はじめに――きちんとした服が、一瞬で台なしに
お客さんが来る前に、子どもたちを洗ってきれいな服に着替えさせたのに、庭で遊んで泥だらけ。そんな慌ただしい一日を描くのが、ビアトリクス・ポターの『こねこのトム』です。整ったお茶会を望む母猫と、自由に遊ぶ子猫たちの違いが物語の笑いを生みます。
原題は『The Tale of Tom Kitten』。1907年に出版された、ミトン、モペット、トムの三匹の子猫と、母猫タビサのお話です。かわいらしい絵だけでなく、服が次々に脱げ、アヒルがそれを着てしまう展開に特徴があります。
最後に服は戻ってくるのでしょうか。子猫たちは母親の言いつけを守れたのでしょうか。1907年の英語本文に基づき、現代の絵本と区別しながら、あらすじと結末を追います。
1907年初版の書誌と原題
米国議会図書館の1907年の刊本書誌には、ビアトリクス・ポターが著者・挿絵担当者として記録され、出版社はFrederick Warneとされています。出版された年と作家名を公的な図書館の記録で確認できる作品です。
物語の英文はProject Gutenbergの『The Tale of Tom Kitten』で確認しました。そこには1907年の初刊を示す記載と、子猫たちの登場から最後のアヒルたちまでの本文があります。書誌資料と作品本文を別々に照合しています。
原語の固有名詞にはTom Kitten、Mittens、Moppet、Tabitha Twitchitなどが使われます。本記事の日本語の呼び方は説明のための表記であり、特定の現代日本語訳の文章を原文として扱いません。
三匹の子猫と母猫タビサ
三匹の子猫は、ミトン、トム、モペットです。家の玄関先で転げ回り、ほこりをつけて遊んでいました。そんな日に、母猫タビサ・トゥイッチットは友人をお茶に招くことにします。来客の予定と子猫の遊びたい気持ちが重なったところから騒動が始まります。
母猫は子猫たちの顔を洗い、毛並みやしっぽを整えます。そして、お客さんの前に出せるよう、きれいな服を用意しました。大人が考える身だしなみと、子どもが過ごしやすい服装は必ずしも一致しません。
特にトムは服が窮屈で、身につけたばかりのボタンがいくつもはじけます。母親はボタンを縫い直しますが、庭で遊びたい気持ちは収まりません。服が壊れる伏線が、最初から描かれているのです。
庭へ出た三匹は、どうして服をなくしたのか
母猫はお茶の準備をする間、三匹を庭へ出します。きれいにしておくよう言い聞かせ、汚れた場所には近づかないよう注意しました。しかし子猫たちは庭を歩くうちに転び、服に緑色の汚れをつけてしまいます。母親の指示と現実の行動があっという間に食い違う場面です。
三匹は石の植え込みを登り、庭の壁へ向かいます。トムはズボンでうまく跳べず、進むほどボタンや帽子が落ちていきます。格好よく着せた服が、自由に動くための邪魔になるという逆転が面白いところです。
ミトンとモペットも服を汚し、壁の上では三匹ともすっかり乱れた姿になります。一回だけの失敗ではなく、小さな失敗が重なって騒動が大きくなる構成が、声に出して読むときの楽しさにつながります。
服を拾ったアヒルたちは何をしたのか
壁の近くへやって来たのは、三羽のアヒルです。その中にはジマイマとレベッカ、そしてドレークがいました。子猫の服や帽子を見つけると、自分たちがその服を着ようとするのです。
アヒルたちに服を着せてみると、もちろん大きさも形も合いません。トムに窮屈だった服も、アヒルにぴったり合うわけではありません。それでもアヒルたちは上機嫌に道を進みます。持ち主の子猫とは別の動物が服を着るという滑稽さが強調されます。
三匹が服を失ったのは、単にどこかへ置き忘れたからではありません。通りがかったアヒルたちが服を拾い、自分たちのもののように使ったことが、後の結末につながります。
母猫は客に何と説明したのか
庭へ子猫を迎えに来た母猫は、服を着ていない三匹を見つけます。厳しく叱り、家の上の階へ連れ戻しました。親が望んでいた「きちんとしたお茶会」と、現実の子猫たちの姿の差が、いよいよ大きくなります。
母猫は客に、子猫たちは麻疹にかかって寝込んでいると説明します。しかし原文の語り手は、それは本当ではなかったと知らせます。物語の中の大人も、体裁を守るために事実と違う話をしたのです。
もちろん、病気を口実にすることを実生活の手本にする必要はありません。子猫を叱る大人も完全ではないというユーモアを含む場面として読むことができます。
原作の結末――アヒルの服も池でなくなる
お茶会が始まると、上の階から大きな物音がします。子猫たちはおとなしく寝ているどころか、部屋で大騒ぎをしていたのです。母猫の説明と実際の状況の食い違いが、物語の最後まで続きます。
一方、服を着たアヒルたちは池へ入ります。すると服にはアヒルの体へ留めるボタンがないため、すぐに脱げてしまいます。子猫の服はアヒルたちのもとへ移ったままでも、きちんと着続けられるわけではないのです。
原文の結末では、アヒルたちはその服を今でも探していると語られます。服がすべて元の持ち主に返されたという説明はありません。すっきり解決するというより、少しおかしみの残る幕切れです。
アヒルのジマイマと1908年の別作品との関係
この話に登場するジマイマは、翌1908年に刊行された『The Tale of Jemima Puddle-Duck』の主人公とつながる名前です。『あひるのジマイマ』原作の記事では、自分の卵をかえそうとしたジマイマとキツネの危険な計画を扱っています。
ただし、1907年の『こねこのトム』と1908年の『あひるのジマイマ』は独立した作品です。こちらでは子猫の服を拾ったアヒルとして登場し、翌年の話ではジマイマ自身の願いや危険が中心になります。
同じ作家の登場人物が別の作品にも現れると、先に読んだ話を振り返る楽しみが生まれます。発行年と物語の役割を確認して、順序を逆にしないことが重要です。
ピーターラビットと比べたら何が違うか
ポター作品で有名な『ピーターラビット』原作の記事では、ウサギが農夫の畑に入り、危険に遭う出来事を扱っています。子どもが大人の言いつけを守らず騒動を起こす構造は共通しています。
しかし『こねこのトム』では、主な問題は服が汚れて脱げてしまうことです。追いかけられる危険ではなく、家庭の来客と身だしなみの問題がユーモアになります。
二つの話を同じ道徳的な教えへ強引にまとめるより、どんな場面が笑いを生むかを比べる方が面白いでしょう。同じ作者でも物語の緊張の度合いと結末は異なります。
現代の子どもと読むときの注意
1907年の作品には、母猫が子猫をたたく場面も描かれています。当時の物語にある描写と、現代の子育てで望ましい行動は分けるべきです。体罰を模範として紹介する必要はありません。
子猫たちが自由に遊びたいこと、母猫が客を迎える準備をしたいことの両方を考えてみると、誰か一人だけを悪者にしなくても読めます。違う立場の登場人物が何を望んでいたかを話し合うのがよいでしょう。
同じように動物の姿を通して人間の気持ちを考える話には、『ビロードのうさぎ』もあります。ただし、動物のぬいぐるみの愛情と、子猫の騒動は別の主題として楽しめます。
まとめ――片づかない結末にも残る面白さ
『こねこのトム』は1907年のビアトリクス・ポター作品です。母猫が三匹をお客さんのために着飾らせても、子猫たちは庭で遊んで服を汚し、通りがかったアヒルたちに服を持っていかれてしまいます。
母猫は客に子猫が病気だと説明しますが、上階からは物音が聞こえます。アヒルたちの服も池で脱げ、最後まで完全には片づかないことが物語の笑いになっています。
整えたつもりの日常が思いどおりに進まないとき、少し距離を置いて眺めると笑える場合もあります。子猫、大人、アヒルの三者が互いに予定を狂わせる一冊です。
原典・出版年・権利の確認
作品本文はProject Gutenberg公開の『The Tale of Tom Kitten』を参照しました。三匹の名、母猫の来客、アヒルが服を着る場面、池で服をなくす結末を英語本文で確認しています。
1907年刊の書誌は米国議会図書館の資料で確認しました。1907年の出版と作者の記録、現代の電子化本文は別の資料として扱っています。
原作は20世紀初めの作品で、米国ではパブリックドメインとして公開されています。ただし国ごとの権利や、日本語の現代訳、挿絵の新版、商品化されたデザインには別の判断が必要です。本文は独自の日本語要約で、既存の翻訳・絵・長文の原文を転載していません。