勝海舟「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張」|福澤諭吉への1892年の返書

「行いはおれのもの、批判は他人のもの。おれの知ったことではない」。勝海舟の言葉として紹介されるこの一節には、実際にさかのぼれる書簡があります。ただし、原文はこの砕けた口調ではありません。しかも一般的な人生訓としてではなく、福澤諭吉から自らの政治的な判断を批判された際の返答に書かれたものでした。

原文は「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張」

勝海舟が1892(明治25)年2月6日に福澤諭吉へ返した書簡には、次の一節があります。「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せず」。「行蔵(こうぞう)」とは、進んで役職に就くことや身を退くことを含む出処進退です。「毀誉(きよ)」は悪く言うことと褒めること、つまり世間の評価を指します。

この原文は、青空文庫『瘠我慢の説』所収「書簡」で、福澤から勝へ送った手紙と勝の返事を続けて読むことができます。また国立国会図書館「旧幕臣と福沢諭吉」も、返書の文言と1892年の往復書簡を説明しています。

したがって、流通する「行いはおれのもの、批判は他人のもの」は、内容をつかみやすくした現代的な意訳・口語化として扱うのが適切です。勝の書簡の一字一句をそのまま転記した形ではありません。

何に対する批判だったのか:『瘠我慢の説』

福澤諭吉は1891年、明治維新の際の行動を論じる『瘠我慢の説』を書き、旧幕臣でありながら維新後に新政府へ仕えた勝海舟と榎本武揚の態度を厳しく批判しました。論点は単なる好き嫌いや悪口ではなく、敗れた幕府に忠節を尽くすことや、政治的な節操をどう考えるかという問題でした。

国立国会図書館によれば、福澤は1892年1月末に原稿を勝と榎本へ送り、事実誤認や論旨について答弁を求めています。勝が返事を出したのはその翌月です。論説そのものは当初公表されず、1901年に『時事新報』へ掲載されました。青空文庫の書誌でも書簡が後に作品と一緒に収録された経緯を確認できます。

勝は本当に「何を言われてもどうでもよい」と答えたのか

勝の短い返答には、福澤が自身の過去の行為を取り上げて論じたことへの謝意の言葉が先に置かれています。そのうえで、自分の出処進退は自分が判断する一方、称賛や批判は他者の主張であり自分には関わらない、と述べています。さらに、福澤が他の人に草稿を示しても異存はないと記しました。

つまり、単なる無関心というよりも、人からの批評を受けることと、自分の政治判断を他者に委ねることを分けた返答として理解できます。そこに冷淡さ、反発、皮肉のどれがどの程度あったかは、本人の内心を直接確認できない以上、推測としてしか語れません。

「自分の行動」の責任まで放棄してよいわけではない

もし「批判は他人のもの」を、どんな指摘も無視して構わないという言い訳にすると、内容の重みが失われます。実際、福澤の問いかけは、歴史上の大きな政治的選択の妥当性を問うものでした。自分で決断することと、事実誤認や不当な影響について検証することは両立します。

例えば、仕事で批判を受けた際には、その批判が根拠のある具体的な指摘なのか、単に相手の好みや感情なのかを区別できます。根拠があるなら修正し、根拠が薄い評価によって自分の目的を見失わないようにする。これは本サイトの応用であって、勝自身が現代の評価管理法を説いたという意味ではありません。

『氷川清話』の名言だと決めつけない

勝海舟の言葉をまとめた『氷川清話』は広く知られています。しかし本件の原文は、福澤諭吉宛ての書簡として資料を追うことができます。「『氷川清話』で勝がそう言った」とだけ紹介すると、この一節がどの論争に対する返答だったかが見えなくなります。

山梨県立図書館のレファレンス記録も、福澤の『瘠我慢の説』に対して勝が書いた答書を出典として明示しています。伝記的な印象と、具体的な文書の位置づけは分けて伝えたいところです。

福澤と勝の違いを、どちらか一方の正義へ単純化しない

福澤は敗者の節義を重んじ、勝はその後の政治的な決断を自分の責任で引き受けた、と大まかに対比できます。しかし明治維新をめぐる立場や行動は複雑です。歴史に対する批判そのものを悪としないことも大切です。

この論争の前後をもっと詳しく読みたい場合は、飯田鼎「『痩我慢の説』と『氷川清話』」(『三田学会雑誌』90巻1号、1997年)で、福澤の批判と勝の答書を対比できます。これは後世の研究論文であり、返書そのものとは区別します。

まとめ:出処進退と他人の評価は別に考える

「行いはおれのもの、批判は他人のもの」は、勝海舟が1892年に福澤諭吉へ返した書簡の口語的な意訳です。原文は「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張」であり、背景には新政府へ仕えた勝らを批判した『瘠我慢の説』があります。自分で判断する自由と、その判断に対する他者の批評を認めること。この緊張関係こそが、短い格言だけでは見えにくい部分です。

主要出典・資料

・青空文庫『瘠我慢の説』「書簡」:1892年2月6日付・勝安芳から福澤諭吉への返書本文を確認。
・国立国会図書館「あの人の直筆:旧幕臣と福沢諭吉」:『瘠我慢の説』と往復書簡の年代・背景。
・青空文庫「書簡」の書誌:1901年の初収録、底本、編者の注記。
・山梨県立図書館レファレンス事例:原文の出典を勝の答書と明示。
・関連記事:福澤諭吉「進まざる者は必ず退き」。

この書簡の相手である福澤諭吉については、福澤諭吉の人物ガイドから教育活動や他の著作もたどれます。ただし、「行蔵は我に存す」は福澤本人の発言ではなく、福澤の問いかけに対して勝海舟が返した書簡の言葉です。また流通する「行いはおれのもの」という表現は、書簡原文の口語的な意訳として区別してください。

この文章を書いた勝海舟の経歴や、『氷川清話』など他の資料との違いは、勝海舟の人物ガイドから確認できます。本件の出典は1892年の福澤諭吉宛て返書であり、『氷川清話』に由来する別の言葉と混同しません。福澤側の人物ガイドと併せて、往復書簡の文脈を読み進めてください。

ほかの記事を探す

記事の訂正・出典情報は、お問い合わせから該当記事のURLと根拠資料をお知らせください。