はじめに
「運命がカードを混ぜ、われわれが勝負する。」は、ショーペンハウアーの名言として日本語でも英語でも広く流通しています。
しかし今回、ショーペンハウアーの主要な英訳テキストや関連資料を確認した範囲では、この形の一文を本人の確実な原文として特定できませんでした。したがって、この記事では「ショーペンハウアーが語った」と断定せず、出典要検証の流通名言として扱います。
なぜショーペンハウアーらしく見えるのか
この言葉が本人の思想とまったく無関係に見えるわけではありません。ショーペンハウアーは『幸福について』にあたる文章の中でカード遊びを取り上げ、偶然与えられた変更できないカードを、できるだけ巧みに使うことについて論じています。
つまり、「与えられたカードをどう扱うか」という発想自体には、ショーペンハウアーの真正な文章との接点があります。ただし、それだけで「運命がカードを混ぜ、われわれが勝負する」という簡潔な格言を本人の直言と証明することはできません。
旧記事で問題だった点
以前の記事では、この言葉をショーペンハウアー本人の発言と断定したうえで、「最終的な勝敗は努力次第」「結果をどう形作るかは私たちの選択次第」と説明していました。
しかしこれは、出典が確定していない言葉から、さらにショーペンハウアーの自由意志観まで推測したものです。本人の哲学を説明するなら、確認できる著作から議論する必要があります。
それでも、この言葉をどう読めるか
作者を確定できないことと、言葉そのものに意味がないことは別です。「配られる条件は選べなくても、その条件にどう対応するかを考える」という比喩として、この一文を読むことはできます。
ただし、それはこの流通名言から得られる現代的な解釈であり、「ショーペンハウアーがそう教えた」とは区別すべきです。
まとめ
「運命がカードを混ぜ、われわれが勝負する」はショーペンハウアー名義で広く流通していますが、今回確認した範囲では確実な出典を特定できませんでした。そのため判定は要検証です。
一方、ショーペンハウアー本人がカード遊びを、変更できない偶然的条件を巧みに扱う訓練になぞらえた文章は確認できます。似た発想が存在するからこそ、後世の短い格言が「本人らしい言葉」として定着した可能性も考えられますが、その成立過程までは断定できません。