はじめに:値決めは「経営」であり、最強のマーケティングである
多くのひとりマーケターは、日々のリード獲得やコンテンツ制作に忙殺され、自社サービスの「価格設定(プライシング)」について深く思考する時間を確保できていません。「競合がこれくらいだから」「原価に利益を乗せて」といった理由で決められた価格を、与件として受け入れてしまってはいないでしょうか。
しかし、価格こそが顧客の知覚価値を決定づける最大のメッセージです。もしあなたが、「良いサービスなのに単価が上がらない」「松竹梅の真ん中ばかり選ばれて利益率が伸びない」と悩んでいるなら、それは商品力の問題ではなく、選択肢の「設計図」に欠陥がある可能性があります。本稿では、人間の心理行動学に基づく「ゴルディロックス効果」と「囮(おとり)効果」を再定義し、単価と利益を最大化するための普遍的なロジックを解説します。
構造的理解:「松竹梅」の罠と、比較の力学
人間は絶対的な価値判断が苦手であり、常に「何かとの比較」でしか価値を測れない生き物です。この認知特性をハックするための第一歩は、顧客に提示する比較対象をコントロールすることにあります。
一般的に「ゴルディロックス効果(松竹梅の法則)」とは、3つの選択肢がある場合、極端なものを避けて真ん中(竹)を選びたくなる心理を指します。多くの企業がこの法則に従い、売りたい商品を真ん中に配置します。しかし、ここに大きな落とし穴があります。単に3つ並べるだけでは不十分なのです。
【よくある失敗パターン:線形な価格設定】
多くのマーケターは、機能を比例的に増やし、価格も比例的に設定してしまいます。
• 梅(Basic):10,000円(機能少)
• 竹(Standard):20,000円(機能中)
• 松(Premium):30,000円(機能多)
これでは、顧客は「機能と価格のバランス」を冷静に計算し、「今の自分には梅で十分か、少し頑張って竹か」という減点方式の思考に陥ります。これでは単価アップのドライバーは働きません。
【本質的なアプローチ:相対性の操作】
目指すべきは、「竹(売りたい商品)」を選ばせることではなく、「竹、または松(高単価商品)がお得に見える状況」を作り出すことです。そのために必要なのが、売るつもりがないのにあえて置く「売れない高額プラン(囮)」の存在です。
思考の枠組み:最強の引き立て役「囮(デコイ)」の設計法
顧客の意思決定を誘導するためには、論理的な説得ではなく、直感的な「お得感」をデザインする必要があります。ここで登場するのが、行動経済学における「非対称支配効果(囮効果)」の応用です。
具体的には、以下の手順でプランを設計します。
1. ターゲット(売りたい本命)を決める
例えば、利益率が高く、顧客満足度も担保しやすい「月額30,000円のプラン」を売りたいとします。
2. 比較対象としての「囮(高額プラン)」を作る
ここで、機能やサポート内容はターゲット(30,000円)とさほど変わらないか、わずかに良い程度であるにもかかわらず、価格が**圧倒的に高い(例:月額80,000円)**プランを作成します。
3. コントラストの提示
• プランA(30,000円):充実した機能、手厚いサポート
• プランB(80,000円):プランA + 専任担当者1名のみ追加
この並びを見た顧客の脳内では、以下のような処理が行われます。
「80,000円のプランは高すぎる。でも待てよ、30,000円のプランなら、80,000円のプランとほぼ同じ機能が半額以下で使えるじゃないか。これはお買い得だ(bargain hunt)。」
この瞬間、顧客の比較軸は「競合他社」から外れ、「自社プラン内での比較」にロックされます。そして、30,000円という価格が「高い出費」から「賢い選択」へと意味変容を起こすのです。これが、単価を吊り上げるための「売れない高額プラン」の正体です。
現代的実践:B2Bマーケティングにおける実装戦術
この原理原則を、現代のB2BマーケティングやSaaSビジネス、コンサルティング営業においてどのように実装すべきか、具体的なアクションを解説します。
1. プライシングページのUI設計
Webサイトの価格表において、高額な囮プラン(エンタープライズ版など)をあえて目立たせる必要はありません。しかし、必ず「存在」させ、その価格を明示してください。「要問い合わせ」にしてしまうと、価格のアンカー(基準)としての機能が失われます。「月額10万円〜」と明記することで、隣にある「月額3万円」のプランが安く見えます。
2. 提案書におけるアンカリング
商談時の提案書では、最初に最高額のプラン(松の上の特上)を見せてください。「弊社の全リソースを投入するフルパッケージは100万円です」と提示し、顧客が「うっ(高い)」と感じた直後に、「ですが、御社の現状に最適化した、必要な機能だけを厳選したプランなら30万円で提供可能です」と伝えます。
これにより、30万円は単なる価格ではなく「70万円分のコストカットに成功したプラン」として認識されます。
3. AIを活用したシミュレーション
生成AIを活用し、自社のプライシング構造に対する「顧客の反論」をシミュレーションさせてください。「なぜこの機能差でこれほど価格が違うのか?」という問いに対し、論理的に説明がつかない(単なるぼったくりに見える)場合は、囮としての設計が甘い証拠です。囮は「選ばれないこと」が目的ですが、「馬鹿げている」と思われてはいけません。「予算が潤沢な大企業なら選ぶかもしれないが、我々(賢い買い手)にはこちらがベストだ」と思わせる絶妙なラインを突く必要があります。
プロの視座:失敗しないための「誠実な」設計
テクニックとしての価格心理学を解説しましたが、私が現場で最も重視しているのは、長期的な信頼関係の構築です。小手先の誘導は、いつか必ず見抜かれます。
【教訓:操作ではなく「納得」をデザインする】
過去に、囮プランをあまりにも魅力のない内容にしすぎて、「この会社は価格設定がおかしい」「不誠実だ」と判断され、商談自体が破談になったケースを見たことがあります。
「売れない高額プラン」を置く真の目的は、顧客を騙して高いものを買わせることではありません。「選択のストレス」を減らすことです。
情報過多な現代において、顧客は「選ぶこと」に疲れています。「これが一番合理的です」と自信を持って言えるプラン(本命)を輝かせるために、他のプランが脇役として機能する。その結果、顧客が「自分で賢い決断をした」という自己効力感を持って契約書にサインできること。それが、マーケターが設計すべきゴールです。
まとめ:価格表は、あなたの「意思」そのものである
本稿では、ゴルディロックス効果と囮効果を用いた単価向上のロジックについて解説しました。
重要なのは、価格表やプラン構成を「単なるメニュー表」として捉えるのではなく、顧客を成功へ導くための「ナビゲーション」として捉え直すことです。「売れない高額プラン」は、無駄な余白ではありません。それは、本命プランの価値を証明するための、最も雄弁な証言者なのです。
明日、自社のサービス資料やWebサイトの価格ページを見直してみてください。そこには、あなたの「これを買ってほしい」「こう使ってほしい」という意思が、構造として組み込まれているでしょうか?
もし、ただ並列に選択肢が並んでいるだけなら、そこには大きな伸び代が眠っています。設計者としての誇りを持ち、意図を持った「枠組み」を構築してください。