「身をささげるものが何もないというのは、何という欠乏を感じさせるものだろう」。神谷美恵子が『生きがいについて』で書いたとされる一節は、何かに深く関わることの意味を考えさせます。しかし、この言葉を独立して暮らす人は幸せになれない、誰かのために自分を犠牲にすべきだと読むのは飛躍です。著作の文脈と、自分らしく活動を選ぶことの関係を考えます。
『生きがいについて』の26頁として紹介される
春風亭昇吉氏の読書記録では、『生きがいについて』の26頁として、身をささげる対象がないことと、幸福と独立性の関係についての文章が紹介されています。電子書籍の読者レビューでも同じ文章の引用が見られます。
みすず書房で確認できる本書の初版は1966年です。複数の版があるため、この「26頁」がどの版のページ数であるか、原本の表記が「逆さま」「さかさま」などのどれかは、今回断定できません。引用の存在と字句の確定は別に扱います。
「身をささげる」とは何を指すのか
日常の中で、ある仕事や活動、人との関係を大切にし、自然に時間を使うことがあります。本人にとって意味のあるものが見つかると、自分が何を大事にしているのかを理解しやすくなる場合もあります。
しかし「身をささげる」という言葉を、必ず自分を犠牲にすることや、無制限に他者へ尽くすことだと理解する必要はありません。病気や疲労があるときに休むこと、自分の生活や安全を守ることも大切です。
独立性と孤立は同じではない
独立したいと考える人にも、さまざまな理由があります。自分の時間を確保したい、働く場所を選びたい、生活を安定させたい、人との距離を適切に保ちたい。そのような意思は、他者への関心や生きがいを欠いていることの証明ではありません。
一人で暮らしながら趣味や研究、創作に打ち込む人もいれば、多くの人と暮らしていても生きがいを見いだしにくい人もいます。暮らしの形と生きがいは、一対一に結びつけて判断できません。
生きがいの対象は必ず他人か
『生きがいについて』では、仕事や役割だけでなく、喜び、自由、変化、創造、精神的な生きがいなど多くの側面が扱われています。出版社の目次には「生きがいの対象」「生きがいのさまざま」といった項目も並びます。
ある人が、誰かと時間を過ごすことに意味を感じても、別の人は自然や芸術、学習に深い意味を感じるかもしれません。いずれかだけを唯一の正解とする必要はありません。
「自由」は生きがいの敵なのか
自由であることによって、自分に合う活動を選びやすくなる場合があります。一方、選択肢が多くても、何を大切にしたいのか分からないと感じる人もいるでしょう。
神谷の言葉からは、単に外からの制約がないだけでは説明できない充実感について考えられます。しかし、自由や権利を狭める方が人は幸せになると結論することはできません。本人が何を選ぶかという自由と、何かに深く関わる喜びは両立し得ます。
役割が失われたときの生きがい
以前は大切だった仕事や家族内の役割が変わることがあります。健康状態や生活環境によって、続けてきた活動を中断しなければならない場合もあります。そのようなときに、すぐ新しい使命を探せなかったとしても、本人の価値が損なわれることはありません。
神谷の本は、生きがいを持つ人だけでなく、「生きがいをうばい去るもの」「生きがい喪失者の心の世界」も扱います。意味を見いだせない時期の経験を軽く扱わないことが、著作全体と向き合うためには重要です。
献身を称賛するだけで終わらせない
家族の世話、教育、医療、社会活動などに深い充実感を見いだす人もいます。しかし、周囲の人がその献身を当然視して、適切な休養や支援を与えなくてよいわけではありません。
「人のために生きるのだから我慢しなさい」という命令にすると、本人が選んだ活動や喜びではなく、他人から課された負担になりかねません。誰かを支える人もまた、必要な助けを受ける側です。
「したいことと義務」の文章を併せて読む
同じ神谷の「したいことと義務が一致する生きがい」では、希望と役割が重なって生きがいを強く感じる場合がある一方、必ずしも一致しないという留保を紹介しています。
また「自分の存在が必要とされる生きがい」では、必要とされる感覚と本人の尊厳を扱っています。これらをつなげることで、「何かにささげる」は単純な自己犠牲の命令とは異なると理解できます。
出典と確認範囲
出典状態:書籍への帰属と26頁という二次情報を確認/版の逐語照合は未了。『生きがいについて』を読んだ記録で該当する言葉を確認しましたが、書籍のどの版か、各版の句読点や字体の差を直接照合していません。独立した暮らしを否定する言葉、自己犠牲を強制する教訓としては扱いません。
資料:春風亭昇吉氏の読書記録・26頁 / みすず書房『生きがいについて』 / 電子書籍の商品・読者資料。関連:希望と義務。
