「和を以て貴しとなす」。聖徳太子の言葉として広く知られますが、「誰にも反対せず、争いを避けて仲良くしよう」という標語に置き換えると、もとの文章の重要な部分が抜け落ちます。典拠は『日本書紀』に記された十七条憲法の第一条です。冒頭の一節だけでなく、その後に続く党派、意見の対立、議論についての文章まで読むと、協調と討議を両立しようとする視点が浮かびます。
原典に記されたのは604年の十七条憲法
『日本書紀』の推古天皇十二年(604年)の記事に、一般に「十七条憲法」と呼ばれる文章が収められています。第一条の冒頭は漢文で 「以和爲貴、無忤爲宗」。訓読では「和を以て貴しと為し、忤ふこと無きを宗と為す」という趣旨になります。
大事なのはその続きです。そこには「人皆党有り、亦達者少し」とあり、人はそれぞれ党派・仲間を持ち、道理をよく理解した人は多くないと述べています。さらに、上と下が和らぎ、物事を論じるときに調和すれば、物事の道理が通じ、成し遂げられないことはないという主張へつながります。
ただ沈黙して従うことだけではなく、互いに違う立場があることを踏まえて物事を論じるという要素が、第一条そのものに書かれているのです。
「和」は、異論を禁止する言葉なのか
第一条だけを現代語で読む際、「仲がよければ何でもうまくいく」と単純化しがちです。しかし、原文には 「論事」、すなわち物事を論じる場面が含まれています。意見があること自体を悪とするのではなく、対立を抱えた人々が仕事を進めるためにどう関わるかを問う文章として理解できます。
さらに第十条には、自分が是とすることを相手が非とし、相手の是は自分の非ともなり得るという趣旨が書かれています。自分が必ず聖人で、相手が必ず愚か者とは限らない、という発想です。これは現代的な意味での表現の自由や多数決の制度をそのまま定めたものではありませんが、意見の違いへの自覚を見いだせます。
ただし古代の政治体制を忘れない
一方、十七条憲法には天皇の命令への服従を求める第三条や、官人の秩序、仏教の尊重に関わる条文もあります。近代の民主主義憲法や人権保障のルールブックとは性格が異なり、政治に携わる人々の倫理や秩序を説いた文書として読む必要があります。
第一条を取り出して「聖徳太子は現代の対等な議論を推奨した」と言い切れば、当時の支配と官僚制度の前提を隠してしまいます。古典の一部を現代に応用することと、古代の価値体系が現代と同じだったと説明することは別です。
本当に聖徳太子が一字一句書いたのか
よく紹介される「聖徳太子が604年に制定した」という説明は、『日本書紀』に基づく伝承・記録です。ただし、現在読める『日本書紀』は720年に編纂された史書で、604年当日に作成された自筆原稿そのものではありません。
十七条憲法の成立事情、編集、聖徳太子個人への著者帰属には研究上の議論があります。したがって、本記事では「『日本書紀』に604年の制定記事として収録されている」という確認可能な事実と、「聖徳太子が現存する文章の全てを自筆で起草した」というより強い主張を区別します。
原文が現在まで伝わり、古代の政治思想を考える重要な資料になっていることは、その著者や編集過程の問いがあることと矛盾しません。
十七条全体に見る「議論」の位置づけ
最終の第十七条にも「大事不可獨斷、必與衆宜論」とあり、大事を独断せず人々と論じるべきだという考えが記されています。第一条の「和」だけに着目せず、第十条の意見の対立、第十七条の重要な判断と議論を重ねて読むと、一冊の文書のなかで意味が深まります。
ただし、ここでいう「衆」が現代の全市民や、あらゆる社会集団を対等に指していたわけではありません。古代の官人社会に置かれた規範であることを踏まえながら、現代の読者は必要な部分を取り出して考えることができます。
職場や暮らしで参考にするなら
例えば会議で反対意見が出たとき、「和を大切にするから黙って従え」と考えてしまえば、本当に検討すべき問題が残ります。むしろ、相手と自分で見ている事実がどう違うかを確認し、結論に至るまで話し合うことができます。
同時に、議論では対立相手を必要以上に攻撃しないことも重要です。この両方を意識する方法は当サイトによる現代的な応用であり、古代の条文が現代の会議運営を直接規定したものではありません。
出典・確認範囲
【古典の本文】Wikisource「十七条憲法」全文。『日本書紀』推古天皇十二年の記事を典拠とする原文・訓読を確認。第一条、第十条、第十七条、ならびに仏教や官人秩序についての条文を照合しました。掲載ページは後代の本文・訓読に基づく転写です。
【国立国会図書館の書誌】国立国会図書館サーチ「聖徳太子憲法十七箇條」。古活字版など後世の伝本が所蔵されていることと、その位置づけを確認しました。これを604年の自筆原本と取り違えません。
監査判定:現存する古典本文上の引用位置は確認済み。聖徳太子個人の逐語的な起草・成立過程は研究上の論点。 「和」の重要性は原文に沿って説明しつつ、旧記事の「ただ反対を避けよ」という単純化を改めました。
関連する原典の読み方は当サイトの名言・原典ガイドをご参照ください。

「和を以て貴しとなす」を読むときは、反対意見を消すことだけを考えるのではなく、異なる立場の人々がどう議論し、どう物事を進めるかを考えたいものです。史料の成立と時代の制約を意識しながら読むことで、一節はより立体的に見えてきます。