「言葉のない音楽を聴いて出る涙は、一番本物の涙だという気がする」。内田百閒(百間)の言葉として紹介される一節です。感動する音楽を聴けば自然に涙が出る、と受け取ることもできます。しかし原文の続きを読むと、百閒が面白がっているのは、泣いた理由を「悲しい」「うれしい」といった言葉へ回収できないことです。
出典|『百閒座談』「無意味の涙」
講談社版『内田百閒全集』第4巻を実際に読んだ人の書誌・引用紹介には、『百閒座談』所収「無意味の涙」から、対象の一文とその続きが掲載されています。紹介される原文では「一番本物の涙だと云ふ氣がする」とあり、流通する「一番本物の涙だという気がする」は、歴史的仮名遣いを現代の表記に寄せた形だと考えられます。
同じ書誌紹介によると『百閒座談』は1941年6月に三省堂から刊行され、のちに講談社『内田百閒全集』第4巻(1972年初刷)へ収録されました。CiNiiの『新輯内田百間全集』の目次にも「百間座談」の収録が確認できます。ただし、今回閲覧できたのは刊本の全文や当該ページの画像ではなく、刊本を読んだ人による引用と書誌情報です。引用箇所のページ番号や正確な字形の校合は保留します。
一次資料を追うための手掛かりは、作品『百閒座談』、節「無意味の涙」、講談社『内田百閒全集』第4巻です。旧記事にあった「百閒はこういう音楽体験をしたはずだ」という推測より、この位置情報のほうが信頼できる読書の入口になります。
「意味のない涙」とは、何も感じていない涙ではない
紹介される原文では、冒頭の一文のあとに、「意味と云ふもののない涙ですね」と続きます。そして悲しみから来た涙なのか、喜びから来た涙なのかも、はっきりしないという趣旨を語っています。
「意味がない」を、感情がない・価値がないという否定で読むと、前後のつながりが見えなくなります。むしろ、後から名前をつけて理解できる感情よりも先に、涙そのものが生じる。その経験の捉えにくさを語っているのではないでしょうか。
何かに感動したとき、私たちは「悲しい曲だったから」「懐かしい思い出が浮かんだから」と理由を説明したくなります。しかし、すぐに理由の言葉が出てこないこともあります。百閒の言葉の魅力は、そこへ無理に解釈を与えずに留まるところにあります。
なぜ「言葉のない音楽」なのか
ここで重要なのは、歌詞がないという音楽の形式だけではありません。作者は、言葉によって何かを説明されたわけではないのに、体の反応として涙が出るという不思議さへ目を向けています。だからこそ、涙の原因が一つの物語に固定されません。
ただし、歌詞のある音楽では「本物の涙」が出ないと断言しているわけではないでしょう。発言をそのまま音楽ジャンルの優劣へ拡張することはできません。百閒は「気がする」と語っており、万人に通じる科学的法則を示しているのではなく、自分にとっての感覚を述べています。
「一番本物」という言葉がはらむ逆説
通常「本物」と言えば、何かによって正しさを証明できるものを連想するかもしれません。ところが、この場面では、理由を説明できない涙のほうを「本物」と感じています。証明できるから本物なのではなく、説明が先に立たないところに確かな経験がある、と読むことができます。
一方で、理由を説明できる感情は偽物だ、という話にもすべきではありません。言葉にして気持ちを整理することには別の価値があります。この一節は言語化を否定する論文ではなく、言語化の届かない一瞬を面白く掬い取った文学的な発言です。
内田百閒の音楽との関わりを、どこまで言えるか
百閒は文学とともに音楽に親しんだ作家として紹介されていますが、この一節について、何年のどの演奏や曲を聴いた体験から生まれたかは、今回確認した範囲では特定できません。特定のクラシック曲、演奏家、個人的な出来事へ結びつけて物語化しないことが大切です。
また、川村二郎の評論には『内田百閒論――無意味の涙』という書名があります。ただし、この評論の表題と、『百閒座談』の節「無意味の涙」を混同したり、評論書を名言の初出とみなしたりするべきではありません。
現代の私たちが、この言葉から考えられること
- 感情をすぐ分類しなくてよい:美しい音楽や作品に触れて気持ちが動いたとき、説明を急がず味わってみる。
- 他人の感動を決めつけない:涙を見たから悲しんでいる、と判断する前に、その人の経験は自分と違うかもしれないと考える。
- 言葉の限界と可能性:説明できない経験を大切にしながら、必要になったときには自分の言葉で伝えてみる。
これらは原文から考えた現代的な問いであり、百閒本人が勧めた生活習慣や心理療法ではありません。
まとめ|「涙の理由が分からない」ことの豊かさ
内田百閒の「言葉のない音楽を聴いて出る涙は…」は、『百閒座談』「無意味の涙」へ結びつく、具体的な書誌上の手掛かりが見つかった言葉です。続きを読むと「悲しみか喜びか」という分類を越えた感覚が主題だと分かります。刊本との最終校合は残りますが、原文の一文だけを「泣ける音楽の名言」とするより、はるかに深く読める文章です。
出典・関連資料
- 『内田百閒全集 第四巻』(講談社版)書誌・引用紹介 — 『百閒座談』「無意味の涙」の引用と前後の文章。刊本の二次紹介です
- CiNii Books『新輯内田百間全集』 — 『百間座談』の収録を示す書誌
- 新潮社「内田百閒」著者プロフィール — 人物・作品情報
- 「臆病ということは不徳ではない」|『百鬼園日記帖』との関係
- 「蓮根の穴がうまい」|出典と解釈の確認状況

人物と作品を横断して読む:内田百閒とは|人物・作品・名言の出典ガイド。同じ作家でも、原典をたどれる文言と、出典が未特定の流通句を区別して紹介しています。