「成し遂げようと決めた志を、ただ一度の敗北によって捨ててはいけない」。シェイクスピアの励ましの言葉として広く流通する一節です。しかし原典の『テンペスト(The Tempest)』第3幕第3場に戻ると、意外な事実が見えてきます。この台詞を語るアントーニオは、王を暗殺しようとする仲間セバスチャンに計画を続けるよう促しているのです。
したがって「諦めなければ夢がかなう」という善意の成功哲学として紹介するだけでは、作品の意味を逆転させかねません。出典・話者・何を成し遂げようとしたのか、三つを分けて確かめます。
原典:『テンペスト』第3幕第3場、アントーニオの脇台詞
Folger Shakespeare Libraryが公開する本文では、アントーニオがセバスチャンへ次のように言います。“Do not, for one repulse, forgo the purpose / That you resolved t’ effect.”(一度の挫折で、成し遂げると決めた企てを諦めるな、という趣旨)。第3幕第3場、1550–1551行です。
版によって forgo が forego と書かれ、t’ effect が to effect と展開されることがあります。これは編集上の表記差です。日本語の「志」は高尚な目的を連想させますが、原文の purpose は、ここでは善悪を問わず当人が遂行しようと決めた計画を指します。
その「目的」は何だったのか
ナポリ王アロンゾーは、船の難破後、行方不明になった息子を探して島をさまよっています。疲れ切った王が望みを失った様子を見て、アントーニオはセバスチャンに小声で「王が希望を捨てたのは好都合だ」と伝えます。続く「一度の敗北で計画を捨てるな」は、先ほど果たせなかった暗殺の企てを再び実行しようとする言葉です。
実際に同場面の直後、セバスチャンは「次の機会を逃すまい」と応じ、アントーニオは「今夜にしよう。皆は旅に疲れて警戒が弱い」と提案します。この前後を読めば、作品中の台詞を道徳的な励ましとみなせない理由が明らかです。
アントーニオはどんな人物か
アントーニオは、ミラノ公プロスペローの弟。かつて兄から地位を奪って追放し、島に漂着する原因を作った人物の一人です。作品冒頭から終幕まで、権力・裏切り・許しという主題に関わります。
第2幕第1場では、セバスチャンをそそのかして、眠る兄アロンゾーを殺し王位を奪うよう働きかけます。計画はいったん中断されますが、第3幕第3場でも二人は機会をうかがっています。つまり「失敗してもあきらめるな」は、悪い目的に向けた執拗さにも成立してしまうという皮肉を含んでいます。
戯曲の台詞と、作者自身の人生哲学を混同しない
シェイクスピアの台詞には、聞き手が単独で読むと立派に思えるものが数多くあります。しかし、その言葉を語る人物が嘘をつき、敵を欺き、あるいは自分自身を正当化している場合もあります。
原文が真正であることは、その台詞を作者が人生訓として読者へ勧めたことを意味しません。作者はドラマを作り、互いに矛盾する人物を描きます。記事を「シェイクスピアは挫折にめげなかった」といった伝記へ展開することも、この場面からはできません。
それでも現代の読者が考えられること
一度の失敗で何かを断念しない姿勢は、ときに価値があります。ただし、粘り強さがよいかどうかは、続ける目的・手段・他者への影響によって変わります。
- 続けようとしている目標そのものは、いまも正当化できるだろうか。
- 失敗の原因を検証し、誰かに害を与える方法を繰り返していないだろうか。
- やめる判断や目的を変える判断も、選択肢として持てているだろうか。
- 「頑張れ」という短い台詞を使うとき、誰が誰に何を促した文章なのかを確認できるだろうか。
これは『テンペスト』を読んだ現代の考察であり、アントーニオが健全な目標管理を教えているという意味ではありません。むしろ立派な言葉と立派な行為は一致しないことがある、と気づかせてくれる場面です。
出典と関連資料
判定:戯曲の原文確認済み/話者・文脈への注意が必要。 シェイクスピアの書いた戯曲に存在する台詞ですが、話者はアントーニオ。暗殺計画を続けようとする場面です。
- Folger Shakespeare Library:『テンペスト』第3幕第3場。話者の表示と1550–1557行の前後。
- MIT Shakespeare:同場面の全文。表記の異なる版と照合。
- Folger Shakespeare Library:『テンペスト』全幕と梗概。人物関係と作品全体。
- シェイクスピア人物ガイド。登場人物の台詞を作者の考えと混同しない読み方。
- 出典監査索引。出典確認済みでも話者に注意が必要な例。
