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大谷米太郎「七転び八起きではなく一段ずつ」|力士からホテル創業まで

「よく七転び八起きの人生と言われるが、私自身は階段を一段ずつ上がってきたつもりだ」。ホテルニューオータニの創業者・大谷米太郎に帰属する言葉です。この一節は「苦境でも絶対に失敗しなかった成功者」という表現として読まれがちですが、本人の歩みには、相撲から事業への転身、関東大震災による工場の焼失、戦後の再建がありました。外から見た波乱と、本人が感じた積み重ねの違いを、信頼できる経歴資料から整理します。

この長い言葉を紹介する資料

スポーツジャーナリストの二宮清純氏は、2019年6月の『スポーツニッポン』紙面を元にした「力士から実業家へ」の記事で、この一節を大谷米太郎の語録として紹介しています。さらに富山県西部の人物史を調べた紹介記事や経営者向けの催しでも、同様の文章が使われています。

二宮氏の記事は、大谷自身の自伝的な『私の履歴書』を参照して経歴を説明しています。ただし、末尾の格言が自伝の何ページから採られたかまでは明記していません。今回、本人の直筆原稿や当時の連載の該当箇所を閲覧したわけではないため、文章の正確な一次出典は要検証として扱います。

「転んだことはない」と「危機がなかった」は違う

富山県西部産業開発協議会の人物紹介によれば、米太郎は1881年に富山の貧しい農家に生まれ、幼い頃から働きました。31歳で上京し、さまざまな仕事を経験した後、相撲界に入りました。

相撲で一定の成果を挙げた後に引退し、現役時代から営んでいた酒の小売業を足がかりとして、鉄鋼用のロールを製造する事業へ進みました。事業家としての活動は、突然ホテルを建設したところから始まったわけではありません。

さらに1923年の関東大震災で工場が全焼し、第二次世界大戦でも資産に大きな損失を受けています。同協議会の人物資料は、これらの出来事の後に事業の再建へ向かったことを伝えています。

この事実だけでも、転ばなかったという表現を「失敗や被害は一切なかった」と文字どおり受け取ることはできません。困難を経験しながら、本人はそれも含めて長い階段を上る過程と捉えていた、という解釈が可能です。ただし、当時どの出来事を具体的に思い浮かべていたかは原典未確認のため断定しません。

力士から鉄鋼業、そしてホテルへ

二宮清純氏の紹介記事によれば、米太郎は力士時代に鷲尾獄などのしこ名で活動し、十両入りが近づくほどになりましたが、経営へ転身しました。その後、鉄鋼製品を扱う事業を拡大していきます。

ホテルニューオータニの公式社史では、1963年1月18日に大谷国際観光が設立され、米太郎が社長に就任したこと、1964年9月1日にホテルが開業したことが記録されています。東京オリンピックを控えた宿泊施設の不足へ応える目的も、ホテルの公式紹介に示されています。

ホテルを開くという仕事は、相撲や製鉄とは異なる知識・人材・資金が必要です。米太郎が人生の後半に新しい事業へ進んだという事実は、一段ずつ経験を積んだからこそ、以前とは違う仕事に取り組めたという読みを支えます。ただし、これを一人の才覚だけの成果と考えるのではなく、建設や運営を担った多くの人の仕事も忘れてはいけません。

同姓同名の「大谷竹次郎」に注意

ここで一つ、人名を取り違えやすい点があります。富山県西部産業開発協議会の資料によれば、米太郎には1895年生まれで1971年に亡くなった弟・大谷竹次郎がおり、鉄鋼関連の事業をともに発展させました。

一方、松竹株式会社を兄の白井松次郎と創業した大谷竹次郎は1877年生まれの別人です。「大谷米太郎の弟・竹次郎」と「松竹の大谷竹次郎」を混同して、松竹の創業や名言の出典を米太郎家へ結びつけないことが大切です。

自分にとって「階段を上がる」とは何か

大きな挑戦は、当事者が経験した細かい仕事よりも、外から見える結果で評価されがちです。力士から実業家へ、鉄鋼からホテルへと変わったことは、大きな方向転換に見えます。一方、本人が毎日行っていた仕事や人間関係の積み重ねは、華やかな経歴紹介では見えません。

この言葉を自分の仕事や学習へ応用するなら、目標そのものが変わっても、それまで身につけた能力が次の場面で役立つことはないか、と考えられます。ただし、すべての困難を成功の前提条件として美化する必要はありません。震災や戦争で被害を受けた事実は、苦労すれば必ず報われるという教訓では語り尽くせません。

長いキャリアを振り返るための問い

  • 他人からは方向転換に見えても、自分では積み重なっている経験はあるか。
  • 過去の仕事で身につけた知識や人とのつながりを、別の事業へ移せるか。
  • 災害や環境変化のように、自分では避けられなかった出来事を努力不足と誤認していないか。
  • 大きな結果だけでなく、そこに関わった周囲の人々の役割を記録できるか。

これは米太郎が述べた四原則ではなく、その経歴を手がかりにした本記事の問いです。

出典確認状況と参考資料

長い格言は二宮清純氏の2019年の記事などで米太郎の言葉として流通していますが、一次原典の版・該当ページは未特定です。一方、米太郎の来歴、事業転換、ホテル開業は地方産業団体とニューオータニの公式資料で確認しました。出典の分類は「要検証」とし、本人の言葉と後年の人物評を分けています。

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米太郎が若い読者へ貯蓄を勧めたとされる言葉は「収入の一割からタネ銭をつくる」へ。松竹の創業者である別人の大谷竹次郎を扱った「好きな事業に手を出すべきだ」と、人物を混同しないようにしてください。出典ステータスガイドもご覧ください。

大きく転んだように見える出来事も、本人の経験としては次の仕事へつながっていたのかもしれません。ただし、それは困難が常に価値を生むという意味ではありません。大谷米太郎の実際の歩みを確かめることで、「階段を一段ずつ」という表現の面白さを、誇張された成功物語から切り離して受け止められます。

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