井山裕太「第一感で攻めて勝ちたい」|2009年取材で語った定石と自分の一手

定石と第一感をどう両立させるか

囲碁棋士・井山裕太の「第一感」で攻めたいという言葉は、既存の常識を破って成功しようという人生訓として引用される。しかし本来の主題は、定石を知ったうえで、目の前の局面をどう判断するかという盤上の問題だ。誰かの真似をすることとも、ただ思いつきで打つこととも違う。

出典は、2009年7月2日公開の『ダイヤモンド・オンライン』「井山裕太 “第一感”で攻めて勝ちたい」。当時20歳の井山は、定石と異なる場合でも自分がよいと感じるところへ打つことがある、と語った。どんな場合にも定石を拒否するのではなく、場合によって違う選択をするという表現が重要だ。

旧記事は「内なる声を信じれば成功できる」という一般論に重心があった。しかしプロの勝負は、感覚に従うこと自体が目的ではない。その後に相手がどう応じるかを読み、自分の手に責任を持つ必要がある。

2009年に語られた、若い棋士の姿勢

井山は5歳で囲碁を覚え、少年時代から大人の相手と対局した。2005年には16歳4か月で全日本早碁オープン戦を制し、2008年には名人位を争って張栩に挑戦した。当該記事は、若手の活躍と苦戦をともに紹介している。

この文脈では、第一感の話は後年の七冠制覇を振り返った成功談ではない。既に勝負の厳しさを知り、まだ新たなタイトルに挑戦している青年棋士の自己表現だった。後の栄光を知っている読者ほど、2009年という日時を意識する必要がある。

公式棋歴は日本棋院「井山裕太」棋士プロフィールで確認できる。競技成績の根拠と本人発言の根拠は別なので、原文の照合には当時の取材記事を用いた。

定石を学んだ人の直感は、ただの思いつきではない

囲碁の定石とは、一定の局面で過去に研究された代表的な打ち方のことだ。しかし盤の別の場所に置かれた石や、相手の構想が変われば、最善の選択も変わり得る。知っている型を機械的に当てはめるだけでは、局面全体を捉えきれないことがある。

井山のような熟練者の第一感の背景には、何千もの手順や局面を読んできた経験があるだろう。打ったことのない手でも、過去の学びを使って評価できる。知識を捨てることと、知識だけで思考を止めないことは違う。

もちろん直感が間違う場合もある。定石を外れた手が必ず優れているわけではないし、安全な手が最善になる局面もある。第一感を尊重する姿勢は、検討を放棄するための言い訳にはならない。

第一感と「自分らしさ」は同じことか

井山は取材の中で、相手が誰であっても、自分の好む攻め方をしたいという趣旨も語っている。ここでの自分らしさは、他人の意見をすべて無視することではない。自分の読みと棋風を最後の判断に反映させるという、競技者の責任と結びついている。

強い相手を前にすると、自分の読みが信用できなくなることがある。逆に自分の手を過信して、相手が狙う変化を見落とすこともある。相手を尊重しながら、自分が選んだ手を検討し続けるという緊張の上で第一感は生きる。

仕事や勉強への応用を考えるなら、手順を理解したうえで条件の違いを調べる態度に近い。ただし、囲碁とは異なり他人の安全や法的責任を伴う判断では、直感だけでは決められない。棋士の勝負観を無条件の自己啓発へ変換しないようにしたい。

一つの取材にあった二つの言葉を読み分ける

この取材では、幼少期からの負けず嫌いな気持ちや、緊張よりも勝負の面白さが勝っていたという発言も語られている。第一感の言葉と合わせると、対局に向かう好奇心と、その中で自分の手を選ぶ姿勢を、同時に知ることができる。

出典は『ダイヤモンド・オンライン』2009年7月2日「井山裕太 “第一感”で攻めて勝ちたい」。記事本文中の本人発言を確認したが、取材時の音声や紙の誌面との再照合は行っていない。公開記事を直接確認した範囲と、未確認の原資料を区別する。

同じ取材の勝負への気持ちについては、井山裕太「緊張よりワクワクが勝った」の記事で解説した。本記事は第一感と定石に焦点を当てる。同じ取材に由来する複数の言葉を別々の独立した発言に見せないよう、相互に出典を示している。

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