井上陽水「価値観が入り込める余地」|2014年取材に学ぶ歌と解釈の自由

「余地を残す」は、歌に思想があってはいけないということか

「いろいろなイデオロギーや価値観がある。そのすべてが入り込める余地を残したい」。井上陽水のこの考えは、作品を誰からも批判されない無難な内容へ変えようという話ではない。異なる聴き手が自分の感覚で歌に近づけるよう、作者が結論を確定しすぎないという表現上の姿勢である。

出典は2014年5月24日のオリコンニュースによる本人取材。アルバム『氷の世界』40周年企画で、当時の創作と時代の関係を問われ、陽水は歌を娯楽として捉えることや、作り手が思想を説明しすぎないことに触れた。その直後に、さまざまな価値観が入り込める余地を残しておきたいと語っている。

旧記事は、あらゆる意見を等しく受け入れる寛容な社会を作ることが陽水の主張だという一般論に広げていた。しかしこれは音楽制作を語った発言である。芸術表現で答えを決めすぎないという態度と、あらゆる社会的主張を無条件に正しいと認めることは違う。

2014年の取材で問われていた、歌と社会の距離

聞き手は『氷の世界』が作られた時代を振り返り、政治や社会の変化を直接主張するアーティストとは異なる陽水の表現を話題にしていた。陽水は、表面的なきれいごとに収まらない歌の面白さを以前から感じていたとも語る。社会への関心がないから歌に意味を込めない、という単純な区分ではない。

本人は強く説教するような表現より、日常に隠れたものへ目を向けることを好むという。人が当たり前だと思う習慣や、ふだん意識しない感情に少し違う角度から光を当てる。問いを投げかけることと、答えを押し付けることは必ずしも一致しないのである。

だから、余地を残すことを「作者が何も考えていない」と理解するのも誤りだ。どの言葉を選び、何を言い切らずにおくかにも技術がいる。説明し尽くしてしまえば受け手の想像が入り込む場所がなくなるかもしれない。語らない部分も意識して作ることで、歌が複数の意味を持てるのだ。

忌野清志郎との共作に見える、開かれた創作

同じ2014年の取材では、陽水と忌野清志郎が「帰れない二人」を作ったころの話も出る。互いにギターを持ち、どういう歌を作るか考えながら、歌詞を交互に書いたという回想である。創作が一人の頭の中の完成した思想をそのまま写す作業ではなかったことが伝わる。

陽水は当時の記憶が曖昧な部分についても率直に断りを入れている。だからこの証言から、歌詞のすべての行を誰が書いたかといった細部まで確定することはできない。ただ、共同作業では相手から予想外の言葉が届き、それを受けて次の表現が変わることがある。作者の側にも、自分の予定を越える余地があったと考えられる。

もちろん、共作をした曲が必ず開かれた解釈になるとは限らない。しかし、陽水がこの取材で見せる語り口は、作品の意味を一人で独占したがらない姿勢と通じている。作品の完成後にも、聴き手が別の発見をする可能性を残すことができるだろう。

自由な解釈にも、確認すべきことはある

歌の言葉を自由に受け取れると言っても、歴史的な事実や実在する人の発言まで自由に作り替えてよいわけではない。作者が実際に何を語ったか、曲の制作年はいつかといったことには、確認できる資料がある。作品の解釈が開かれていることと、事実の検証を不要にすることは別問題である。

また、作品を聞いて違和感や嫌悪感を抱く人もいるかもしれない。その人にも解釈する自由があるが、他人の尊厳を傷つける表現を批評してはいけないわけではない。陽水が述べた余地は、反対意見をなくすための魔法の仕組みではない。異なる読みに触れたとき、作品へ戻って考え直せる場所として理解できる。

仕事で文章を書く場面でも、すべてを曖昧にすればよいという教訓にはならない。規則や安全に関する説明は明確であるべきだ。一方、随筆や芸術作品なら、正答を一つに決めるより、読み手が何かを考え続けられるように作る選択がある。目的の違う文章には、必要な明確さも違う。

二つの言葉を一つの取材へ戻して読む

この言葉と、「歌を聴いて悩むことも娯楽」は同じ取材の近い箇所で語られた。前者が作者の側で結論を固定しすぎない考え方だとすれば、後者は聴き手の側で歌を考えることも楽しみになるという見方だ。作品を開いておく側と、その中へ自由に入っていく側の関係として合わせて読める。

出典はオリコンニュース「井上陽水が語る、忌野清志郎さんとの共作秘話」(2014年5月24日)。別ページの『氷の世界』40周年特集も同じ取材内容を掲載する。二つの掲載ページを別々の本人証言と数えないことと、本人の言葉と本稿の解釈を区別することが重要だ。

関連記事の「歌を聴いて悩むのも娯楽」では鑑賞する人の楽しみ方を、この記事では作者が表現に残す余地を扱った。同じインタビューから切り出した二つの文を、無関係な人生哲学としてばらばらに扱わず、異なる論点を明示して接続している。

ほかの記事を探す

記事の訂正・出典情報は、お問い合わせから該当記事のURLと根拠資料をお知らせください。