上野水香「バレエは予習なしでも楽しめる」|まっさらな気持ちで舞台を観る

「バレエの予習はいらない」は本人の言葉か

「バレエを観に行くとき、予習はいらない。まっさらな気持ちで、五感で感じてほしい」。上野水香の言葉として流通する文章には、席が遠い場合のオペラグラスについての助言も付いている。だが、この長い文の初出インタビューと、語句すべての逐語的な一致は確認できなかった。確認できる部分と、出典を特定できない部分を分けたい。

2023年の都民芸術フェスティバル公式インタビューでは、初めてバレエを観る人への助言を尋ねられた上野が、敷居が高いと難しく考えず、まっさらな気持ちで来てほしいと話している。特にベジャール版『ボレロ』は、説明を求めるより直接体験してほしい作品として挙げられた。「身構えずに劇場へ」という主旨は、本人の発言として確認できる。

一方、旧記事はこの発言を、事前知識を持つと感性が鈍るという一般的な心理法則として説明していた。そんな研究結果を上野が示したわけではない。予習する自由を否定するのではなく、初めての観客が入り口で尻込みしなくてよいという文脈で読むべきだ。

「まっさらな気持ち」は、何も知らないことではない

バレエには聞き慣れない用語があり、演目ごとの筋書きや振付の背景もある。初めて観る人が、すべて覚えなければ入場できないと考えれば、それだけで足が遠のくかもしれない。知識を持たないままでも、舞台を見て何かを感じることはできる。上野の2023年の発言は、そのような敷居を下げる助言だった。

もちろん、あらすじを先に知りたい人もいるだろう。登場人物の関係を調べることで、より楽しめる場合もある。作品の歴史や音楽を知ってから観る方法も、本人の感性を妨げると決まったわけではない。「予習しない方が偉い」と「勉強してから行くべき」を、どちらも唯一の正解にしないことが大切だ。

上野は2022年のタイムアウト東京のインタビューで、バレエには言葉の説明がない分、一人ひとりが独自の受け取り方をする余地があると話している。事前の正解を探すより、自分が何を受け取ったかを大切にしてよいという考え方が、同じ人の別の本人取材からも確認できる。

バレエは、身体の動きで音楽を「見る」芸術

2023年の本人インタビューで上野は、バレエの魅力を身体の動きと音楽によって作品の物語や精神性を伝えることだと説明している。踊り手はせりふを使わない代わりに、振付や身体の向き、共演者との位置関係によって表現する。聞いている音楽と見ている身体が、一つの作品として結び付くことが重要になる。

特に『ボレロ』のような作品では、物語の登場人物へ感情移入することだけが鑑賞方法ではない。旋律の繰り返し、音の厚みが増す過程、周囲のダンサーの人数の変化などを感じ取ることができる。ストーリーを理解しなければ楽しめない作品ばかりではないと知ると、観客の入口が広がるだろう。

ただし、「五感で感じる」という流通表現を、劇場で味覚や嗅覚まで使うべきだという文字どおりの手順へ変えてはいけない。実際の舞台鑑賞の中心は視覚と聴覚であり、会場の空気や臨場感を含めて身体で感じるという比喩として理解する方が自然だ。抽象的な感性の話を、根拠のない身体科学へ広げないことを心がけたい。

遠い席やオペラグラスについての注意

旧来の引用には「席が少し遠い場合はオペラグラスがあるといい」という具体的な助言が含まれる。ただし、今回確認した2023年の公式インタビューと2022年の本人取材には、この部分の同じ文言は見当たらなかった。上野自身の確かな逐語発言として示すには、元の掲載媒体をさらに特定する必要がある。

バレエを観る位置によって、楽しめる表現の見え方は変わる。舞台に近い席は表情や細かい動きが見えやすい一方、離れた席なら群舞全体の配置を把握しやすいこともある。オペラグラスは表情を補助的に見る道具にはなるが、常に覗いていなければ楽しめないということではない。

実際に使用するなら、公演会場の案内や周囲の観客への配慮を確認したい。視界をふさいだり、明るい画面を使ったりすれば他の人の鑑賞を妨げる可能性がある。舞台へ集中しやすい環境を選ぶことと、ほかの観客も同じ体験をしていることを忘れないことが大切だ。

「感じてよい」という招待として読む

上野の発言には、観客が作品の意味を正しく答えなければならないという発想は薄い。2023年の公式取材では、舞台での非日常を観客と共有し、その感動が拍手や反応となって踊り手へ返ってくるという話もある。観客は一方的に正解を受け取る人ではなく、舞台に応答する存在として捉えられている。

初めて観る人への助言は2023年都民芸術フェスティバルの本人インタビュー、作品の受け取り方は2022年タイムアウト東京の本人取材で確認できる。上野の経歴は本人公式プロフィールを参照した。これらは本人の確かな発言と経歴を示すが、流通する長文の全語句を証明するものではない。

関連記事の「『ボレロ』は役柄のない音楽表現」では、踊る側が旋律とリズムをどう表現するかを解説している。本記事は、観客がその舞台をどう受け取れるかという別の問いに絞った。難しく考えずに観て、関心が湧いたら後から作品について学ぶという順序も、十分に豊かな鑑賞の方法になる。

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