『お気に召すまま』「時は人によって違う速さで進む」|ロザリンドが語る四つの時間

同じ一時間なのに、待っていると長く、思いがけない出来事の前では短く感じられることがあります。シェイクスピア『お気に召すまま』第3幕第2場にある「時は人によって違う速さで進む」という言葉も、時間の経験を描いた台詞です。ただし、時計の進み方を論じる科学的な説明ではありません。男装したロザリンドが、相手のオーランドーをからかいながら語る機知に富んだ会話です。原文では、時の歩みは「ゆっくり歩く」「速足になる」「駆ける」「止まる」の四つに分けて示されます。

出典は『お気に召すまま』第3幕第2場

該当する英語の文章はFolger Shakespeare Library版『As You Like It』第3幕第2場にあります。ロザリンドがガニメード(Ganymede)と名乗っているとき、オーランドーに向かって語る “Time travels in divers paces with divers persons.” という一節です。当サイトの説明訳では「時は、人によって異なる歩調で進む」。これはロザリンドの台詞であり、シェイクスピアが自分の人生訓として独立に発表した文章ではありません。

英語の divers はここでは「さまざまな」、paces は「歩調」を意味します。時を歩いたり走ったりする人物のように扱い、抽象的な時間を見える形にしています。流通する日本語には「時というものは、それぞれの人間によって、それぞれの速さで走る」などの形がありますが、travels にいつも「走る」を対応させると、直後の歩調の違いが見えにくくなります。

森には時計がない――ロザリンドが話し始めたきっかけ

まずロザリンドはオーランドーに今の時刻を尋ねます。オーランドーは「この森には時計がない」と答えます。するとロザリンドは、もし本当に恋する人が森にいるなら、ため息やうめき声が分・時を数えてくれるはずだと返します。

時計がないことを受けて、人間の気持ちを時間の目盛りへ見立てる。さらにオーランドーが、なぜ時を「速い足」と表さないのか尋ねたことで、四種類の速さをめぐる会話へ進みます。これは孤立した格言ではなく、相手の言葉を受けて比喩を広げる対話の一部です。

四つの歩調に登場する人々

原文に挙げられるのは、次の人たちです。ここでは登場順と、劇中で笑いを生む理由を分けて整理します。

  • 速足(trot)――結婚式を待つ娘:婚約から式までの一週間さえ七年のように感じられる。待つ本人には時がひどく長いという逆説を、馬の速足の比喩で描く。
  • ゆっくり歩く(amble)――ラテン語を知らない聖職者と、痛風のない富裕者:前者には難しい学習、後者には身体の痛みや貧困の苦労がなく、のんびりした時を過ごすと茶化す。
  • 駆ける(gallop)――絞首台へ向かう盗人:足取りをどれほど遅くしても、本人には処刑の時が早すぎると感じられる。
  • 止まる(stand still)――休廷期の法律家:次の開廷まで眠って過ごし、時の動きを意識しないので、時間が止まったようになる。

ここにある四つの例を「楽しければ速い、退屈なら遅い」と単純に分類することはできません。結婚を待つ娘と絞首台へ向かう盗人は、どちらも心に強い緊張を抱えていますが、何を待っているかによって時間の感じ方の比喩が違うのです。

「ゆっくり歩く」例が抜けると、何が失われるか

短い名言紹介では、結婚式を待つ娘・盗人・法律家の三例だけが取り上げられることがあります。しかし原文には、ラテン語を学ばない聖職者と、痛風に苦しまない金持ちも出てきます。この組み合わせは、当時の教養や身分を笑いの対象にしています。

とくに聖職者にとってラテン語は宗教的な学問とも結びつく言語です。ラテン語を知らないから勉強せずに眠れる、という一見うらやましいような説明には皮肉があります。また「痛風のない裕福な人」という例には、金があっても病によって快適さが損なわれうるという社会的な視線がうかがえます。ただし、これらは作中の機知として読めるという解釈であり、すべての聖職者や富裕者の実際の生活を証明する史料ではありません。

話しているロザリンド自身が、役を演じている

ロザリンドはこの場面で、男性の姿になりガニメードと名乗っています。会話の相手オーランドーは彼女を恋い慕い、森の木々に詩を書きつけていますが、目の前の若者がロザリンド本人だとは知りません。ロザリンドはその状況を利用し、相手の言葉を試し、機知ある返答を重ねます。

つまり、この話者は時間の外側から冷静に一般論を唱えているのではありません。自身も相手との再会やその反応を気にかけながら、別の人物として言葉を交わしています。「時は人によって違う」という発言そのものが、演じる役と実際の気持ちのずれを抱える場面に置かれています。

時間が変化したのか、時間を見る人が違うのか

この一節を現在の心理学で証明された法則と断言するのは適切ではありません。作品が示すのは、秒や分の物理的な長さが人によって変わるという説ではなく、時間を経験する人の立場や予期する出来事によって、その歩みの印象が変わるという文学的な観察です。

待つ人、痛みを感じない人、恐れる人、仕事の休みを過ごす人。同じ時間をまったく異なる物語として受け取ることができる。さらに、どの例にもロザリンドらしい皮肉が加わります。作品のユーモアを抜いて「時間管理のコツ」とするだけでは、この台詞の魅力が減ってしまいます。

『お気に召すまま』の別の時間・人生観と読み比べる

同じ作品の第2幕第7場では、ジェイクイズが「この世は舞台」と語り、人の一生を七つの年齢に分けます。彼は人間の生涯を、まるで役者の登場と退場のように眺めます。一方、ロザリンドの時間の比喩は、人生を一つの長い時間としてまとめるより、同じ瞬間に生きる人々の違いへ焦点を当てています。

二つの台詞を比較するなら、「この世は舞台」――七つの年齢とアダムの物語へ。また、追放された公爵が森の寒さに見いだす価値と、その森で傷つく鹿については「逆境の効用は甘い」で扱っています。一つの戯曲にある複数の話者をつないで読むと、シェイクスピアが単一の人生訓だけを押しつけていないことが見えてきます。

まとめ――「時間の速さ」は話者と状況によって変わる

ロザリンドの言葉は『お気に召すまま』第3幕第2場に確認できます。出典が明らかな台詞ですが、日本語の短句だけでは、速足・ゆっくり・駆け足・停止という四段階の例と、相手をからかう会話の面白さが省かれがちです。時計の速さを変える方法ではなく、人が時間をどう感じ、どう語るのかを見つめる台詞として読むと、作品の奥行きが見えてきます。

出典と確認範囲

出典状態:戯曲原文確認済み/日本語は説明的な訳・文言変化あり。今回はFolger版の第3幕第2場と、その解説を参照しました。翻訳者ごとの日本語定訳、初期印刷本間の全異同、比喩と現代の心理学研究との一致まで調べたものではありません。

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