はじめに|火を起こせれば助かるはずだった
極寒の雪原で火を起こせるかどうかが、生死を分ける。ジャック・ロンドンの短編『火を起こす』は、雪の道を一人で進む男と、一緒に歩く犬を描く物語だ。人間の計画や自信が、自然の危険を十分に理解しているとは限らないことが、静かな緊張を生む。
よく読まれるのは1908年に『センチュリー・マガジン』へ掲載された版である。ただし同名の作品が1902年にも発表されており、両者は結末が大きく異なる。1908年版の主人公の死を、1902年版にも当てはめないようにしたい。
本記事では1908年版に対応する英語本文を収録した『Lost Face』を読み、Library of Americaによる版の比較で成立を確認した。終盤まで明かすためネタバレを含む。実際の極寒地での安全行動を指導する記事ではなく、文学作品の解説である。
1902年と1908年の違い|同じ題名でも結末は別
ロンドンは1902年に児童向け雑誌『The Youth’s Companion』で『To Build a Fire』を発表し、1908年8月号の『The Century Magazine』へ新しい版を発表した。単なる誤字修正ではなく、同じ題材を別の作品として描き直したのである。
Library of Americaは、先行版が若い読者向けの教訓的な性格を持つ一方、1908年版では自然の過酷さがより厳しく描かれると解説する。1902年版では主人公が生き延び、1908年版では命を落とすというのが大きな違いだ。
1908年版は後に短編集『Lost Face』へ収録された。今回参照したProject Gutenbergの電子本文は、1919年の英国版を翻刻したものである。雑誌への初出年と、いま読める電子本文の底本年は同じではないことにも注意したい。
極寒のユーコン|男と犬は何が違ったのか
物語の舞台は北米ユーコンの冬で、男は離れた場所にいる仲間のキャンプへ向かう。そばには犬が一頭いるが、男は危険な寒さをあまり深刻に捉えていない。到着予定を計算していても、冷気が身体へ及ぼす影響を過小評価している。
男には、強い寒さの日は一人で旅をしないほうがよいと忠告した経験者がいた。しかし男は、自分の判断で十分に対応できると考えている。注意を聞いたことと、実際に行動へ反映したことは異なると示す描写である。
犬は人間のように温度計の数字を計算しないが、寒さを本能的に警戒し、暖かい場所へ戻りたがる。物語では人間の過信と犬の危険への反応が対照的に描かれるが、動物なら常に正しいという科学的な主張ではない。
濡れた足と最初の火|木の下で起きた失敗
途中の道には、雪の下に水が隠れた危険な場所がある。男は足元に気をつけていたものの、薄い氷を踏み抜き、膝のあたりまで濡れてしまう。極寒の場所では、小さく見える事故が重大な危険へつながる。
男は靴や靴下を乾かすために火を起こす。枝や枯れ草を集め、実際に炎を育てることに成功するので、助かる見込みが生まれたように感じる。一度うまくいったという安心感は、ほかの条件が安全であるという証明にはならない。
火を起こしたのは、雪の積もったトウヒの木の下だった。枝を取るときのわずかな振動が上部の雪を落とし、火を消してしまう。火の扱い方だけでなく、どこで作業するかも結果を左右するという場面である。
二度目の火|頭では分かっていても手が動かない
男は木の下を避けて再び火を起こそうとする。しかし手の感覚が失われ、マッチや小枝を思うように扱えない。次に何をすべきか知っていても、身体がその指示に従わないという状況が、危機を深めていく。
さまざまな方法でマッチを点け、一度は火種を作るが、震える手では炎を育てるのが難しく、また消えてしまう。男は犬の体温を利用しようと考えるものの、指が動かず思いどおりにできない。追い詰められるほど、選択肢も実行能力も失われていく。
ここで犬は、人間を必ず救う忠実な相棒としては描かれない。男と犬の関係はもともと親密とは言い難く、犬も自分が暖かさを得られる場所を求めている。人間とは別の生存への欲求を持つ動物として描かれる点が重要だ。
1908年版の結末|男は死に、犬はどこへ向かうか
二度目の火が失敗したあと、男は走り続ければ仲間のところへたどり着けるかもしれないと考える。しかし身体が思うように動かず、何度も倒れてしまう。最初の到着予定は、もはや実現できる計画ではなくなっている。
やがて男は走るのをやめ、静かに死を迎える。犬は動かなくなった男に近づき、死を感じ取ったあと、暖かい火を求めて別の人間たちがいるキャンプの方向へ進む。1908年版では男が亡くなり、犬が生き残るという結末だ。
この結末を、人間の知識には何の意味もないという教訓にすると作品の複雑さを失う。男は途中で危険を理解し始めるが、判断を変えるには遅かった。自然は人間の計画や後悔に合わせて条件を変えてくれないという厳しさが残る。
まとめ|知っているつもりの危険を軽く見ない
ジャック・ロンドン『火を起こす』1908年版は、厳しい寒さの中を一人で進む男が足を濡らし、火を失い、ついには命を落とす物語だ。男の判断と犬の反応を対照させ、自然に対する自信の危うさを描いている。
同じロンドンの『野性の呼び声』は犬バックの過酷な環境への適応を扱う。また、『猿の手』は望みとは違う結末を怪奇的に描く。どちらも危険を扱うが、自然主義と怪奇という作品の性格は異なる。
主な出典:Project Gutenberg『Lost Face』収録の「To Build a Fire」本文、Library of Americaによる1902年版と1908年版の比較。1908年版の筋書きは収録本文で照合し、先行版との違いは編集機関の解説で確認した。