「愛は惜しみなく与う」はトルストイの名言?|『On Life』にある自己犠牲としての愛

はじめに

「愛は惜しみなく与う」。日本ではトルストイの名言として長く流通し、国語辞典にも慣用的な表現として載るほど定着しています。有島武郎の「惜しみなく愛は奪う」も、この「愛は惜しみなく与う」を踏まえた表現として説明されています。

ところが、トルストイの英訳著作や日記などを調べても、現時点ではこの短い日本語と一対一で対応する原文を確定できませんでした。

一方で、トルストイ自身が愛とは自分の時間、力、身体、さらには生命まで他者のために与える自己犠牲であると明確に論じていることは確認できます。したがって、完全な誤帰属と切り捨てるのも早計です。

『On Life』でトルストイが語った愛

1880年代の哲学的著作『On Life』第25章で、トルストイは「愛は真の生の唯一の完全な活動」だと論じます。

そこで彼は、愛が本当に愛になるのは自己犠牲であるときだとし、人が他者へ自分の時間や力を与え、身体を差し出し、生命をその対象へ与えることまで述べています。

母親が子を養うことや、他者のために身体を使って働く人を例にしながら、愛を感情ではなく自分を他者へ与える活動として捉えます。

「愛は惜しみなく与う」は原文そのものなのか

ここは区別が必要です。

「愛は惜しみなく与う」という日本語は、トルストイ名義で非常に広く流通しています。しかし、今回確認した範囲では、その短い形に直接対応するロシア語・英訳の一文を一次資料から特定できませんでした。

したがって「トルストイがこの日本語に対応する一文を、そのまま格言として書いた」と断定するのは避けるべきです。

一方、『On Life』には「愛とは自己犠牲であり、自分の時間・力・生命を他者へ与える」という極めて近い思想があります。日本語の短句が、こうした思想を凝縮して流通した可能性は十分考えられますが、その伝播経路は別途検証が必要です。

有島武郎の「惜しみなく愛は奪う」との関係

日本ではこの表現が特に有名なのは、有島武郎の評論『惜しみなく愛は奪う』との対比があるからです。

辞書でも、有島の表現は「愛は惜しみなく与う」をもとにした言葉として説明されています。有島は「与える」という愛の外面的な姿に対し、愛する主体は対象を自己の中へ取り込むという逆方向から愛を考えました。

そのため、この二つは日本の名言文化の中でセットのように語られてきました。しかし、そのこと自体は「与う」という日本語短句の一次出典を証明するものではありません。

トルストイの愛は「気前のよさ」より厳しい

『On Life』を読むと、トルストイの愛は単にプレゼントや親切を惜しまないという意味ではありません。

自分の利益を優先する生き方を退け、他者のために自分自身を使う。しかも特定の好きな人だけではなく、より普遍的な善意へ向かう。かなり厳しい倫理です。

だから「惜しみなく与う」という日本語は、原文としては慎重に扱う必要がある一方、トルストイの愛の思想を短く表す言葉としては非常に近いとも言えます。

まとめ

「愛は惜しみなく与う」は、日本でトルストイの名言として定着している表現です。有島武郎の「惜しみなく愛は奪う」も、この言葉との対比で理解されてきました。

しかし現時点では、この短句そのものに対応するトルストイの一次資料を特定できていません。

一方、『On Life』には、真の愛を自己犠牲とし、時間・力・身体・生命を他者へ与えるものとする明確な記述があります。したがってこの記事では、「トルストイの思想には確かな根拠があるが、日本語の短句の成立過程は要検証」という状態で扱います。

原典・関連ページ

原典:トルストイ『人生論』第25章(ロシア語本文) / 英訳 On Life

トルストイ人物ページへ → / 「愛」というテーマから読む →

出典状態:意訳・文言変化。「愛は惜しみなく与う」に一対一で対応する短句は未特定ですが、『人生論』第25章には愛を自己犠牲として「自分の時間・力・生命を与える」ものとする明確な原文があります。

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