「蓮根のうまいところは、どこかご存知ですか。穴があるからうまいのです」。内田百閒(百間)の言葉として紹介される一節です。蓮根と大根を比べたユーモラスな表現は、物事の価値を別の角度から見るきっかけになります。しかし、どの作品や対談で、どの文脈で語られたのかは、今回確認できた資料からは特定できません。 「不完全さの美」を百閒が論じたと断定する前に、実際に分かっていることを分けておきましょう。
出典確認|百閒の発言として紹介されるが、掲載箇所は未特定
小学館の子育て・教育メディア「HugKum」の2022年の記事には、内田百閒が「蓮根のうまいところは穴」と語ったという逸話が紹介されています。これは対象の言葉が百閒名義で流通していることを示す資料です。
ただし同記事には、百閒の原文を収録した書名、初出年、版、ページが示されていません。また、ここで紹介されるのは短縮された趣旨であり、旧記事にある「穴なしだったら、とても食べられるものではありません」まで含めた全文の刊本照合はできていません。
百閒には食への関心を綴った随筆があり、中央公論新社は『御馳走帖』を食味の楽しみについての随筆集として紹介しています。しかし食に関する本を著しているという事実だけでは、蓮根の発言がその書物に収録されているとは言えません。 現時点で『御馳走帖』をこの言葉の出典とは表記しません。
「穴があるからうまい」の面白さは何か
蓮根の穴は、普通なら食べられる部分がない場所です。たくさん食べられるかという量の観点だけなら、穴は欠けた空間と言えそうです。しかし、蓮根を思い浮かべるとき、輪切りの穴は見た目にも、その野菜らしさを印象づける特徴のひとつです。
穴という「ない部分」を、おいしさの中心として挙げる逆転に、この表現のおかしみがあります。もし穴を持たない蓮根を想像したら、形も食べたときの印象も、私たちが蓮根として親しむものと異なるかもしれません。
ただし、穴が味覚を直接生み出すという科学的な主張が確認されたわけではありません。そもそも元の発言がどういう場面で語られたか分からない以上、植物学の説明を持ち込んで「百閒はこういう機能を見抜いていた」と言うべきではないでしょう。
食べ物の話を、いきなり人生哲学にしない
旧記事では、この言葉を「不完全さの中にこそ美がある」「欠点を受け入れることを百閒が教えた」といった主張へ広げていました。読者がそこから連想することは自由ですが、百閒本人が完璧主義批判や自己受容の理論として語った、と立証できたわけではありません。
たとえば友達と料理を食べながら冗談として言ったのか、随筆で食材の魅力を論じたのか、対談の中での軽口だったのか。原典が分からない現段階では、発言の形式すら確定しません。それに合わせて記事の表現も慎重であるべきです。
穴は「欠陥」なのか、「特徴」なのか
蓮根の穴は、蓮根を何か別の野菜へ近づけるために取り除くようなものではありません。その特徴を特徴として見ていると、別のものとの単純な優劣で評価しづらくなります。
ここから「欠点と呼んでいるものが、別の場面では魅力になるかもしれない」と考えることはできます。一方、実際に修正が必要な欠陥や、他者へ害を与える問題まで放置してよいわけではありません。何が特色で、何が改善すべき問題なのかは対象によって違います。
料理・デザイン・仕事に引き寄せた三つの問い
- 料理:ある食材を「ほかと比べて足りない」だけで判断していないか。形や歯ごたえも含めて、その食材らしさを味わえているか。
- デザイン:一見不便に見える余白や構造に、使う人にとって別の意味がないか。
- 仕事:標準形に合わせる前に、その人・製品・組織の特徴が価値になる場面を探しているか。
いずれも流通している一節から生まれる現代的な問いです。百閒本人が料理・デザイン・マーケティングを一つの理念で語った証拠ではありません。
「百閒らしい言葉」と本人の直接発言は違う
内田百閒は、ユーモアと独特の感覚を持った文章で知られる作家です。新潮社の著者紹介でも、俳諧的な風刺やユーモアが作風の特徴として挙げられています。蓮根の穴についての発言は、そうした人物像と親和的に感じられるでしょう。
しかし、作風と似ているという感想は、真正性の証拠にはなりません。「この人なら言いそうだから間違いない」となるのは、名言が誤って帰属される典型的な入り口のひとつです。引用する場合は「内田百閒の発言として紹介されるが、原典は未確認」と付記するのが適切です。
今後、何が分かれば出典を確定できるか
百閒の随筆・対談・座談録などで、蓮根、大根、穴を並べた文言を探し、掲載箇所、版、ページ、話し手を照合できれば、発言の内容を確定できます。その際は旧字体・新字体や表記揺れも確認する必要があります。
出典が特定できたら、これは冗談か、料理の話か、作品内の台詞なのかをあらためて考えることになります。未確認という現状を「誤引用確定」と同一視せず、検証可能な形で保留します。
まとめ|「穴を褒める」発想の魅力と、証拠の距離
蓮根の穴をおいしさの理由として挙げる言葉には、日常のものを見直す楽しさがあります。しかし、内田百閒本人のどの文章にあったのか、長い流通文の表記は正確なのか、まだ決着していません。発想を味わうことと、作家への帰属を確認することは、両立して行えます。
確認した資料と関連記事
- 小学館HugKum「穴にまつわるトリビア」(2022) — 百閒の「蓮根のうまいところは穴」という逸話の紹介。一次原典ではありません
- 中央公論新社『御馳走帖』作品紹介 — 百閒の食に関する随筆。対象文言の収録は未確認
- 新潮社「内田百閒」著者プロフィール — 人物と作風の確認
- 「言葉のない音楽を聴いて出る涙」|『百閒座談』の原文へ
- 「サービスとは愛想顔、御機嫌取りの意味ではない」|出典未確認

人物と作品を横断して読む:内田百閒とは|人物・作品・名言の出典ガイド。同じ作家でも、原典をたどれる文言と、出典が未特定の流通句を区別して紹介しています。