色川武大「何もかもうまくいかせようとするな」|『うらおもて人生録』の勝敗観

「何もかもが上手くいくはずはないのだから、何もかも、上手くいかせようとするのは、間違った方法論だ」。作家・色川武大の言葉として流通する文章です。仕事も家庭も学習も、全部うまくいけば理想的でしょう。しかし、現実には予想外の出来事や、自分では左右できない結果もあります。失敗をゼロにする発想ではなく、失敗を含めてどう持続するかという問題として、この言葉を読み直します。

この名言は誰の、どの作品の言葉なのか

冒頭の日本語は「一禅堂」の色川武大名言集などに本人の言葉として掲載されています。しかし、これまでの調査では、色川本人のどの著作・随筆・対談に逐語的に登場したか、版とページを特定できていません。

同じ名言集には、全勝を目指すと一敗で折れやすくなるという趣旨の別の言葉や、勝ち数と負け数の目安についての文章も収録されています。ただし、それらが同じ場面で語られたのか、一つの文章の前後にあったのかは不明です。似ている言葉を勝手に一続きの原文として組み直してはいけません。

『うらおもて人生録』という具体的な著作

色川の考えを本人の作品から学ぶ手掛かりとして、新潮社刊『うらおもて人生録』があります。新潮社の公式書誌によると、1987年刊行の随筆集で、色川のもう一つの筆名・阿佐田哲也が経験した勝負の世界も背景に、人生の技術や考え方を扱う作品です。

章題には「九勝六敗を狙え」「黒星の算えかた」「立ちどきの問題」「運は結局ゼロ」「勝ち癖負け癖」「一歩後退、二歩前進」などが並びます。この並びから、勝敗を一回きりの絶対的な評価ではなく、長く生きるなかで繰り返し向き合う問題として扱っていることが分かります。

ただし、『うらおもて人生録』が存在することと、見出しの名言が同書に掲載されていることは別です。本記事は書籍の章題と公式紹介から主題を確認しましたが、名言と完全一致する原文の所在は未確認です。

「全勝を目指す」という考えの落とし穴

目標に向けて最大限努力することと、結果をすべて思い通りにしようとすることは異なります。後者では、失敗や想定外の結果が出るたびに、計画全体が失敗だったかのように感じてしまう場合があります。

例えば、仕事上の施策が十回のうち一回うまくいかなかったからといって、残りの成功や学習まで無価値になったわけではありません。重要なのは、どの条件で結果が出たのか、次へ何を残せるかです。

ただし、成果の失敗が人の安全や権利に関わる場合は、「失敗もあるさ」と軽く扱うべきではありません。取り返しのつかない失敗は事前に防ぐ努力が必要です。許容できる不確実性と、許容すべきでない危険を分けることが重要でしょう。

「九勝六敗」を目標にするという発想

『うらおもて人生録』の章題には「九勝六敗を狙え」とあります。十五回の勝負のすべてに勝つのではなく、負けが起きることを前提にしながら、全体として成果を残すという考え方を読み取れます。

ただし、九勝六敗を実績の数値目標として全業種へ適用する話ではありません。本の章題が示す勝敗の比率は、事業収益の成功率、投資の勝率、学習効率などを科学的に保証する統計値ではないからです。

書評家がこの本を「勝ち続けることより生き残ること」と捉えている点は、人生論としての含意を考える参考になります。しかし、その解釈と、色川本人の一字一句の主張も区別して示す必要があります。

勝敗を数える前に、何を勝ちとするのか

同じ結果でも、その人が何を目的にしているかによって意味が変わります。収入を増やすことが最優先の人もいれば、健康や家族との時間を守ることを大切にする人もいます。ある時期に仕事上の昇進を見送ることは、職業上の順位だけなら「負け」に見えても、別の価値を守る選択かもしれません。

したがって、「失敗があるのは当然」と言う前に、どの尺度で成功と失敗を判断しているのかを問うことができます。誰かの作った競争のルールと、自分が守りたい価値が一致しているかは、色川の別の文章にも通じる問題です。

麻雀や勝負の世界から人生を考えるときの注意

色川は阿佐田哲也名義で『麻雀放浪記』などを書き、勝ち負けを経験する人間の心情を描きました。しかし、作品や随筆の中の勝負の比喩を、日常生活のすべてに直結させる必要はありません。

確率や偶然の影響が強いゲームでは、よい判断をしても負ける場合があります。反対に、悪い判断でも結果だけがよく見えることがあります。目先の勝ち負けを自分の人格の優劣だと決めつけない視点は、経験から学ぶ上で有益でしょう。

一方で、これは賭け事への参加を勧める話ではありません。勝負の経験から何を考えるかという文学・人生論の分析です。

新潮社の紹介にある「反対側を経験する」という発想

新潮社の書籍紹介では、色川本人の文章が短く抜粋され、勉強と遊び、勝ちと負けのような正反対の経験を行き来することで、片方の価値が見えてくるという趣旨が示されています。

これは、負けを避けるだけでも負けに酔うだけでもなく、変化を経験し、その都度何が起きたかを考える発想です。失敗を美化する必要はありませんが、そこから次の判断を更新することはできます。

長い人生を考えるための技術

金子書房が公開した山本高樹氏の書評では、『うらおもて人生録』について、全勝は続かないことを前提にして、実力や運、不確実性を考える本だと紹介しています。

一回の失敗をめぐって誰が悪かったかだけを問い続けるのではなく、そもそも計画に余裕があったか、失敗しても立て直せる条件だったかを振り返る。そうした方法は、日常の課題を考えるうえでも意味があるでしょう。

同時に、何かを断念したり方向転換したりすることを、必ずしも敗北と呼ぶ必要はありません。人生には、同じ競技のスコアのようには測れない問題があるからです。

仕事における「全勝志向」をほどく

新しい企画や記事制作では、最初からすべての仮説が当たるわけではありません。だからこそ、試す前に何を観測すれば成果と判断するのか、失敗した場合に何が分かるのかを考えておくと、単なる気分ではなく結果から学べます。

ただし、ここで言う「失敗も許容する」は、仕事の品質検査や正確な出典表示を省くこととは別です。事前に防げる誤りは防ぎ、予測できない部分は小さく試す。慎重さと挑戦は、失敗の性質を見分けることで両立します。

「幹線道路を行く」の記事と何が違うか

当サイトの「幹線道路で競争してもしょうがない」では、他人が決めた競争コースだけが人生ではないという視点から、『うらおもて人生録』を紹介しました。本記事は、自分が選んだ道の中でも、うまくいかない局面をどう扱うかに焦点を当てています。

人と違う道を選んだとしても失敗や不確実性からは逃れられません。自分の価値観に沿って選び直すことと、失敗を含む時間を生きることは、関係する別の課題です。

まとめ――「何もかも」を目標にしない

色川武大の「何もかもうまくいかせようとするのは間違った方法論」という言葉は名言集に流通していますが、逐語的な初出・作品内の頁は未確認です。一方、本人の『うらおもて人生録』では、勝ち負け、フォーム、撤退、立て直しといった問題を繰り返し扱っています。すべての局面で勝とうとするより、失敗の性質を見分け、持続できる選択を考えることが、この言葉から引き出せる重要な問いでしょう。

出典と調査範囲

【名言の流通例】一禅堂・色川武大の名言集。冒頭の文章と類似する別の表現が掲載されていますが、原著・版・ページの特定には至りません。

【本人の作品・公式書誌】新潮社『うらおもて人生録』。1987年刊の書誌、章題、本文抜粋を確認。見出しの逐語的な引用が存在することを証明する資料ではありません。

【後年の批評】金子書房・山本高樹「流離人の耽読」第3回『うらおもて人生録』。勝敗の長期的な捉え方についての書評。本人の発言原典ではありません。

【判定】要検証。著作が扱う主題は確認済み。見出しの言葉の逐語的な出典と掲載箇所は未確認。

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