はじめに――学校で学ぶほど、発想が狭くなるのか
子どもが思いがけない答えを口にすると、大人は笑ってしまうことがあります。しかし、その答えをすぐに間違いと決めつけてよいのでしょうか。教育と創造性の関係を問い直した著名な講演が、ケン・ロビンソンによる2006年のTED講演「Do schools kill creativity?」です。学校は知識を教えるだけでなく、新しい考えを生み出す力を育てられるかという問いを投げかけました。
本記事の日本語見出し「学校は創造性を奪うのか」は、TED公式に記録された英語の講演タイトルの説明訳です。短い名言画像に出てくる一文を勝手に本人へ帰属させるのではなく、公式講演ページと本人の後年の質疑応答を参照します。講演の問題提起と、実際に教育へ応用できる内容を分けて考えます。
この講演を「学校は不要だ」「知識を覚えることに価値はない」と読み替えるのは正確ではありません。教育を批判することと、学ぶための制度を捨てることは別です。創造性を育てるには、学びの方法や評価のあり方をどう変えるべきか。その問いが今も考える価値を持っています。
2006年のTED講演は何を問いかけたか
TED公式サイトによれば、ケン・ロビンソンの講演は2006年2月に行われたTED2006で発表されました。公式の紹介では、学校教育が創造性を育てるのではなく損ねてしまうことがあるのではないかと問い、創造性を支える教育制度の必要性を訴えた講演と位置づけられています。発言者、講演タイトル、イベントの開催時期を主催者資料で確認できます。
ロビンソンは教育と創造性の専門家として、学校で認められやすい能力が限定されることを問題にしていました。勉強ができるかどうかだけで人の価値を測るのではなく、さまざまな知的な強みを育てるべきだという考え方です。創造性はごく一部の芸術家だけが持つ特権ではないという立場が背景にあります。
ただし、学校という制度がすべての子どもの創造性を必ず奪うと実証した実験ではありません。会場でのプレゼンテーションは、経験と分析を通じて教育の方向を提案するものです。力強い問いかけを、そのまま一律の科学的結論に変えないことが大切です。
創造性は美術や音楽だけの話ではない
2009年8月12日、TEDの公式ブログはロビンソン本人に対する質疑応答を掲載しました。そこで彼は、創造性は特定の活動ではなく、何かを行うときの質に関わると説明しています。数学や科学、工学、哲学でも創造的な仕事はできるという考え方です。「芸術の時間を増やせば終わり」という単純な話ではありません。
例えば数学の問題でも、教科書にある公式の使い方を覚えることと、複数の解法を比較することは別の学びです。前者が不要になるのではなく、身につけた知識をどう使うかに創造的な余地があります。基礎を覚えることと、新しい見方を試すことを対立させない方法が考えられます。
彼は、創造的な思考は学ぶことができるという立場をとり、別の答えや解決策を考える力を伸ばす教育の可能性を語りました。生まれ持った才能だけに期待するより、経験と訓練によって発想を広げる場を作ることが重要です。創造性を性格ではなく、学びの過程に置く考え方です。
授業・教え方・評価を分けて考える
2009年の質疑応答でロビンソンは、教育の仕組みを考える際に、何を学ぶかというカリキュラム、どのように教えるかという教授法、何をどう評価するかという三つの側面を説明しています。教材を変えるだけでは、学び方の問題が解決しない場合もあると理解できます。
例えば、面白い題材を取り入れても、授業の最後に一つの答えだけを素早く出すことしか評価しないなら、別の可能性を探す動機は弱くなるかもしれません。逆に、自由に考えるだけで基礎や検証を求めなければ、理解が深まらない場合もあります。探究の自由と、考えの質を確かめる工程がともに必要です。
ロビンソンは、開かれた質問を増やし、子どもが好奇心を持つような課題を用意することも提案しました。しかし、どの授業でも同じ方法が最善とは限りません。学ぶ内容や発達段階、授業の条件に合わせた設計が必要です。創造性という言葉を掲げるだけで、教え方の責任がなくなるわけではありません。
間違いを恐れないことと、正しさを捨てることの違い
新しい考えを生むには、最初から完璧な答えだけを求めないことが役立つ場面があります。まだ形にならない仮説を口にし、別の案と比べ、改善する。その過程で間違いが見つかることもあるでしょう。間違いを出した人を責めないことは、考えを検証しなくてよいという意味ではありません。
本人は2009年の質疑応答で、創造的な活動には新しい可能性を考えるだけでなく、批判的に評価することも含まれると説明しています。役立つ案とそうでない案を見極める作業も、創造の一部です。思いつく段階と、確かめる段階を行き来することが欠かせません。
学校でも職場でも、失敗を許すという言葉を理由に、他人の安全や尊厳を損なう試行を正当化してはいけません。安全に試せる範囲を設定し、その中で考えを広げることが現実的です。創造性を伸ばすための余白は、責任のない無秩序と同じではありません。
子どもと大人の学びにどう生かせるか
家庭や学校で使える工夫の一つは、「なぜそう考えたの?」と尋ねることです。答えが正しいかだけを確認するのではなく、その子が何を見て何に気づいたかを聞く。たとえ結論が違っていても、考え方には学ぶ材料があるかもしれません。結果だけでなく、考える過程へ関心を向けることができます。
大人の仕事でも同じです。会議で最初の案だけを採用する前に、ほかの見方がないか問い直してみる。専門家の意見を尊重しながら、異なる職種の知識を組み合わせる。既存の知識を使うことと、別の可能性を試すことは両立できます。
ただし、人にはそれぞれ得意な学び方や置かれた事情があります。創造的であれという新たな圧力をかけるのは本末転倒です。考える時間や支援、静かな環境が必要な人もいます。誰もが同じ方法で自由に発想できると決めつけないことも、学びの多様性を尊重する一歩です。
創造性を扱うほかの記事と読み比べる
アダム・グラントの2016年TED講演の記事では、独創的な人が多くの案を試すことについて説明しています。ロビンソンの教育論と並べると、創造的な発想を生み出す環境と、試行錯誤を続ける行動の違いを考えられます。
エリザベス・ギルバートの2009年TED講演では、創作の才能と自分自身との付き合い方がテーマです。教育制度を論じるロビンソンと、作品を作る側の体験を語るギルバートでは、同じ創造性という言葉でも焦点が異なります。環境の問題と、個人の創作経験を分けて読むことができます。
技術と創造の関係に関心があるなら、エイダ・ラブレスと解析機関の記事も参考になります。機械に任せられる処理と、人間が考えることをどう捉えるかという問いにつながります。教育の創造性を、技術の進歩だけで説明できるわけではないという視点も得られます。
まとめ――創造性は学びの外側ではなく内側にある
ケン・ロビンソンの「Do schools kill creativity?」は、2006年2月のTED講演として主催者ページに掲載されています。2009年にはTED公式ブログの質疑応答で本人が、創造性は数学や科学を含む多くの活動に関係し、教育によって支えられると説明しました。講演の題名と、本人の後年の補足説明を、それぞれ一次資料から確認できます。
本当に大切なのは、芸術だけを特別視することでも、試験をすべて否定することでもないのでしょう。学ぶ内容、考える方法、評価の仕組みを見直し、異なる強みを生かす余地を広げることです。知識と創造性をどちらか一つに選ばなくてよいという考え方ができます。
主な出典は、TED公式「Do schools kill creativity?」講演ページと、TED公式ブログ「TED and Reddit asked Sir Ken Robinson anything — and he answered」(2009年8月12日)です。日本語見出しは英語講演タイトルの説明訳であり、学校の教育効果を測定した研究結果を主張するものではありません。