はじめに
「生来の才能とは自然の植物のようなものである。研鑚によって余計なものを刈り取らなければならない」。これはフランシス・ベーコン『随筆集』の「学問について」に確認できる真正な言葉です。
ただし、この一節は単純な「努力すれば才能が伸びる」という励ましではありません。ベーコンは学問と生来の能力、さらに経験の三者を組み合わせて考えています。
才能は植物、学問は剪定
原文では、自然の能力は自然に生えた植物のようなもので、学問による剪定を必要とすると述べます。しかし続けて、学問そのものも経験によって境界を与えられなければ、あまりに広すぎる指針を与えるとも書きます。
つまり学問だけを万能視していません。生まれ持った能力を学びが整え、その学びを現実の経験が調整する。三つが相互に補う構造です。
学ぶこと自体を崇拝しない
同じ文章でベーコンは、学問に時間を使いすぎれば怠惰になり、飾りとして使いすぎれば虚飾になるとも警告します。「賢い人は学問を使う」という姿勢です。
知識を集めるだけでなく、現実の判断や行動へどう使うか。その実践性がベーコンの学問論にはあります。
まとめ
「才能は植物のようなもの」は真正なベーコンの比喩です。しかし核心は努力礼賛だけではありません。
才能を学問が整え、学問を経験が整える。学習と実践を往復するところまで含めて読むと、この言葉はよりベーコンらしくなります。
「知ること」をテーマから読む
ベーコンは学習だけを万能視しているのではありません。生来の能力を学習によって整えつつ、その学習自体も経験によって方向づける必要があると考えます。「知るとは何か」では、デカルト、モンテーニュ、ショーペンハウアーと比較し、知識・方法・経験・自分で考えることの関係を横断できます。