はじめに――フランケンシュタインは怪物の名前ではない
『フランケンシュタイン』と聞くと、巨大な怪物そのものを想像するかもしれません。しかし1818年初版の物語で、この名を持つのは生命を生み出した研究者ヴィクター・フランケンシュタインです。創造された存在には、本文で固有名が与えられていません。
メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』は、単なる怪物退治の物語ではありません。生み出した者の責任、拒絶された者の孤独、知識への欲望が絡み合います。
この記事は1818年版の原文を基準に、筋書きと最後の場面を確認します。後年の改訂版や映画の演出と、原作の記述を一つにまとめないようにしながら、怪物は最後にどうなったのかまで読みます。
物語の始まり――北極航海の手紙の中で語られる告白
物語は、北方航路を探る船長ロバート・ウォルトンが姉に送る手紙から始まります。氷海で船が出会うのは、衰弱した一人の男、ヴィクター・フランケンシュタインです。読者はウォルトンの記録を通して、ヴィクターの過去の告白を聞く構造になっています。
ヴィクターは若い頃、生命の仕組みを解き明かしたいという強い願望に取りつかれます。ついに人造の生命を作り出しますが、動き始めた姿を目にすると恐れを抱き、自分が生み出した存在から逃げ出してしまいます。
その後、ヴィクターの身近で悲劇が起こり、彼は自分の創造物を疑います。科学的な成功と、結果への責任が同じ歩幅で進まなかったことが物語を動かす原因の一つです。
怪物の視点――生まれながらの悪者だったのか
創造された存在は、最初から人を傷つけることだけを望んでいたわけではありません。隠れて人間の暮らしを観察し、言葉を学び、親しさや受け入れられることを求めます。原作は怪物にも、自分の経験を語る長い場面を与えています。
しかし、人々はその外見を恐れ、近づくことを拒みます。怪物はヴィクターと向き合い、創造者は自分に対する責任があるはずだと訴えます。怪物の行動を正当化することと、その苦しみを理解することは別です。
この視点は、木の人形が生きて成長する『ピノキオ』原作の解説とも対照的です。筋書きも結末も異なりますが、「生まれた存在を誰がどう受け止めるのか」という問いを並べて考えられます。
創造者の責任――もう一人を作る約束はどうなった
怪物は、孤独を和らげるために自分と同じような伴侶を作ってほしいとヴィクターに求めます。ヴィクターはいったん応じるものの、新たな存在がもたらす危険を恐れ、製作途中の伴侶を破壊してしまいます。
怪物の怒りはヴィクターの周囲へ向かい、友人や婚約者エリザベスの死につながります。ヴィクター自身も、復讐のために怪物を追い、極寒の地へたどり着きます。追う者と追われる者の双方が、破滅の連鎖から抜け出せなくなる展開です。
科学技術の文脈から現代的に読むときは、作品がAIを予言したと断定する必要はありません。チューリングが問う「機械は考えられるか」と対比すれば、能力を実現する問いと、それにどう責任を持つかという問いの違いが見えてきます。
1818年版の結末――怪物は本当に死んだのか
ヴィクターはウォルトンの船上で亡くなります。その後、怪物が現れ、自分を作った者の亡骸を前に苦悩と後悔を語ります。怪物が最後までただ冷酷な存在として描かれるわけではありません。
怪物は自分の命を終えるつもりだと述べ、北方へ去って火葬のための薪を積む計画を語ります。しかしウォルトンが実際に目撃するのは、怪物が窓から氷の上へ飛び移り、闇の中へ遠ざかる場面までです。
したがって、1818年版の本文に即して結末を説明するなら「怪物は自死を宣言して去ったが、その最期を誰かが確認した場面は描かれない」が正確です。宣言と、作中で確認された出来事を混同しないところが、この結末の大切なポイントです。
まとめと原典――恐ろしさの中心は姿だけではない
1818年の『フランケンシュタイン』は、研究者ヴィクターが生命を創造し、拒絶された存在と互いに傷つけ合っていく物語です。創造物の名は明示されず、フランケンシュタインという姓は創造者のものです。
最終場面ではヴィクターが亡くなり、怪物は死を覚悟して氷海へ去ります。ただしその後の死そのものは描かれません。読後に残るのは、怪物を倒したという達成感より、生み出すことと引き受けることの距離ではないでしょうか。
原典:Mary Shelley, Frankenstein; or, The Modern Prometheus(1818年版、Project Gutenberg)。参考:Shelley-Godwin Archiveの草稿解説。1818年版原文に基づき、現代の翻訳・映画台詞を転載せず、独自にあらすじを記述しています。