「墨の持つ力強さ、線質の美しさや面白さ、また文字の造形的な表現から、デザインと書道の融合点を見つけていった」。墨象家・荻野丹雪の名義で紹介される言葉です。しかし、この長文が本人のどの原稿や取材に掲載されたかは特定できていません。一方、本人の作品集を刊行した出版社の紹介文、2019年の講演記録、作品を扱う画廊の分類には、文字が線になり、線が文字以外の形にも展開する具体例が残されています。抽象的な「融合」の美談ではなく、作品制作の方法から考えてみます。

出典確認:同じ表現の逐語原典は未特定
この名言は荻野丹雪の言葉として流通していますが、初出年月日、書籍の掲載ページ、本人が発言した講演の録音などは確認できませんでした。そのため、本人の確定した逐語引用ではなく、出典未確認の表現として扱います。
ただし、光村推古書院が公開する作品集『荻野丹雪 書とデザインのはざまで』の紹介には、本人が文字や言葉を出発点にイメージを広げ、文字の約束ごとを超えて形が生まれると語った別の文章が掲載されています。これは編集上の解釈ではなく、出版社が著書本文から示した言葉です。しかし、今回の「融合点を見つけた」という定型句と同一ではありません。
作品集から確認できる「書」と「デザイン」の接点
出版社によれば、『荻野丹雪 書とデザインのはざまで』は2005年刊の作品集で、159点の作品が収録されています。サントリー「響」やNHK大河ドラマ『新選組!』の題字にも触れ、言葉から視覚的な形を立ち上げる制作を紹介しています。
ここでの接点は、古い書道と新しいグラフィックデザインを安易に足し算することではありません。文字に意味がある一方、線の形や配置にも視覚的な働きがあります。文字の意味を残しながら、形によって別の感覚も伝えることができます。
線の質とは、きれいに整った文字という意味か
2019年の大阪デザインセンターの本人講座で荻野は、純粋芸術としての制作では線の質を優先すると説明しています。線に作家の身体感覚や神経が表れているかを大切にする、という趣旨です。
一本の線が太くなったり細くなったり、かすれたりにじんだりすると、同じ形を目指していても違った印象になることがあります。そこでは均一で正確な輪郭だけが目標ではありません。ただし、意図しないむらがあるだけで優れた芸術になるという意味でもありません。
文字はどこから抽象になるのか
取り扱い画廊の注文制作案内は、荻野の作品を大きく三つに分けています。墨を使った抽象作品、文字を抽象的な表現へ組み込んだ作品、文字そのものを扱う作品です。画廊の分類を見ることで、「書」と「抽象」が二者択一ではないことが分かります。
例えば「風」という文字は、単に言葉として読めるだけでなく、線が伸びる方向や余白から動きを感じさせる場合があります。一方、文字を見なくても構成の動きを鑑賞できる作品もあります。どちらを重視するかは作品によって違います。
実際の作品で使われている素材は
ギャラリーファインアートの作品紹介には、書/墨による抽象作品のほか、墨と顔料を組み合わせた作品も載っています。白い紙と墨だけが唯一の制作方法というわけではなく、表現に応じて素材も広がっています。
作品の形や大きさは一様ではありません。画廊には「間」などの文字作品や「Untitled」の抽象作品が紹介され、展示空間を考えて注文制作する場合もあります。したがって、筆で美しい漢字を書くという狭いイメージだけでは活動を捉えられません。
ウイスキー「響」の題字における造形の工夫
大阪デザインセンターの講座記録には、サントリー「響」の字を制作した際、文字の一部へ重心を置き、別の部分を小さくして、あえて緊張感をつくったという説明があります。文字の配置が安定しすぎないようにする判断が表現の力になりました。
この例は、上手な筆字で名前を書くだけでは説明できません。読める名称でありながら、どの部分を目立たせ、どの線で全体の均衡を保つかを考える行為が、デザインとしての判断にもなっているからです。
『新選組!』では版画の技法も活用した
同じ講座では、NHK大河ドラマ『新選組!』の題字を制作する際、時代背景と若々しさを表すために版画の技法を選んだことが記録されています。文字へ奥行きを与える工夫に加え、題名の感嘆符は脚本家・三谷幸喜の案だったと説明されています。
ここには、書家の技能に加え、物語の内容、制作スタッフとの協働、映像での見え方といった条件があります。商業的な表現の「融合」は、一人の作家が好きなように新奇な書体をつくることだけではないのです。
デザインにおける文字と意味の関係
商品名、番組名、施設名は、見る人が対象を識別するための情報でもあります。文字を読めるようにすることと、意図した雰囲気を伝えることを両立させる必要がある場合があります。
一方、純粋芸術としての作品は、読めることより、見る側が何を感じるかを優先できます。別記事「読める書・伝わるデザイン」では、この用途による優先順位の違いを詳しく扱っています。本記事では、文字と抽象の間にある具体的な制作方法を主題にします。
注文制作は「自分を押し殺す」ことか
2019年の講座で荻野は、商業制作の場合、依頼主が最終的な決定権を持つと説明しました。依頼に応えることが必要な一方、注文を重ねるうちに作家自身の原点を見失うことがあるとも述べています。
一方の画廊の注文制作案内は、抽象作品か、文字を含むか、可読性のある文字かを依頼時に選べるようにしています。依頼側と作り手が最初に必要な方向性をすり合わせることは、表現の自由と用途の両立を考える具体的な方法です。
別の分野を学ぶことは何に役立つのか
書の技法をデザインに取り込むとき、文字の見た目だけを模倣しても、その表現が持つ意味や工程まで理解したことにはなりません。素材の制約、線を生む動作、見る人がどこで使うかなどを調べる必要があります。
同じように文章、映像、製品のデザインでも、異なる分野の方法を取り入れる際には、表面だけを借りるのでなく、何を実現するための技法かを考えると役立ちます。ただし、新しい組み合わせは必ず良い結果になるわけではありません。作ったものを実際の用途の中で確かめることも重要です。
出典状態と参考資料
出典状態:要検証。「墨の持つ力強さ、線質の美しさ……融合点を見つけた」の定型句は本人の逐語初出未特定です。出版社の書籍紹介に示された別の本人発言、2019年の本人講座、実作品を取り扱う画廊の分類を根拠に、線と文字・抽象の関係を解説しています。各資料を当該の名言の出典と混同していません。
資料:光村推古書院『荻野丹雪 書とデザインのはざまで』公式紹介(2005年の作品集・著者の別の発言)/大阪デザインセンター・2019年の本人講座記録/ギャラリーの作品分類と注文制作案内/同画廊の作品リスト。
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