はじめに
「本当の真実というものはいつでも真実らしくない。真実を真実らしく見せるためには、どうしてもそれに嘘を混ぜる必要がある」という言葉には、ドストエフスキーの小説『悪霊』という明確な原典があります。
ただし、これはドストエフスキー本人が読者へ直接語った真理論ではありません。話者はステパン・トロフィーモヴィチ・ヴェルホーヴェンスキーです。
ステパンが息子との議論を振り返る場面
『悪霊』第2部冒頭で、ステパンは語り手に、息子ピョートルとの不穏な議論について話します。
その流れで、“the real truth always sounds improbable”――本当の真実はいつもありそうもなく聞こえる、そして真実をもっともらしく見せるには多少の虚偽を混ぜなければならない、と口にします。
つまり、メディア論やSNSの「フェイクニュース」を分析している場面ではありません。世代間・思想間の対立の中で、真実がそのままでは人に信じてもらえないという逆説を、ステパンが半ば興奮して語る場面です。
作者の思想と、登場人物の言葉を分ける
この一文はドストエフスキーが書いた真正な文章です。しかし、ステパンは『悪霊』の中で、理想主義、虚栄、自己演出、旧世代の知識人文化をまとった複雑な人物として描かれます。
そのため「ドストエフスキーは、真実には嘘を混ぜるべきだと教えた」と一般化するのは危険です。
むしろこの台詞自体が、真実を語ろうとする人物も、自分の言葉を演出してしまうという作品の皮肉の中に置かれていると読む余地があります。
現代へ応用するときも、原典と分ける
現代では、事実そのものより「もっともらしい物語」の方が信じられやすいことがあります。その意味で、この台詞を情報社会や宣伝の問題へ引き寄せることはできます。
ただし、それは現代的な応用です。原典は19世紀ロシアの小説内の会話であり、ドストエフスキーが現代メディアの法則を予言したわけではありません。
まとめ
「本当の真実はいつでも真実らしくない」は、『悪霊』に確認できる真正な文章です。
ただし話者はステパン・トロフィーモヴィチ。作者本人の独立した格言ではなく、思想と自己演出が交錯する登場人物の台詞として読む必要があります。
出典メモ:Fyodor Dostoevsky, Demons / The Possessed(『悪霊』)、第2部第1章「Night」。Project Gutenberg公開のConstance Garnett英訳(1916年)で、ステパン・トロフィーモヴィチが語り手に息子ピョートルとの議論を振り返る場面に、真実には偽りを混ぜなければもっともらしく聞こえないという逆説を確認できます。ロシア語原文と日本語の逐語一致は未照合です。人物の台詞を作者本人の教訓として扱いません。
ドストエフスキーと『悪霊』をさらに読む
ドストエフスキー人物ページでは、登場人物の独立した思想を作者の一つの教義へまとめず、作品を横断して読めます。『悪霊』作品ページでは、ステパンとキリーロフの異なる声を、真実・幸福・不幸・自殺・自由の対立として比較できます。