「自分の言ったことを決して取り消さない人は、真理よりも自分自身を愛している」。この言葉はフランスのモラリスト、ジョゼフ・ジュベール(Joseph Joubert、1754–1824)の思索に由来します。旧記事では彼をフランス革命期の「軍人」と紹介していましたが、これは同姓の別人との混同を生む誤りです。本人の生涯と原文を確認すると、言葉の焦点は議論に負けないことではなく、間違いを認める知的な誠実さにあります。
原典は『Pensées, essais et maximes』第11章
1850年刊の『Pensées, essais et maximes』第11章「De la vérité, de l’illusion et de l’erreur(真理、錯覚、誤りについて)」に、“Ceux qui ne se rétractent jamais s’aiment plus que la vérité.” という一文が確認できます。説明訳は「決して自説を撤回しない人は、真理より自分を愛している」です。
『Wikisource』の1850年版テキストは第11章全文を収録し、同章では知識や意見が誤りうること、それを訂正することの価値が論じられます。格言は、誤りに気づくことを学びとして評価する箇所の後に置かれています。単に「言い訳するな」「主張を途中で変えるな」という励ましとは反対の方向を指しています。
「言葉を撤回する」とは、何をすることなのか
原文の se rétracter は、発言や意見を撤回することを意味します。間違いが分かっても、体面を守るために言い続けるなら、自分の評判への愛着が真理への関心を上回ってしまう――そんな批判として読めます。
興味深いのは、この短文の直前に、賢者にとって誤りを正すことは義務であり、救済にもつながるという趣旨の記述がある点です。ジュベールの言葉は、当時の宗教的・倫理的な語彙を含む思索の中に位置づきます。「常に柔軟であれ」といった、現代的な処世術だけに変えてしまうと、原典の射程が狭くなります。
ジョゼフ・ジュベールは軍人ではない
フランス国立図書館とラルースによれば、ジョゼフ・ジュベールはモラリスト・随筆家で、教育にも関わった人物です。生前に体系的な単著を次々と発表した著述家というより、ノートに思索を書き残していました。死後の1838年、友人シャトーブリアンがその一部を『Pensées』として刊行しています。1850年にはポール・レナルの編纂による広い収録版が出ました。
革命期の軍人として知られるのは、同じジュベール姓を持つバルテルミー=カトリーヌ・ジュベールという別人です。人物名だけが日本語で短く流通すると、こうした同姓人の経歴を誤って結び付ける危険があります。今回の一節の出典はジョゼフ・ジュベールの文章であり、軍人の経歴を引用の背景に置く根拠はありません。
なぜ人は自分の誤りを認めにくいのか
自説を撤回すると、自分の判断が間違っていたと表明することになります。議論の場で評価を気にすると、誤りを認めるより、以前の説明を守り続けたくなるかもしれません。ただし、現代心理学の特定の実験結果を、ジュベールがすでに証明していたわけではありません。彼の文章は人間の態度を捉えた文学的・倫理的な観察です。
この格言は「意見を変える人の方が常に正しい」という意味でもありません。新しい証拠が弱ければ、意見を維持することにも理由があります。大切なのは、以前の主張に忠誠を尽くすことではなく、根拠が何を示しているかを繰り返し確かめることでしょう。
仕事や学習で試せること
過去の判断を点検するとき、「当時どんな情報に基づいていたか」「いまはどんな新事実があるか」「何を修正すべきか」を書き分けると、考えを変更する理由が明確になります。変更しない場合も、その理由を説明できることが重要です。
組織であれば、誤りを指摘した人が不利益を受けないこと、訂正した記録が残ることも大切になります。これらは原典の格言から着想した当サイトの実践案であり、ジュベール本人の組織論として書いているわけではありません。
資料・原文の確認範囲
【原典】Joubert『Pensées, essais et maximes』1850年版・第11章「真理、錯覚、誤りについて」。フランス語の該当一節と、誤りの訂正を論じる直前の文章を確認しました。1850年版の掲載を確認したもので、本人のノートの執筆年月日を特定したわけではありません。
【人物・出版史】Bibliothèque nationale de France(フランス国立図書館)『Joseph Joubert, 1754–1824』。教育との関わり、シャトーブリアンによる1838年の遺稿刊行を確認しました。
【別人の区別】19世紀フランス人物辞典「JOUBERT (Joseph), moraliste français」。軍人のジュベールとは別の項目として人物を確認しました。
監査判定:原文・著者の同定を確認済み。 日本語の流通訳について、特定の訳者・初出は未確認です。第11章の格言の節番号には刊本間で相違がありうるため、章題とフランス語原文を検索の基準として示しました。
引用確認の基準は名言・原典ガイドも参照してください。

間違いを正すことは、以前の自分を否定するだけの行為ではありません。真理を大切にするからこそ、自分の説明を見直せる。ジュベールの一節は、そうした知的な誠実さを思い起こさせます。