「家の作りやうは、夏をむねとすべし」。『徒然草』第55段のこの冒頭は、日本の住まいの知恵としてよく引用されます。ただし、兼好は夏の暑さだけを論じているのではありません。浅く流れる水、明るさ、天井の高さ、そして用途を決めすぎない場所まで話は続きます。一つの言葉を現代の住宅設計にそのまま当てはめるより、何を快適さの基準とし、住まいにどれほど余白を残すかという文章全体の問いから読んでみましょう。
出典は『徒然草』第55段「家の作りやうは」
やたがらすナビ『徒然草』第55段には校訂本文と写本の翻刻が掲載されています。同じ段は『國文大觀』版や公開の古典本文でも確認でき、表記には差があります。本稿では、本文に記された観察と、現在の住宅に応用する際に必要な条件を区別します。
「夏をむねとすべし」は冬を無視してよいという意味か
最初の一節は「家を造るなら、まず夏を念頭に置くべきだ」という意味です。その理由として、冬はさまざまな住まいに耐えられても、暑いころに住みにくい家は耐え難い、という説明が続きます。
現代から見ると、冬の寒さや断熱の必要性を軽く扱う意見には賛成しにくい場面もあります。しかし、ここでの文章を現代の耐震・断熱・空調の法則として読めば、時代の違いを無視してしまいます。この段が伝えているのは、自分にとって耐えがたい条件を先に考えて住まいを判断するという観察として受け取ることができます。
現在の住まいでは、住む地域の気候、建物の性能、年齢や健康状態、冷暖房費、安全性などを合わせて考える必要があります。「夏優先」という言葉だけで、冬の寒さを我慢する設計を推奨するものではありません。
「深き水は涼しげなし」──涼しさは深さで決まらない
本文は、深い水は涼しげではなく、浅く流れている水の方がはるかに涼しく見えると述べます。ここでいう「涼しげ」は、計器で測る実際の水温や空気温度を断定する表現ではなく、住まいの景観や感覚を含んだ評価として読むのが自然です。
人が心地よく感じる空間には、数値で説明できる部分もあれば、光や水の動き、見通し、風景といった要素もあります。ただし、水辺を設ければ必ず涼しくなるといった省エネ効果を、この古典から証明することはできません。
「遣戸は蔀の間よりも明かし」──住まいは行為によって評価される
次に兼好は、細かいものを見るには、遣戸(やりど)のある場所は蔀(しとみ)の間よりも明るいと記します。これは、風流な外観がよいかどうかとは別に、具体的な行為がしやすいかを比較した一節です。
光の入り方は、窓の形式だけでなく建物の向きや開口の大きさでも異なりますが、文章の面白さは「細かいものを見る」という使い方を条件にしたことにあります。すべての部屋に同じ快適さを求めるのではなく、何をする場所なのかによってよさの基準が変わると読めます。
天井が高いほどよい、という話でもない
本文は、天井が高いと冬には寒く、灯りも暗いと述べます。「高い天井=開放的で立派」という現代のイメージとは少し違う評価です。空間の壮大さを好むか、冬の過ごしやすさや夜の明るさを重視するか。兼好は見栄えだけでなく、使う場面へ視点を移しています。
もちろん現代では、断熱・暖房・照明技術によってこの評価は変わります。天井の高い家が常に寒い、という普遍的な建築学の断定として引用するのは適切ではありません。
結びは「用途を決めない場所」の価値
この段で見逃したくないのが、最後の一文です。造作では、当面使い道の決まっていない場所をつくっておくのが、見た目にも面白く、いろいろな用途にも役立つ、と人々が評していたという趣旨が語られます。
この結びを知ると、冒頭の「夏」という一条件だけで住まいを設計しようとする読みが変わります。暑さ、採光、天井といった具体的な課題に加えて、用途を一つに固定しない柔軟さも評価されているからです。間取りの無駄をなくすだけでよいのか、将来の使い方に合わせて変えられる余白がある方がよいのか、という問いにつながります。
ただし、ここで語るのは「人の定めあひ侍りし」という伝聞を伴う評価です。兼好が独自の普遍的な住居設計論を科学的に証明したという書き方はしません。
古典から現代の住まいへ──結論を急がないための三つの問い
第一に、住む人が困る条件は何か。暑さ、寒さ、明るさ、音、移動のしやすさなど、世帯によって優先順位は変わります。第二に、日々どんな行為をする場所なのか。読書、調理、休息、家事、仕事では適した環境が違います。第三に、住み続けるうちに用途が変わる場所をどう確保するか。
この三点は『徒然草』の段から引き出した現代的な問いであり、実際の住宅建築では建築士などの専門家と、法規や安全・性能の要件を確かめる必要があります。兼好の時代の経験を、そのまま工事仕様へ置き換えないことが重要です。
前後の段から見える、古典の話題の広がり
第54段では、仁和寺の法師たちの凝った演出が裏目に出る様子が語られました。第55段では一転して住まいの実用性と景観の話になります。連続するからといって、同じ主張を繰り返しているわけではありません。古典を断片的な教訓集として消費せず、話題の移り変わりも含めて読むことができます。
まとめ
『徒然草』第55段の「夏をむねとすべし」は有名ですが、本文はそこから水の流れ、戸の明るさ、天井、用途を定めない場所へと話を広げます。今日の住宅にそのまま適用するのではなく、住む人の困りごと、使う場面、将来の変化を考えるための古典として読むと、この段の視野の広さが見えてきます。
原典・確認範囲
やたがらすナビ『徒然草』第55段 — 校訂本文・翻刻、写本画像への案内。
Wikisource『徒然草(國文大觀)』 — 第54・55段の連続箇所の照合。
山梨県立大学の古典資料ページ『徒然草第五十五段』 — 公開本文の表記比較。
出典状態:作品・章段確認済み。現代の建築性能への言及は原典の主張ではなく、読者のための補足です。
次の段へ:『徒然草』第56段「久しく隔たりて会ひたる人の」では、住まいの話から一転して、久しぶりに会った相手との会話や、自分語りへの配慮が論じられます。第57段とあわせて話し方と知識の限界について読めます。