太宰治「何もしないさきから、僕は駄目だと…」|『みみずく通信』の原文と意味

「何もしないさきから、僕は駄目だときめてしまうのは、それあ怠惰だ。」は、太宰治『みみずく通信』に実際に登場する言葉です。孤立した“前向きな名言”ではなく、新潟高校の生徒との会話の中で、「自分は何をしても駄目だ」と言う若者へ太宰が返した言葉として読むと、意味がかなり具体的になります。

出典は太宰治『みみずく通信』

青空文庫で公開されている『みみずく通信』本文には、この言葉を含むやり取りが確認できます。作品は、太宰が新潟の高等学校で講演した旅を手紙のような形で報告する文章です。

講演後の生徒との会話で、太宰が「他に何をしても駄目だったから、作家になったとも言える」と話すと、ある生徒が自分も「何をしても駄目」だから有望だと返します。そこで太宰は、その生徒はまだ実際には何も失敗していないではないか、と応じます。

その流れで出てくるのが、「何もしないさきから、僕は駄目だときめてしまうのは、それあ怠惰だ。」という言葉です。

「何でも挑戦すれば成功する」という話ではない

旧記事では、この言葉を「自己成長」「成功への一歩」「ポジティブに挑戦する」といった自己啓発的な方向へ広げていました。しかし、原文の会話はもう少し限定されています。

太宰が否定しているのは、失敗することそのものではありません。まだ実際にやってもいないのに、自分の可能性について最終判決を出してしまう態度です。

「駄目だかどうだか」は、実際にやって、転倒し、傷ついてからでなければ言えない。そういう文脈なので、「成功を信じろ」というより、経験する前に自分を決めつけるなという方が原文に近い読み方です。

太宰がここで言う「怠惰」

この「怠惰」は、単に身体を動かさないことではありません。試す前から「どうせ自分は駄目だ」と結論を出すことで、失敗する可能性だけでなく、試行錯誤する機会そのものから降りてしまう態度を指しているように読めます。

ただし、これは作品中の会話から読み取れる解釈です。太宰自身の人生全体や心理状態を、この一文だけから断定することはできません。

『みみずく通信』全体で見ると印象が変わる

『みみずく通信』では、太宰は新潟高校で「思い出」「走れメロス」を読みながら、私小説、友情、信頼、理想などについて生徒へ語っています。

最後には生徒へ「勉強し給え」と伝えています。だからこの一文も、万能な成功法則ではなく、これから経験を積む若者へ向けた、少し厳しい励ましとして読むと自然です。

現代に引き寄せるなら

仕事、転職、勉強、創作などで、「自分には向いていない」と始める前から判断することがあります。その判断に十分な経験があるのか、それとも失敗を避けるための結論になっていないか。この言葉は、そんな問いを投げかけます。

ただし、何でも無理に挑戦すればよいという意味ではありません。試す前の自己否定と、実際の経験を踏まえた撤退判断は別です。

確認した資料

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