『ヘンリー六世 第二部』へ進むと、同じ作家がまったく違う人物・状況を使って問いを立てていることが見えてきます。
参考資料
シェイクスピアの生涯と作品本文については、Folger Shakespeare Library「Shakespeare’s life」、同館のShakespeare’s worksを参照しています。一次資料による生涯研究についてはShakespeare Documentedも参照できます。