はじめに――なぞなぞ好きのリスが失ったもの
湖に浮かぶ島へ木の実を取りに行くリスたち。その中に、仲間のように礼儀正しくふるまわず、フクロウをからかってばかりいる一匹がいました。ビアトリクス・ポターの『りすのナトキン』は、いたずら好きのリスと、無口なフクロウとの対決を描く童話です。
主人公ナトキンは元気で、歌やなぞなぞが大好きです。ところが、仲間の仕事を手伝わず、相手を何度も挑発した末に危険な目に遭います。かわいらしい主人公であっても、物語が用意した結末は甘くありません。
ここでは1903年の英語原作『The Tale of Squirrel Nutkin』と米国議会図書館の1903年版書誌を照合し、六日間の出来事となぞなぞの役割、尻尾を失う本当の結末を独自の日本語で解説します。
1903年版の原題と確認した資料
本作の英語原題は『The Tale of Squirrel Nutkin』です。原作者ビアトリクス・ポターによる作品で、1903年にFrederick Warneから刊行されました。電子化された本文の標題部分にも、同年の刊行記録が残っています。
米国議会図書館の書誌では、1903年のニューヨーク版が登録され、1903年8月22日に著作権登録用の納本があったことも示されています。電子書籍が公開された2005年と、原作が刊行された1903年は違う点に注意が必要です。
日本語では「りすのナトキン」「ナトキンのおはなし」などの呼び方が考えられますが、本記事が対象とするのは1903年の英語原作です。特定の現代日本語訳の文章や、後年の映像化で付け加えられた台詞を、原作の言葉として使わない方針で読み進めます。
ナトキンと兄弟、そしてオウル島
物語はナトキンの尻尾の話だと前置きして始まります。ナトキンにはトゥインクルベリーという兄弟がおり、たくさんのいとこたちと湖のほとりの森で暮らしています。秋になると、木の実を集めるため湖の島へ向かうのです。
島には木の実のなる木々があり、その中の大きな樫の木の空洞を住まいとするフクロウがいました。名前はオールド・ブラウンです。リスたちは、島の持ち主であるブラウンに許可を求めるため、訪れるたびに贈り物を携えます。
小枝のいかだに乗って湖を渡るリスたちは、袋に木の実を詰めて帰ります。尻尾を帆のように使う姿は、作者ならではの小動物のユーモラスな描写です。働く仲間たちと、別のことに夢中になるナトキンの違いが、この時点で見え始めます。
一日目と二日目――贈り物と無礼ななぞなぞ
最初の日、リスたちは三匹の太ったネズミをブラウンへの贈り物として置き、丁寧に木の実を取る許しを求めます。野生動物の食性を背景にした、当時の童話らしい少し厳しい贈り物です。物語の出来事として説明するもので、動物を傷つける行為を推奨するものではありません。
ところがナトキンは礼をせず、赤い服の小さな人物についてのなぞなぞを歌い始めます。ブラウンは相手にせず、目を閉じて眠ってしまいます。相手が反応しないことを、ナトキンは止める合図として受け取りません。
翌日、仲間はモグラを贈りますが、ナトキンはイラクサでフクロウをくすぐりながら歌います。ブラウンは贈り物を家に持ち込み、扉を閉めます。小さないたずらが繰り返され、相手との距離が少しずつ悪くなる過程が描かれます。
三日目から五日目――続く挑発と働かない主人公
三日目には七匹の小魚、四日目には六匹の甲虫が贈られます。仲間たちは島の木の実を集め続けますが、ナトキンは相変わらず歌やなぞなぞを披露してばかりです。仲間が仕事をする一方で、主人公だけが挑発を楽しんでいるところが特徴です。
四日目、ブラウンにリングをあげるという趣旨のなぞなぞを歌うものの、語り手はナトキンがそもそもリングを持っていないことまで指摘します。立派な約束に聞こえる言葉と、実際の行動がかみ合わないという小さな笑いが生まれます。
五日目には甘い蜂蜜が贈られ、ブラウンは嫌そうにしながらも食べます。リスたちは木の実を収穫し、ナトキンは石や木の実を使って遊んでいます。贈り物が受け取られることと、相手がナトキンの行動を許していることは同じではないという不穏さが残ります。
六日目――最後の贈り物と決定的ないたずら
六日目の土曜日、仲間たちは最後の贈り物として新しい卵を小さなかごに入れて運びます。ブラウンは卵に関心を示しますが、ナトキンはますます調子に乗り、「ハンプティ・ダンプティ」に通じる歌を含むなぞなぞを繰り返します。
相手はほとんど口を開きません。ここでナトキンが沈黙をどう受け止めたかは、明確な心の声として説明されているわけではありません。しかし行動だけを見れば、反応が乏しい相手への挑発を強めていったことが分かります。
最後にはナトキンは、ブラウンの頭の上へ勢いよく飛び乗ってしまいます。それまで続いてきた言葉によるからかいが、相手の体に触れる行為へ変わった瞬間です。その直後、騒ぎが起き、仲間たちは茂みへ逃げ込みます。
結末――ナトキンは尻尾を全部失ったのか
仲間が恐る恐る戻ってくると、ブラウンは何もなかったように木の入り口で目を閉じています。ところがナトキンの姿がありません。実は、ナトキンはフクロウのベストのポケットに捕まっていたのです。
ブラウンはナトキンを家の中へ運び、尻尾をつかんで皮を剥ごうとします。これは原作に登場する危険な場面の説明で、現実の動物への行為として肯定するものではありません。ナトキンが強く引っ張ったため、尻尾は二つにちぎれます。
ナトキンは階段を駆け上がり、屋根裏の窓から逃げ出します。つまり食べられてしまう結末ではなく、尻尾の一部を失いながら生き延びるのが原作です。その後もナトキンは、なぞなぞを尋ねる相手へ枝を投げたり怒ったりすると語られます。礼儀正しい性格に変わったとは書かれていません。
この話は単純な「礼儀を守れ」という教訓なのか
ナトキンの行動を見れば、相手をからかい続けることの危うさに気づきます。しかし、フクロウの行動にも恐ろしさがあり、すべてを簡単な善悪に分けられないところがポターの童話らしい面白さです。
なぞなぞそのものは悪い遊びではありません。問題になるのは、相手の反応を無視して繰り返し、最後には身体的な挑発へ踏み込んだ点です。楽しい表現も、相手と状況によっては迷惑になるという読み方はできるでしょう。
また、最後に主人公がきちんと反省し、二度といたずらをしないという結末を期待すると、原作から離れてしまいます。ナトキンの性格が完全に改まったとは書かれていないため、物語を道徳の教材として整えすぎないことが重要です。
ポターのほかの動物の物語と何が違うか
同じ作者の『ベンジャミン・バニー』原作の記事では、失敗したウサギたちを父親が助ける展開が描かれます。どちらも小動物の失敗が題材ですが、助けに来る人物や結末の意味が違うため、一つの教訓でまとめてはいけません。
一方、『2ひきのわるいねずみ』のあらすじでは、悪さをしたねずみたちが後から償う行動を見せます。ナトキンには、そのような分かりやすい償いは描かれていません。同じ「悪さをする動物」でも、物語が何を最後に残すかはそれぞれ違います。
ポターの世界では、動物たちは人間のようなふるまいを見せながら、突然厳しい自然の一面にも直面します。かわいい絵柄と危険な出来事が並ぶこと自体が、原作を丁寧に読む理由になるでしょう。
まとめ――尻尾に残された物語の記憶
『りすのナトキン』は、湖の島で木の実を集める六日間に、相手をからかい続けたナトキンがフクロウに捕まり、尻尾の一部を失って逃げる物語です。なぞなぞの楽しさと、挑発を止められない危うさが同居しています。
本文と結末はProject Gutenbergで公開されている1903年版英語原文で確認し、刊行年は米国議会図書館の書誌で照合しました。ポターは1943年没で、日本での原作の保護期間は経過していますが、現代日本語訳や他者の写真・加工画像は転載せず、独自の解説だけを掲載しています。日本の保護期間の原則は国立国会図書館の説明も参照しました。
何かを面白がるとき、それを相手も楽しんでいるだろうか。相手が無言だからといって、どこまでも踏み込んでよいのだろうか。結末を勝手に優しく書き換えずに読むことで、この古い童話の不思議な余韻を味わえます。