はじめに
「すべての人間は、本性によって互いを憎み合う」。パスカル『パンセ』に実際に残る、かなり厳しい一節です。
ただし、この言葉を「人間には競争本能がある」「だから争いがなくならない」という一般的な心理学へ置き換えると、原典の議論を見失います。パスカルはこの直後に、欲望を公共の利益へ利用して社会秩序を作ることまで論じています。
原典では欲望と公共善が続く
該当断片では、人間は互いを憎むと述べたあと、人々は欲望をできる限り公共善のために利用する、と続きます。しかしパスカルは、それを本当の愛とは認めません。「慈愛の偽像」にすぎず、根底にはなお自己中心的な欲望が残っている、と見ます。
さらに周辺の断片では、欲望から政治・道徳・正義の優れた規則を引き出したとしても、人間の悪い根は覆われただけで取り除かれてはいない、と論じます。
「人間は邪悪だ」で終わる話ではない
この一節の面白さは、個人の悪意だけではなく、利己的な人間からどうやって社会秩序が成立するのかという問題へ踏み込んでいる点です。
人は純粋な慈愛だけで協力しているとは限らない。それでも制度や慣習によって、私的な欲望を他者と共存できる形へ調整することはできる。パスカルはその社会的成果を認めながら、道徳的な根まで変わったとは考えません。
現代の「競争本能」と同一視しない
旧来の解説では、政治的対立や社会的争いを人間の本能的競争心へ結びつけていました。しかしそれはパスカル本人がこの断片で述べている説明ではありません。
『パンセ』の人間観はキリスト教的な堕落・欲望の理解と切り離せません。現代の進化心理学や政治心理学の主張として紹介するのではなく、17世紀の宗教思想家が社会の成立をどう見たのかとして読む必要があります。
まとめ
「すべての人間は本性によって互いを憎む」は、真正なパスカルの言葉です。しかし核心は「人間は争う生き物」という一行では終わりません。
自己中心的な欲望を抱えた人間が、どうして公共的な秩序を作れるのか。そして秩序ができたからといって、人間そのものが善くなったと言えるのか。そこまで読むと、この厳しい一節が社会についての問いにもなっていることが分かります。