「耳を掩うて鐘を盗む」の意味と由来|『呂氏春秋』原文の鐘が「掩耳盗鈴」に変わるまで

はじめに|自分の耳をふさいでも鐘の音は消えない

悪い出来事を見なかったことにすれば、本当に問題はなくなるのだろうか。「耳を掩うて鐘を盗む」は、自分に聞こえないようにするだけで、他人にも知られないと思い込む愚かさをたとえる言葉である。

中国の『呂氏春秋』「自知」篇には、大きな鐘を盗もうとした人物が、壊すと音が鳴るため自分の耳をふさいだという逸話がある。元の話で盗もうとしたのは、小さな鈴ではなく持ち運べないほど大きい鐘だった。

本記事では『呂氏春秋』の本文と台湾教育部『成語典』、日本語辞典を照合する。後世の四字熟語「掩耳盗鈴」と、日本で知られる「耳を掩うて鐘を盗む」の関係を区別し、原文の場面と現代の教訓を混同せずに読む。

意味と読み方|隠したつもりでも隠せていない

読み方は「みみをおおうてかねをぬすむ」。「掩う」はここでは「おおう」と読み、耳を手などでふさぐことを表す。自分の知覚を遮れば他人の知覚までなくなるという、筋の通らない思い込みが比喩の中心だ。

日本語の『日本国語大辞典』は、良心に反する行為をしているのに、そのことを考えないようにすることや、自分では隠せたと思っていても周囲には知られていることを説明する。他人を欺こうとして、結果的に自分を欺いている状態にも用いられる。

例えば、重大なミスの記録を消したので誰にも気づかれないと考えても、関係者の手元や実際の結果は消えない。見えないことと存在しないことは別である。ただし、実際の問題が解消したかどうかは事実を調べて判断する必要がある。

原典『呂氏春秋』自知|范氏の滅亡と大きな鐘

『呂氏春秋』巻二十四の「自知」篇では、まず自分の欠点を知らないことが、指導者にとって重大な危険であると論じられる。その例として、范氏が滅びたころ、ある人が鐘を見つけて持ち去ろうとした話が続く。鐘を盗む逸話は、それ自体が独立した面白い昔話というだけではない。

原文の人物は鐘を背負って逃げようとするが、あまりに大きく運べない。そこで槌で壊して小さくしようとしたところ、大きな音が響いた。盗もうとしているものの性質と、それを壊したときの結果を考えていなかったことが失敗の発端だ。

本人はその音を他人に聞かれて奪われることを恐れ、急いで自分の耳をふさいでしまう。耳をふさいでも、外で鳴っている鐘の音が周囲へ届くことは変わらない。行為と目的の食い違いが、この逸話を印象的にしている。

原文の要点|「遽揜其耳」と「悪己自聞之」

本文には「鍾大不可負,以椎毀之」とあり、鐘が大きくて背負えないため、槌で壊したことが分かる。続いて「遽揜其耳」と記され、急いで自分の耳をふさいだと説明される。当時の本文の中心は、他人の耳ではなく本人の耳を覆った行動にある。

さらに「惡人聞之可也;惡己自聞之,悖矣」と続く。他人に聞かれるのを嫌がるのは分かるが、自分自身に聞こえるのを嫌がるのは道理に合わない、という趣旨である。責められているのは盗みだけでなく、音の届き方を取り違えた考え方だ。

この直後には、君主が自分の過ちを聞くことを嫌うのも同じではないかという問いが置かれている。不都合な報告を遮断しても、その誤りや影響は消えないという政治上の教訓につながっている。

鐘と鈴の違い|「掩耳盗鈴」は元の本文と同じか

台湾教育部『成語典』は、後世に広く使われる「掩耳盜鈴」の典源として『呂氏春秋』を挙げる。同辞典は、熟語の「鈴」にあたるものが原典では「鍾」であり、「鍾」は「鐘」と通じることも明記している。よく知られた四字の語形を、そのまま古典に印刷されていた原文として引用しないことが大切だ。

現代中国語では「掩耳盗鈴」として知られ、日本語では「耳を掩うて鐘を盗む」や「耳をふさいで鈴を盗む」などの表現も見られる。大小の違う楽器へ言い換えられていても、耳をふさいで他人をごまかせると考える愚かさが共通している。

日本語辞典は1874〜75年の『開化問答』に「耳を塞ぎて鈴を盗む」の使用例があると紹介する。ただし、これは辞典が確認した掲載例であって、その年にこのたとえが初めて発明されたことを示すものではない。

現代の実践|自分に都合のよい情報だけを選ばない

仕事では、好調な数字だけを見ると安心できる。しかし苦情や離脱の数字を確認しなければ、問題がないと判断する根拠は不足する。見たくない情報を見ないことと、問題が解決していることは違うという教訓を生かせる。

対策を考えるなら、まず自分がどの情報を避けているかを問うとよい。相手の指摘に反論する前に、指摘の裏にある証拠や事実を確かめる。聞きたくない意見でも、事実なら判断の材料にする姿勢が重要である。

関連するマーガレット・ヘファーナンの異論に関する講演は、意見の相違を組織で扱う方法を考える手掛かりになる。また「抱薪救火」の故事は誤った対処で問題を拡大する危険を扱う。前者は不都合な情報、後者は誤った手段という異なる失敗に焦点を当てている。

まとめ|耳をふさいでも問題そのものは残る

「耳を掩うて鐘を盗む」は、自分の耳をふさげば他人にも気づかれないと思い込むことから、自分を欺き、周囲の人に通用しない方法で問題を隠そうとする愚かさを表す言葉である。

『呂氏春秋』「自知」篇では、鐘を壊した音に驚いた人物が耳を覆う様子を描き、そこから君主が過ちについての忠告を聞きたがらない態度を批判する。物語の結末は、音の問題だけでなく自分自身を知ろうとする姿勢へつながる。

主な出典:『呂氏春秋』巻二十四「自知」原文、台湾教育部『成語典』「掩耳盜鈴」、小学館『日本国語大辞典』収録の日本語の意味と古い使用例。原文は「鍾」であり、後世の「鈴」との字形の違いを明示した。

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