「自分のポケットの中の小銭は、他人のポケットの中の大金にまさる。卵を抱いているのはいいことだ。塵も積もれば山となる。」
セルバンテスの名言として紹介されることがありますが、正確には『ドン・キホーテ』第二部第7章で、サンチョ・パンサが口にすることわざの連なりです。
作者はミゲル・デ・セルバンテスですが、話者はセルバンテス本人ではありません。
英訳では「A little in one’s own pocket is better than much in another man’s purse」
A little in one’s own pocket is better than much in another man’s purse. ‘Tis good to keep a nest-egg. Every little makes a mickle.
古い英訳では、「自分のポケットにある少額は、他人の財布にある大金よりよい。巣卵を残しておくのはよい。小さなものでも積もれば大きくなる」といった意味で訳されています。
別の英訳では「The hen will lay on one egg, and many littles make a much」とされ、スペイン語原文のことわざ感がより残っています。
これはセルバンテス本人の格言ではなく、サンチョの台詞
この場面でサンチョは、ドン・キホーテに仕える条件として、将来もらえるかもしれない褒賞ではなく、確実な賃金を求めます。
そこで彼は、得意のことわざを次々に持ち出します。
「他人の大金より自分の小銭」「巣卵を残せ」「小さなものが積もれば大きくなる」という一連の表現は、未来の大きな約束より、手元にある確実な利益を重く見るサンチョらしい現実感覚を表しています。
ドン・キホーテの理想と、サンチョの現実感覚
『ドン・キホーテ』では、騎士道物語の理想を追うドン・キホーテと、日々の生活感覚に根ざしたサンチョが何度も対照的に描かれます。
この場面でも、ドン・キホーテは騎士道物語の従者が月給を受け取る前例を知らないと語り、サンチョは「将来の島」より今の賃金を求めます。
だからこの言葉は、単なる「貯金のすすめ」ではなく、理想と現実、将来の約束と目の前の確実性がぶつかる場面の中にあります。
ことわざを重ねるのは、サンチョという人物の特徴でもある
サンチョは作品中で、ことわざを大量に使う人物として描かれています。
ときにはことわざを連発しすぎて、ドン・キホーテに呆れられるほどです。
この一節も、一つの完成された「セルバンテス名言」というより、民間の知恵やことわざを重ねて話すサンチョの声として読むと、作品の面白さが見えてきます。
「塵も積もれば山となる」は日本語側の意訳
日本語で流通する「塵も積もれば山となる」は、日本語のことわざを使って意味を置き換えた表現です。
原文側では「many littles make a much」「多くの小さなものが大きなものを作る」という趣旨で、意味は近いものの、日本語の「塵も積もれば山となる」そのものがセルバンテスの原文にあるわけではありません。
そのため、このサイトでは作品と場面は確認済みだが、日本語表現には翻訳上の文言変化があるものとして扱います。
出典と判定
『ドン・キホーテ』第二部第7章の古い英訳は、Harvard所蔵コレクション由来のPDFで確認できます。
同じ箇所について、スペイン語原文と複数の英訳の対応も確認できます。
日本語の流通形は作品中の内容を踏まえていますが、話者がサンチョであること、また「塵も積もれば山となる」などに翻訳上の置き換えがあるため、この記事では「文言変化・意訳」と判断します。
引用の判定基準は出典ステータスの読み方にまとめています。