「僕はずっと山に登りたいと思っている。……でも明日にしよう」。レオ・ブスカリアの名で広まった、行動を後回しにする人の姿を描いた言葉です。日本語では「先延ばしをやめて今すぐ始めよう」という助言として紹介されます。しかし英語の著書の該当箇所をたどると、彼が話していたのは、死を避けられないからこそ、いつかではなく今を生きることでした。「頑張って山へ行け」という単純な命令ではありません。
出典の手掛かり――1982年刊『Living, Loving and Learning』
WorldCatの書誌およびCiNii Booksの所蔵情報によれば、レオ・ブスカリアの『Living, Loving and Learning』は1982年に刊行され、1970~1981年の講演を収めた本です。Steven Shortが編集を担当しています。
同書の「That’s Where the Light Is」付近の閲覧可能な英語テキストには、死を避けられないこと、未来が無限にあるかのように生きてしまうことを語る流れの中で、「明日やろう」「山へ登りたかった」という例が記録されています。日本語で流通する短句は、その発言を取り出して整理した形と考えられます。
ただし、原著1982年版の実物の該当頁、講演が行われた場所・日付、日本語への最初の翻訳経路は未特定です。また、検索結果で確認した電子化テキストは出版社が公開した正式な本文ではないため、原本の版面照合まで完了したとは扱いません。本文の存在を示す手掛かりと、出版社・図書館の書誌を分けて記します。
「明日にしよう」は、命の有限さを語る中にある
同書では、ブスカリアが「今」を生きる必要について話しています。時間は後から取り戻せると考えていても、すべての人に明日が保証されているわけではありません。山登りの例は、「いつかしたい」と話しながら先延ばしにし、望んだ経験をずっと始められない人を象徴しています。
日本語の引用例には、続けて「おそらくあなたは永遠に登らないでしょう」という説明が付いているものがあります。2014年10月の日本語記事と2015年6月の書評ブログで、こうした形の流通が確認できます。
しかし、「おそらくあなたは永遠に登らない」という日本語が、原著のどの英語文を翻訳したものかまでは今回確定できていません。話の趣旨が近くても、本人の逐語引用と要約を混ぜないことが大切です。
ブスカリアは何を教えていたのか
南カリフォルニア大学(USC)図書館のアーカイブ紹介によると、ブスカリアは同大学で学び、1965年から1984年まで教育学部で教えました。1960年代後半、学生の死をきっかけに、愛について学ぶ「Love 1A」という授業を始め、その講義が後の著作にもつながりました。
出版社Penguin Random Houseの本の紹介でも、同書は1970~1981年に行われた講演を集めたもので、人が変化を受け入れ、生き方を学んでいく内容だと説明されています。
つまり彼の活動の中心は、単なる生産性や仕事の効率化ではありません。人が誰かとつながり、学び、感じ、現実の人生を経験することに価値を置いていました。山に登るという比喩は、その広い語りの一部分です。
すべてを今日やらなければならないわけではない
この言葉を「やりたいことはどんな事情でも即実行せよ」と読むと、無理が生じます。登山そのものには装備、天候、体力、経験、同行者、安全の確認などが必要です。身体が疲れているときや準備が足りないとき、無理に出かけることは勧められません。
ブスカリアが問題にしていたのは、具体的な準備をした上で予定を決めることではなく、望みを「いつか」の箱へ入れ続け、実現のための選択を何もしなくなることだと読むのが自然でしょう。これは作品の流れを踏まえた編集上の解釈です。
休息も経験の一部です。明日に延ばすことで体力を回復できる場合や、家族との予定を優先する必要がある場合もあります。「今を生きる」ことを、忙しく動き続けることに置き換えるべきではありません。
「山に登りたい」を行動へ変えるには
山は、ずっと気になっているけれど実行に移していない目標の象徴にもなります。遠い夢をいきなり完成させる必要はありません。まず始められる具体的な準備を一つ考える方法があります。
- 願いを具体化する:どんな山へ、何のために登りたいのかを書き出す。
- 今できる最初の一歩を決める:安全なコースを調べる、必要な体力を確認する、経験者に相談する。
- 予定を現実の条件へ合わせる:天候、家族、仕事や健康の事情を踏まえて日を決める。
- 目標自体を見直す:本当に自分の願いなのか、周囲に言われた夢を抱え込んでいないかを考える。
仕事や学習でも、「いつか勉強する」と言い続ける代わりに、読みたい本を一冊選ぶ、講座の内容を調べるなどの小さな行動を起点にできます。しかし、望まない目標を無理に続ける必要はありません。
原典に近づくと読み方はどう変わるか
日本語の短句だけでは、先延ばしを戒める厳しい格言に聞こえます。しかしブスカリアの書籍で確認できる話題は、死の有限さ、目の前の経験、学び、人と人のつながりまで広がっています。
限られた時間を意識するのは、将来の後悔を恐れて走り続けるためだけではありません。今出会っている人、今経験していることを見過ごさないためでもあります。本人の講演の広い射程を保つ方が、この言葉の価値を捉えやすいでしょう。
森信三「五分の時間を生かす」の記事も、短い時間の使い方を扱っています。ブスカリアが「人生の有限さ」を語るのに対し、こちらは「日々の小さな時間」の価値を問いかけます。どちらも、休息を否定する言葉として使わないことが大切です。
資料・出典状態
- WorldCat『Living, loving and learning』:1982年の刊行、講演集という性格を確認。
- CiNii Books『Living, loving & learning』:著者・編集者・初期版書誌と国内所蔵を確認。
- Penguin Random House『Living Loving and Learning』:講演の収録年代、作品の趣旨、現行版の書誌。
- USC Libraries「Leo Buscagliaアーカイブ紹介」:教育者としての経歴と「Love 1A」の授業。
- 日本語ブログ(2014年10月15日)と書評ブログ(2015年6月1日):日本語の短句・続く説明の流通形。原典そのものではない。
出典状態:著書内に対応する英語の文脈を確認/原版の頁と邦訳の出所は要確認。 1982年刊の講演集に「明日」と「山登り」の比喩が登場するという手掛かりを得ましたが、原本の版面、講演の正確な日時、現在の日本語訳の逐語的対応は未照合です。原著の英語と日本語で広まった短い文を同一の確定引用として扱いません。
まとめ――いつかの夢を、今の人生とつなげる
レオ・ブスカリアの山登りの例は、「明日やろう」という先延ばしを通じて、有限の命と今の経験を考えさせます。行動は大切ですが、体力や環境を無視して突き進むことだけが正解ではありません。自分が本当に大切にしたいことを見極め、できる一歩を選ぶ。元の講演の流れへ戻ることで、単なる効率化の言葉ではない、生きることへの問いが見えてきます。
