「自分自身を見失わないためにも、自由でとらわれのない白と黒の自己表現の世界が、その幅を広げている」。墨象家・荻野丹雪の名義で紹介される言葉です。白い紙と黒い墨という少ない要素が、なぜ自由な表現につながるのでしょうか。ただし、この長い文の初出となる本人の自筆原稿やインタビューは未特定です。その代わり、2019年の本人講座に残された、商業制作と自分のための芸術制作の違いを手掛かりに、表現の自由と仕事上の制約を考えます。

言葉の帰属と、実際に記録された本人の考え
今回の定型句はネット上で荻野丹雪の言葉として紹介されていますが、本人がいつどの著作や会見で述べたかを示す原資料にはたどり着けていません。文中の「自由」「自己表現」が本人の制作姿勢と合いそうだという推測だけで、逐語性を保証することはできません。
一方、大阪デザインセンターが記録した2019年12月17日の本人講座では、荻野は墨を使って文字だけでなく抽象的な表現まで取り組むことを説明しています。自らを「墨象家」と表す理由として、制作できるものの幅広さを挙げています。この内容は、書を狭い形式へ閉じ込めない活動を直接伝える資料です。
墨象とは、文字を美しく書くことだけか
同講座の説明によれば、墨象は墨を用いて文字、版画、抽象的な作品などを制作する広い活動を指しています。したがって、見た人が必ず文字を読めることだけが制作の目的とは限りません。文字の形から出発しても、線や余白そのものを鑑賞することができます。
取り扱い画廊の荻野丹雪略歴にも、書、現代美術、デザインなどの領域で活動し、サントリー「響」やNHK大河ドラマ『新選組!』の題字を手掛けた経歴があります。仕事の形は一つではなく、依頼に応える表現と自分の関心を追う表現の双方に取り組んできたことが確認できます。
白と黒の限られた素材は、自由を狭めるのか
使える色や素材が少なければ、一見すると表現の幅は狭く感じられます。しかし、墨であれば線の太さや濃淡、かすれ、速さ、重なり、紙面に残す余白など、複数の選択があります。白と黒という条件の中でも、見る人が受け取る印象は大きく変わる可能性があります。
ただし、白黒の作品が色彩作品より深いという優劣を意味するものではありません。違う素材では、違う問いが生まれます。限られた条件で試行錯誤することは、制約があるから必ず創造性が高くなるという因果関係を証明するものでもありません。
純粋芸術における「線の質」
2019年の講座で荻野は、純粋芸術では何より線の質を重視すると説明しています。線から作家の身体感覚や神経が伝わることを大切にし、作品の雰囲気、文字として読めるかどうかを別の観点として挙げています。
ここで求められるのは、線を整えたから良いという単純な基準ではありません。整っていないように見える線にも、意図的な緊張やリズムが生まれるかもしれません。ただし見る人の評価は一致しないことがあります。表現の自由を持つことと、その作品が必ず高く評価されることは別です。
商業制作では「読めること」が先に来る
荻野は同じ講座で、依頼主のための商業書では読みやすさや商品に合う雰囲気を優先すると述べました。純粋芸術で線を先に考える場合との違いがはっきりしています。文字が商品名として使われるなら、見る人が識別できること自体が大切な役割になります。
自分の表現を大切にすることと、依頼主の条件を尊重することは矛盾しません。重要なのは、今の制作が誰に何を届けようとしているのかを判断することです。「読める書・伝わるデザイン」の記事では、商業書の判断基準を詳しく扱っています。
依頼主の希望に合わせすぎると起きること
2019年の講座では、荻野は商業デザインの最終的な決定権が依頼主にあると述べ、さまざまな注文へ対応するなかで作家自身の原点が見えなくなる可能性にも触れました。一方、表現者としての意向だけを優先すると、商品や販売の条件へ適合しない場合もあると説明しています。
つまり、無制限に自由な表現を続けることと、仕事として成立することには緊張関係があるのです。純粋芸術と商業制作の間で、必要に応じて思考を切り替えるという本人の発言は、その関係を考える手掛かりになります。
「原点を見失う」という問題の具体性
商品やキャンペーンのデザインを担当すると、短期的な売上への期待、関係者の好み、ブランド上の制約など、複数の要望が寄せられることがあります。それらに対応するうち、なぜ自分がその表現を選んだのか説明できなくなる場合もあるでしょう。
そこで、依頼を受ける前に制作の目的と使う場所を確かめ、どの部分が自分の作品の特徴なのか考えることが役立つかもしれません。要望を拒否することだけが自己表現の保護ではありません。説明し、別案をつくり、合意できる範囲を探すことも一つの方法です。
サントリー「響」の題字に残る作家の判断
大阪デザインセンターの講座記録には、サントリー「響」の題字について、文字の部分ごとに大きさと重心を変え、意図的な不安定さから緊張感をつくったという説明があります。文字の意味だけでなく、形の配置そのものが表現になる例です。
ただし、同じ手法を別の商品へ使えば同じ価値が生まれるわけではありません。『響』という商品と、その題字が置かれる環境があってこその判断です。作品の独創性と、具体的な依頼との関係を切り離して理解することはできません。
自己表現を他人からの評価と切り離せるか
自分の感覚を大切にすると言っても、作品を見せる以上、他人の評価をまったく無視できるとは限りません。見た人から思いもよらない感想をもらうことは、制作した本人の視野を広げる場合もあります。
同じ講座の質疑応答で荻野は、評論家が自分の意図を超えて作品を説明する場合があることを、ユーモアを交えて話しています。作品には作者の意図だけでなく、見る人が新たな意味を見いだす余地もあります。
学びに応用する:違う分野を見ること
2019年の質疑応答で荻野は、感性を養うために、書や絵画に限らず、彫刻、舞台、音楽などさまざまな表現に触れることを勧めています。自分と異なる方法で制作する人を見ることは、新しい発想の入口になるかもしれません。
ただし、作品を多く見るだけで自動的に表現が上達するとは限りません。何が気になったか、どんな条件で印象が変化したか、自分の制作に取り入れるなら何が適切かを考えることが必要です。
出典状態と参考資料
出典状態:要検証。「自由でとらわれのない白と黒の自己表現」の長文は本人の逐語初出を特定できていません。一方、2019年の大阪デザインセンター講座では、墨象の意味、純粋芸術と商業デザインでの優先順位、制作の原点を見失う危険について、本人の発言が記録されています。両者は関連するものの、同じ文言として扱っていません。
資料:大阪デザインセンター「ビジネスに生かす美的感性」2019年講座記録(直接確認した本人の発言)/ギャラリーファインアートの作家略歴/『荻野丹雪―書とデザインのはざまで』書誌/講演についての『書道文化』2014年3月号記事の書誌(本文未照合)。