「男は十年だ」。作家・北方謙三の名言として知られますが、厳密には北方がまだ売れなかった頃、父親からかけられた言葉です。北方が長年大切にしてきた言葉であることは確かでも、最初に言った人物を取り違えてはいけません。本人の対談をたどり、「十年」の意味、作家デビューまでの苦しい時間、父を亡くした後の回想を整理します。
まず帰属を訂正する――話したのは北方の父
有隣堂の情報紙『有鄰』第406号(2001年)の北方謙三インタビューには、このエピソードが本人の一人称で収録されています。周囲から作家を諦めるよう言われ続けていたとき、職業として小説家を認めなかった父だけが、ある一言をかけたという話です。
父の言葉は、十年同じ場所で我慢していると何かが決まる、という趣旨でした。「男は十年だ」という短句を北方自身が語ったことは確かですが、それは父親の発言を回想し、紹介したものです。したがって記事タイトルも「北方謙三の名言」ではなく、北方が父から受け取った言葉だと分かる形に直しました。
致知出版社「作家・文人の名言」には、北方謙三名義で長めの文章が紹介されています。しかし、この一覧だけを読んで北方が最初の発話者だとみなすと、本人が語った人物関係を落としてしまいます。
2001年の本人対談で分かる、発言の前後
『有鄰』で北方は、周囲の人たちから小説家を目指すことを反対され、いつまで人生を棒に振るつもりかと責められたことを語っています。大学卒業後、肉体労働などをしながら小説を書き続けていた時期です。
その父も、もともと小説家という仕事を職業として認めなかったといいます。だからこそ、父が最後に「十年」と声をかけたことには、単なる励まし以上の重みがあったのでしょう。ただし、父親がどんな心境に変化したのかを直接取材した資料ではないため、父の内面まで決めつけることはしません。
北方は当初、父の言葉に素直に納得したわけではありません。本人は、反発する気持ちがあったと率直に振り返っています。人生の節目に語られた言葉でも、その場ですぐ救いになったとは限らないのです。
「十年」と、売れなかった小説の積み重ね
致知出版社が2021年に公開した本人回想では、出版を断られても十年ほど書き続け、積み上がった原稿が自分の背丈を超えるほどになったという経験が語られています。
これは「十年我慢すれば必ず出版される」という確率上の法則ではありません。本人が何をしたかを読むと、ただ待っていたのではなく、小説を書き、原稿を送り、断られても次の作品へ取り組み続けていたことが分かります。時間だけでなく、その間の創作行為があったことを取り落とすべきではありません。
出版社のプロフィールによれば、北方は1981年の『弔鐘はるかなり』でデビューし、『眠りなき夜』『渇きの街』などで評価され、後には『水滸伝』『三国志』といった長編歴史小説も手がけています。最初の十年を経て突然完成したのではなく、出版後も作風と題材を広げていった作家です。
父親が亡くなったとき、言葉の意味が変わった
2001年の対談と2021年の回想には、父親が六十歳で亡くなった頃には、北方が雑誌の締め切りに追われるほど忙しくなっていたという場面が登場します。父の亡骸を家に迎え、線香を絶やさないようにしながら、原稿を書いていたという話です。
その時、父が「十年」と言ってくれたことを思い出し、今なら言葉の意味が分かるのに、もはや父にそれを伝えられないという思いを抱きました。ここには「努力すれば成功」という単純な結論だけでなく、親への反発が感謝に変わるまでに時間がかかったことと、伝えたい相手を失った悲しみがあります。
このエピソードを都合よく「父の予言が的中した」と演出するのは適切ではありません。北方が後年、父の言葉に新しい意味を見つけたという本人の回想として読むのが正確です。
集英社の公開対談でも父の言葉を再び語っている
集英社『チンギス紀』特設サイトの北方謙三と橘ケンチの対談にも、同じ父の言葉が登場します。北方は、若いころ結核のために大学受験ができず、思うようにいかない時期があったことも振り返っています。
この対談で、十年間作品を書いても活字にしてもらえなかったことを話し、父から言われた言葉を紹介しています。出版社の異なる資料でも父が発話者であり、北方が回想するという関係が一致します。
なお、2001年の対談、集英社の対談、書籍からの再録では、父の言葉を再現する長さや言い回しが少し異なります。逐語一致する「元の発話の録音」があるわけではなく、北方自身が別の場面で思い出して語った複数の証言として扱います。
「男は十年」は性別による成功法則ではない
父の時代の表現として「男は」という言い方が残っています。しかし創作や学習、仕事に長く取り組むことの価値が男性にだけあるわけではありません。女性や、どのような性の人にも同じ問いは成り立ちます。
また、十年という数字がすべての分野に共通する最適な期間だと証明されたわけでもありません。数か月の訓練で成長できることもあれば、十年続けても方向転換が必要なこともあります。「同じ場所で頑張る」ことを、危険な職場や不当な待遇に留まる命令へ変えないことが必要です。
長く続けることと、同じ方法を続けることは違う
北方が小説を書き続けたという事実を、同じ原稿を何度も提出しただけだと考えてはいけません。小説には読み直しや書き直し、作品ごとの新しい構想が必要です。
たとえば文章を書く人が「十年続ける」と決めるとしても、読者の反応や編集者の意見を確かめ、題材や書き方を変えることができます。目的を継続することと、手法の改良を止めないことは両立します。これは本人の具体的な執筆手順を再現したものではなく、記事側の応用です。
続けるか、変えるかを考える四つの問い
- 何を続けたいのか:書きたい作品、身につけたい技術、実現したい仕事など、目的を具体化する。
- いま何が積み上がっているか:完成したもの、試した方法、得られた反応を確かめる。
- 改善する余地はないか:同じ努力量を増やす前に、学ぶ相手や取り組み方を見直す。
- 続ける条件は守られているか:生活、健康、安全を損なっていないか、方向を変える選択肢はないかを考える。
周囲の反対にもかかわらず挑戦する人がいる一方で、事情に合わせて別の道を選ぶ人もいます。誰かが目標を変えたからといって、過去の努力が無意味だったと判定する必要はありません。
関連する記事と読み比べる
同サイトには、中川一政「人生に無駄なものは一つもない」を扱った記事があります。こちらは画家の実際の歩みと名言の未確認部分を区別した記事です。継続した時間に後から意味を見いだすという点では近いものがありますが、二人の言葉の原典状態は異なります。
また、大鵬「我慢して、我慢して、初めて楽になる」でも、苦労したから必ず成功するという単純化を避けています。発言の前後と、個別の人物の経験を理解してから比較すると、同じ「忍耐」というテーマでも違いが見えます。
出典資料と確認範囲
- 有隣堂『有鄰』第406号(2001年)・北方謙三対談:本人が父親の言葉と、売れない時代、父の死を語った資料。
- 致知出版社「背丈を越えるボツ原稿を書き続けた10年間」:本人回想を『365人の仕事の教科書』から再公開。
- 集英社『チンギス紀』特設サイト 北方謙三×橘ケンチ対談:別の対談でも父から聞いた言葉だと説明。
- 致知出版社「作家・文人の名言」:北方名義で流通する短句の例。最初の発話者の特定には対談を優先。
出典状態:本人による複数の対談・回想を確認/最初の発話者は北方の父。 「北方が語り継いだ言葉」としての帰属は確かめられますが、父親の肉声や当時の録音を確認したわけではありません。2001年の本人対談まで遡れることと、父の発話の正確な初出日時を特定したことも区別します。
まとめ――十年という数字より、父の言葉を受け取り直した時間
北方謙三にとって「男は十年だ」は、作家として成功する公式ではありませんでした。長く作品を書き続け、父が亡くなってからようやくその意味を受け取り直した、個人的な記憶の言葉です。「北方謙三が作った名言」から「北方が父に言われて、後年語り継いだ言葉」へ訂正することで、作家の経験がもっと具体的に見えてきます。
